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第3話
松葉の涙のあとを指でなぞった。
赤い目尻。
早朝の明かりがうっすら差し込む。半開きの遮光カーテンの外では使わなかった露天風呂が朝日を湯船に溜め込んでいた。
後、二時間は余裕がある。
意識のない松葉にキスをしてから一人、裸になってベッドで眠る男の胸を触った。少し赤く腫れている。痛むのか、それとも痒いのかつまんでこねたり、つねったりすると甘い声を漏らす。
上掛けの下で長い足をもぞもぞと動かす。昨日、我慢させられた性器がうずくのだろう。
「ぁ……ん、はぁ……ん……」
舌が覗く口からとろりと唾液がはみ出る。
胸から手を離し、口の中を触った。
人差し指と中指で脱力した舌をこね回し、喉の奥に指を入れ、柔らかい部分を軽く押した。
「くんっ、む……は……ぁ?」
松葉が寝ぼけた目を開ける。
まだ半分は夢の中にいる松葉に構わず、指先で上顎を撫でた。
「はっ……ふ、ぁ……ぅっ」
気持ちよさそうにぎゅっと目をつむり、俺の手を掴んで逃げようとする。構わずもう片方の手も使って胸も触った。
松葉が目に見えて狼狽える。
だが、全く力が入っていない。
硬くしこり始めた乳首の片方を口に含む。
「ぅ、はぁう、う……っ」
舌で小さく硬い先端を弄ぶと、無意識だろうがいやらしく腰をくねらせ始める。俺の指に触れる舌が逃げ場を求めて口の中で動く。
無視して愛撫し続けると、松葉がイった。
声は出さず、当然、精液も出さない。ビクッビクッと体を不規則に痙攣させ、背を反らせたり丸めたり、昨日覚えたばかりの快感に翻弄されている。
「ぁあ……う、ぁ……は……」
「よく寝たな」
横向きで惚ける松葉の引き締まった尻を触った。昨日散々引っ叩いたせいで熱を持っている。
「っや、め……触るなっ……!」
「なんだ、またイきそうなのか?」
ピクンピクンと尻の筋肉が動いている。その原因は仕込んだ俺が一番よくわかっている。
双丘の間に指を滑り込ませ、未だにローションをまとうおもちゃを抜いた。
「おっ……ぁ……!」
クンッと松葉が体を丸める。
俺は目の前の男の体温を感じさせる黒いエネマグラを眺めた後、後ろから松葉を抱きかかえ、埋まっていた部分を口に近づけた。
「っやめろ……」
「昨日、さんざん世話になったおもちゃだろ」
嫌がる松葉の口を指でこじ開けてエネマグラをなめさせた。
「んっ、ぶぁ……ゃめ、う……」
「あはは」
笑ってみたが何となく虚しくなる。
松葉から離れてベッドを降りた。
エネマグラを吐き出し、唾までシーツに出した松葉が何も言わず俺を睨む。
「家まで送ってほしかったらさっさと服を着ろよ」
服と言うと、松葉は床に無造作に放置された自分のスーツを見て切なそうに目を細める。
そんな顔をされても着替えなんて持っていない。俺だって昨日と同じ格好だ。それこそ、車内で漏らしていたら新しい服くらいは用意したが、そうならなかった。
新しい服と引き換えに漏らすくらいなら、やっぱり松葉は今と同じ道を選んだと思う。
「いつから古町と同棲するんだ」
精算機で会計を済ませながら問いかけると「関係ないだろ」と冷たく一蹴された。
「なんだ。古町に貞操帯見せるつもりなのか?」
「こんなものをつけたまま、同棲なんてできない」
「だから、いつからだって聞いたんだろ」
話が飲み込めていないのか松葉は戸惑った目を向ける。
「その時には外してやるって言ってんだよ」
「……どういう魂胆だ」
「別に」
自分でも俺が何を考えているのかわからない時がある。
野暮ったい古町なんかと松葉が暮らすと考えただけで自分の首を締めて死にたくなる。だが、あのぼけっとした女は今まで散々松葉を参らせてきた毒女とは違う。松葉がああいう女を好きなのは、そばにいてよくわかっていた。
あの女に似合う婚約指輪を二人で探しに行った。
俺が選んだ指輪を松葉が気に入り、小町に似合うだろうと会計に行った。
――このブランドがいいって佐伯さんも言ってたしな。
カッとなって往来で松葉を殴らなかった俺を誰か褒めてくれ。本気でそう思った。
佐伯。松葉の上司だ。気さくで、他の部署でも人気がある。
