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第6話

 自宅のリビングで未咲から別れようと言われた時、悲しかったがそれ以上に、一つ足枷が取れたように、妙に晴れやかな気分になった。  相反する感情が駆け巡り、別れたいと言った彼女に何と返せばいいかわからずに黙っていると、未咲の方から口を開いた。 ――哉汰(かなた)くんにはもっと、相応しい人がいると思うの、私なんかじゃなく……。私、会社も辞めようかと思って……。 ――え? ――責めるつもりはないけど、私、婚約してからいじめられて……。  知らなかった。  それを正直に伝えると、未咲は「だから、別れよう」と彼女にしては重く深みのある言葉で関係を終わらせ、翌日には退職願いも提出した。迅速で、その速さが彼女の決意の固さだった。これからは実家に戻り、地元で働く場所を探すらしい。  会社で未咲を見なくなると、別れたという実感が湧いた。でも、これでよかったのかもしれない。少なくとも、中原から未咲を遠ざけられる。 「お疲れさん」  会社に残り、仕事を片づけていると佐伯さんが缶コーヒーをくれた。 「え……あれ、帰ったはずじゃ……」 「持って帰るはずのファイル忘れちまってさ。そしたら事務所から明かりが見えて、どうせこんな時間まで居残ってるのはお前くらいだろうと思って」  冷たい缶コーヒーを握り、パソコンの画面を見つめた。  こんな仕事、明日でもいい。今週中に仕上がってさえいれば間に合うはずだ。それを、居残って仕上げていたわけは……。 「飯に行くか? おごるからさ」  未咲との破局はまたたく間に社内に広まった。当然、佐伯さんの耳にも入っている。 「……今日は、遠慮します」 「そうか? 俺でよければいつでも話を聞くぞ」  佐伯さんはからりと笑い、俺の肩を揺さぶる。  この人と食事できたら楽しかっただろうな。 「まあ、俺よりいい話し相手がいるみたいだけどな」 「え?」 「企画部の中原……だっけ? お前、酔っ払うとそいつの話ばっかりだもんな」  さあっと血の気が引く。  佐伯さんの口ぶりから、あのことを打ち明けたわけではないとわかっていてもいい気分はしない。 「仕事のつきあいも大事だけど、友達づきあいも大事にしろよ」  見当違いなことを言う佐伯さんにいらついた。  どうしてこれくらいのことで腹が立つのかわからない。これからその中原に会うからかもしれない。  久しぶりに自分から中原に連絡を入れた。未咲の指輪を買いに行く時以来かもしれない。あの時、相談相手として真っ先に浮かんだのが中原だった。佐伯さんにもプロポーズのことは相談していたが、指輪はどうしても中原と選びたかった。  今となってはどうして、そんなことを考えたのかわからない。  プロポーズが成功して、佐伯さんがお祝いしてくれるというので、申し訳なく思いながらも中原との約束を断った。中原が変貌したのは、あの夜だった。  仕事が終わったら会いたいと言うと、わかったとだけ言って電話が切られた。 ――私のこと、抱けないんだね……。  別れる数日前に、ベッドの中で未咲が呟いた。  裸になって肌を寄せ合うことはできる。段階を踏んで、俺自身にそういう兆しが現れもする。ただ、挿入しても……途中で中原の顔が浮かんで、最後までできなかった。何とかしようとしたが、自慰ですらまともに達せない。どうしても中原が脳裏に浮かんでくる。  未咲は子どもがほしいと言っていた。こんな状態の俺ではその役目が果たせないと思ったのかもしれない。  未咲と別れた今、あいつにはもう人質がいない。俺だけなら、どうなってもいい。とにかく、こんなことはやめたかった。  佐伯さんが帰り、俺はまた仕事を再開する。  その時、一人になったところを見透かしたように電話がかかってきた。 「中原」 『写真、消したから』 「ど、どうして急に」  身の安全を安堵するよりも、突然の話で頭がついていかない。 『俺に会いたいってそういう話だろ。まさか小町がお前を手放すなんてな。……誤算だった』  中原が電話を切ろうとしている気配を感じて「待て」と引き止めたが、無駄だった。  あまりにもあっさりとした幕引きが不気味で、何故か胸の奥がざわついた。

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