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第7話
「ごめんね、せっかく中原くんが紹介してくれたのに」
小町の引っ越しの用意を手伝ってやると、そんなことを謝られた。
「いや、気にするなよ」
言いながら胸の中でため息をつく。小町未咲は女に辟易している松葉にもってこいの結婚相手だと思った。俺の目論見通り、トントン拍子に婚約まで行ったが、どういうわけかパーフェクトマン松葉が振られた。
野暮ったい糞女。俺の松葉をくれてやると思ったのに、振るなんて。計画が総崩れだ。
「贅沢だよね」
棚から本を出しながら小町がぼやく。
「私なんかが……。会社になんていられない」
「原因は?」
「え?」
「別れる原因」
「ああ……。ちょっと、言いづらいことだから」
「夜のこととか?」
「もう!」
茶化したつもりだったが、当たりだったらしく小町が顔を赤くて目を潤ませる。この手の話が苦手なところも松葉の好みだったに違いない。
それにしても、小町から振ったと聞いていたからそんな話だとは思わなかった。
「あいつをからかういいネタになりそうだな」
「ひ、酷い。中原くん……」
「あはは。冗談だって」
笑い飛ばしても小町は本当に傷ついたという顔をしている。腹が立つ。お前ひとりで松葉を落とせたのだと思ったら大間違いだぞ。俺がくっつけてやったんだ。
それを棒に振りやがって。
共倒れだ。小町という操縦桿がなくなった俺は松葉から離れるしかない。何をしたのか考えれば、松葉に訴えられてもおかしくなかった。
それならそれで構わない。どうせ、手に入らないものだった。むしろ、一時でも手元にあったことが奇跡みたいな男だった。口下手なところはあるものの、真面目で穏やかだ。顔もいい。俺のような後ろ暗い影を持つ男には似合わない。
「私だって、本当にそれだけだったら……我慢したもん……」
「は?」
「あ、その……」
つい素のまま返事したせいで小町が萎縮する。
「それだけって?」
取り消すように明るく尋ねる。
小町は俺の様子を伺ってから「えっと」と拙く言葉を繋いだ。
「哉汰くんが本当に一緒になりたい人は、私じゃないんだろうなって……。夜のそういうことがうまく行かないからってだけじゃなくて……何となく、そう感じたから……」
少し涙目になって笑顔をこぼす。
馬鹿な女だ。
松葉に他に相手なんていない。俺が知らないはずがない。知ったような口を利くな。
同じ土俵に立てない俺を馬鹿にして。
そう心の中で怒鳴りつけたものの、引っ越しの手伝いを買って出たのは、松葉の話が聞きたかったからだ。
俺は松葉の恋人にはなれない。男だからだ。それなら、友だちでいい。一番松葉を理解している親友であれるならそれでいい。そう思っていた。
ただ、友だちなんて不確かな関係は、物理的な距離で心まで離れる。俺が手に入れたと思っていた松葉の隣には、いつの間にか佐伯とかいう男が居座っていた。
何をするにも佐伯の話。
食事も、服も、小町の指輪も。
――あの日もそうだ。プロポーズ成功を祝って夕食を一緒に食べる約束をしていたのに、直前になって断られた。何故かって、佐伯と飲みに行くからだ。
松葉が帰った頃を見計らい、家に押しかけて酔っ払った体を引き倒した。
悔しかった。同時に悲しくて、腹が立った。
松葉に酷いことをすると満たされる。写真で脅し、ネットで購入した貞操帯を無理やりつけ、尻を叩き、排泄を目の前でさせた。そういう惨めな松葉を見ていると、安心できた。
今、この時だけは俺のものだと。
一生かけて俺を恨んでくれるだろうと。
「……死のうかな」
小町の手伝いを終えて、帰りの車の中で呟いた。
俺が死んだら松葉は泣くだろうか。馬鹿な疑問だ。泣くわけがない。確かに、昔は泣いてくれたかもしれない。でも、今は絶対に泣いてなんてくれない。
そういう関係に変えてしまった。
誰がって、俺が。俺自身でやったことだ、訃報を聞いて、ため息をつく松葉が簡単に想像できる。しかたがない。自業自得だ。
マンションの駐車場に車を停めて玄関へ行く。
そこに見たことのある男が立っていた。私服姿だと、大学時代を思い出させる。
無視して部屋に戻ろうとすると、足に痛みが走った。
「いって!」
松葉が蹴ったらしい。
「無視するなんて卑怯だ」
「騒ぐなよ。警備呼ぶぞ」
「何で未咲の部屋にいたんだ」
「何で知って……」
よく見ると作業着のような格好だった。俺も小町も気づかなかったが、引っ越しの手伝いに来たらしい。玄関先で俺の声を聞いて逃げたのだろう。
「俺が卑怯ならお前は意気地なしか? 小町の部屋に入ってくればよかっただろ」
「未咲を巻き込みたくないって何度言えばわかるんだ。お前には、情がないのか……?」
「情ってなんだよ。お前に俺の何がわかる」
「知らなかったんだ、水野から聞くまで」
水野。覚えている。噂好きの頭の悪い男だ。俺がニュースに取り上げられた事件の当事者だと知って面白半分に擦り寄ってきたやつ。
あいつの入れ知恵か。そんなやつから俺の過去を聞いたのかと思うと、殴り倒したくなる。
「知らなかったんじゃないだろ、俺に興味がなかったんだ。所詮、お前の弾除けだよ。水野なんかの話を鵜呑みにしてこそこそ本なんか買いやがって。あんなもんで俺を知った気になるつもりだったのか? 俺を異常者扱いして満足か?」
「違う!」
松葉が激しく首を振った。
違わない。
鬱陶しい松葉を突き飛ばしてマンションの中へ入ろうとすると「話は終わってない」と腕を引っ張られた。
「お前がわからないんだよ」
別に今更、理解してもらおうと思っていない。
俺には松葉だけが特別で、それ以外はガラクタも当然の道具だ。
どうして松葉なんだろうか。
わからない。わからないけど、松葉がほしかった。
「哉汰」
「……え?」
明らかな困惑が顔を見なくても声からわかった。
「お前が気絶してる時に何度もキスをした」
「え」
俺を逃すまいと掴んでいた手が、キスをしたと言った途端にパッと離れて行く。
それに傷つく自分がいて内心、失笑する。今更、嫌われていることに傷ついて何になるというのだろうか。
「ど……どうして」
「特別だから。言っただろ。映画とかで見るあれだよ。何か一つでいいからお前の一番になりたかった。でも恋人は無理だ。友人ならと思ってもだめだった」
「なんで……」
「後は、恨まれるしかお前の中に残れない」
松葉を泣かせて、睨ませて、恨んでもらう。
そこでやっと俺は満足できる。
これは異常だろうか。違う。俺の嫉妬だ。
愛しても、同じだけは愛されないから……。
言葉を失うどころか、顔まで真っ青にした松葉を置いて俺はカードキーでマンションに入った。
振り向いたら間違いなく松葉がいるとわかっていたから、振り向かなかった。
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