俺が結婚する松葉のために選んだ指輪だ。佐伯は関係ないだろ! そう叫びたかった。ぐっとこらえて何も言わなかった。
俺は松葉の一番の友人だ。それ以外なんて、居場所がない。
ただ、この座を奪われる予兆はあった。
佐伯さんが、佐伯さんは……と、俺との会話でよくその名が飛び出す。最初は気にしていなかったが、俺が食事に誘っても断るくせに、佐伯とは飯を食べに行くようになった。
松葉は遅くまで仕事をしている。それに合わせて帰ろうとしても、同じ部署で働く佐伯に松葉の時間を掻っ攫われる。
松葉がプロポーズした翌日、お祝いにと誘った食事を断られて、佐伯と飲みに行ったこの男を見て、俺の中の何かが壊れた。
馬鹿だな、ほんと。俺が嫉妬してやまないのは、端っから敵いっこない女の古町なんかじゃない。同じ男で、友だちにしかなりえない佐伯だ。
ラブホテルを出て、狭い駐車場の車へ向かう。助手席に松葉を押し込んだ後、俺も乗り込む。
「……中原は」
シートベルトを締めながら松葉がぼそりと口にする。
「無頓着だと思ってた。こういう、性的なことに……」
目を伏せる。長いまつげが哀愁に満ち満ちていて、少しだけ気分が落ち着く。
そう言えば、サークル仲間が合コンで女漁りしていた時期があった。あの時、俺と松葉だけ蚊帳の外にいた。松葉は女に懲りていたが、俺は「興味ねえし」で通してきた。
実際、女の体には興味がない。かといって男がいいわけでもない。ただ、松葉がよかった。松葉だけほしかった。それでも、今でさえ性的に手篭めにしたいとは思っていない。
これを理解しろと言って、正しく理解できる輩がどれほどいるだろうか。
「お前のこと嬲っても勃起しねえしな、俺」
人間の中で、松葉が一番好きだ。松葉だって便所に行くし、精液はくさい。それでも、特別だと思っている。
特別だが、乱れる松葉を見てスカッとしても、いやらしい気分にはならなかった。
AVで見るように、女優に性器を咥えさせて、顔面に精液をかけるやつを松葉にやりたいと思うが、生憎、勃起しない。寝起きに処理せず、溜めたら反応するかもしれないが、別にそこまでして汚くなった松葉を見たいとは思わなかった。
好きだとは思う。でもそこに性的な興奮が伴わない。
「本当に……俺が嫌なんだな」
低く松葉がつぶやく。
本当にこいつはわかってない。
「別に嫌いじゃない」
「なら、どうして!」
憤って叫ぶ。
「どうして、こんなこと……っ」
どうしてこんなことをしたのだろうか。
それはこんな歪んだ関係になってから、幾度となく自分にぶつけた疑問。
「……理由なんか知ってどうするんだよ。俺は別にお前に何かしてほしいわけじゃない。それにもし、古町が原因だったら別れるのか?」
話題をすり替え、松葉を黙らせるために小町を引き合いに出した一撃を放つ。
「それは……」
効果絶大で言い淀む松葉を見て、少し笑った。楽しいわけじゃない。むしろ逆だ。
「頭がいいんだから少し考えろよ」
イライラして、それをぶつけるように言った。
それに対して松葉は「俺なりに考えてる」と反抗的に返す。
それが更に俺の機嫌を急降下させた。
「本気で考えてるなら、そういう態度が後々どう影響するかわかってるんだよな」
「脅して、言うこと聞かせて、それで満足なのか?」
愚問だった。
ただ、そう言えばもう元の関係には戻れないんだなと再確認する。普通は友人を辱めたりしない。貞操帯を嵌めて奴隷のように扱ったりしない。
そうだ。その通りだが、前の関係に戻りたいとは思えなかった。敬愛する上司に尾を振る松葉。それに首輪をつけて、引きずり戻した。
だから少なくとも、今一番松葉の頭の中を占めているのは俺だという自信がある。友だちではなくなったが、アレヤコレヤの心配の先には必ず俺がいて、反抗的だとしても、俺のそばを離れることはない。
「満足してる」
俺が松葉を思うほど彼から好かれっこないことは、昔からわかっていた。だが、同じ好かれないにしても、覚えていてもらえることと、忘れられてしまうことは全く違う。俺は、松葉の記憶に残りたい。
松葉はついに黙って顔を背けた。
ああ、今日の口答えの罰は何にしよう。
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