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第23話
途端、腹の底から湧き上がる不快感。そうだ、これは不快感だ。
「やめてください」
嫌悪を隠しきれない苦み走った声が出た。
「なんで突然そんな話を?そんなに間宮が、αが気に入らないんですか」
「まさか!!」
誉さんは目を大きくさせて首を横に振る。
「琉とはそりゃいろいろあったけど、やっぱりかわいい従弟だもの、気に要らないとかそんな風に考えたことないよ!」
もっとも、琉の方はどう思っているかわからないけど…。
そう続いた粘着質な声色に、やはり彼もΩなのだと舌を打つ。なぜΩはこうも身勝手なのか。誉さんだって。
「あなたも所詮Ωなんですね」
抑えていた感情が漏れてしまい、咄嗟に口を押さえる。
溢れた言葉は戻らない。言ってしまった。けれども誉さんは淡く微笑むばかり。
「そうかもね。でもオレはこんな自分も否定しない。Ω性を否定することはオレ自身を否定することだから――前にも言ったかな」
だから、と言葉が続く。
「吉成くんがβでよかった。琉のパートナーになれる相手がきみで本当によかったと思うんだ」
「そんな風に言われても」
やめてくれ。
オレはβだ。Ωの身代わりにされるのは、荷が重い。
***
―――ちがう、オレはΩの代わりなんかじゃない!
心の中で叫ぶ。
誉さんとの会話が我慢ならなくて、仕事も放って抜け出てきてしまった。
ところが、会社のエントランスを出てすぐ目の前に停められる間宮家の車。どこまで手の上で転がされているのだろう、と腹が立つ。でもどうしようもない。
もうしょうがないのだ。諦めてしまえば腹も決まる。
大体なんなのだ、オレはΩが嫌いだ。
Ωはみんな身勝手で、弱いふりをしてしたたかで、すぐにオレから間宮を奪おうとする。そのくせあいつを愛してやるでもない。そんなの許せないだろう。だから。
「間宮!」
飛び込むように部屋に戻れば、その男はリビングのソファーに転がって優雅に寛いでいた。
「おかえり吉成。どうしたの、早いね」
外は抜けるような青空で、明るい日差しが差し込んでいる。
バルコニーに続くガラス戸は開けられているようで、白いカーテンがふわふわと風に揺れて膨らむ。オレの心とはうらはらに、ゆるりとした穏やかな時間が流れている。
間宮は機嫌のいい猫のように、とろりと目を細めて見上げてくる。
ああもうちくしょう。
何もかも見透かすようなその瞳が腹立たしい。
「あんたはαで、オレはβだ」
「うん?そうだね」
間宮の前に立ってそう言うと、ぱちりと目を瞬かせて頷く。何を当たり前のことを、と言いたげな表情。
「オレはΩにはなれないし、なりたくもない。αのおまえにβみたいになって欲しいとも思わない」
「吉成?」
間宮はフェロモンがどうとか言っていたけれど、それを真に受けるほど愚かにはなれない。学生の頃の自分ならそれでも間宮の番になりたいと夢を見たかもしれない。だが、時を経てそれがすべてじゃないことも知ってしまった。だから。
取り出したその用紙を眼前に突き出すと、途端、大きく見開かれる瞳。
「それでもいいなら、これにサインしろ」
ここに戻る途中、急ぎ役所に寄らせてもらった。
どうせ間宮のことだからすでに報告は受けていただろうが、その反応に溜飲が下がる。
「これ……!」
男女用とも番用とも違う、三番目の色の婚姻届。
「あんたとオレとじゃ番は無理なんだから、こうするしかないだろ?」
α相手では、βは恋人にも愛人にもなれない。
ペットだって捨てられる可能性がある以上、期待はできない。
だからといって、いまさら友人や先輩後輩に戻るのも無理だ。オレは間宮の熱に触れ過ぎてしまっている。一度知ってしまったαの情動をなかったことにできる者などいるものか。
それならば、もうすっぱり諦めて法に縋るしかないだろう。
配偶者ならばβでもなれる。
例えいつか間宮がオレに興味を失っても、再びサインするまではとりあえず保証される関係。
…これしか選ぶ余地がないとも言えるけれど。
「だって許せないんだ。Ωなんかじゃあ、あんたを幸せにできないだろ?」
「…吉成…」
間宮はαだから、αのやり方で生きるべきだ。
αはΩと番になるのが正しい。それはいまでも思っている。
オレはβだから、Ωじゃないから、αの愛し方には応えきれない。でも誉さんの話を聞いて、やはりΩなんかに間宮を任せられないと強く思う。
この男をΩなんかに渡せない。渡したくない。
「もちろん、これにサインしたら、もうΩ遊びなんてできないんだからな」
「そんなの考えるまでもないよ!!」
驚いて固まっていた間宮が弾けるように飛びついてきた。腰に腕を回して、腹にぎゅうぎゅう顔を押しつけて、感極まったように呟く。
「オレを幸せにできるのは吉成だけだよ」
オレもその背中をぽんぽんと叩く。
慣れた体温とその香り。手放せるものでもない。
「ほんとに現実…?信じられない、うれしすぎる」
「何言ってるんだ、報告受けているだろう?」
「こんなの聞いてないよお」
ぐりぐりと額を押しつけて上擦った声を返されれば、気分がよくなる。
「わかってるのか、もうΩとは遊べないんだからな。オレも許したりしないぞ」
「わかってるってば〜〜」
いやいや、そんな軽い返事で信用できるか。
「吉成がいてくれたらそれだけでいいんだ。はじめから他なんてどうでもいい」
「よく言うよ、あれだけΩたちと遊んでおいて」
誉さんだけじゃない。間宮がたくさんのΩと関係していたのを知っている。
オレは散々彼らから敵視されてきたし、間宮が直接オレの前にΩを連れてきたりもした。思い悩むオレを間宮が見て見ぬふりをしたことだってある。忘れちゃいない。
それらを思い出せば、間宮は視線を落として苦く笑う。後悔の浮かぶ寂しげな表情。
「だって吉成を壊すわけにはいかないじゃん」
αの本気を受け止めるには、βではどうしたって無理がある。だが、わかっていても腑に落ちないことはある。
この男とこれからもいっしょにいるには苦い過去も飲み込んで腹を括るしかない。
「愛してるよ、吉成」
「……うん」
「ちょっときて」
立ち上がった間宮に手を引かれて、リビングの引き出しを開ける。
丁寧に仕舞われていたそれはオレが示したものと同じもので。
「なにそれ」
「えへ。オレと結婚してくれる?」
ちょっと自慢げな顔に腹が立つ。
しかもそちらの用紙にはしっかりと間宮の名前が記入されていて、オレの方はまっさらだというのに。なんだこの用意周到さは。
「オレが断るとは思わないのか?」
「だって断らせないもん」
「くそ、そういうところがムカつくんだよ」
なめらかな頬を左右からむぎゅっと押しつぶしてやっても、楽しそうに笑うばかり。
「だから吉成から言ってくれたの、本当にうれしいんだよ」
仕方ないからそのまま顔を寄せて小さく唇を重ねてやった。
「オレと結婚、する?」
「する!吉成としかしない!」
興奮した間宮はオレを抱き寄せてはむはむと食らいついてくる。
間宮とのキスはもう何度したかわからないくらい。
うまくいかないことばかりだったが、それでもオレが触れるのはいつも間宮ただ一人だった。それがすべてなのだろう。
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