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誤解……そして別れ2
***
水戸さんと別れてから、叶さんにメールした。話があるんだけど、と。
それから数分後に、叶さんからの返信がくる。いつもなら半日近く放っておかれるというのに、逆にこの早さが何とも言えないもので。
『俺からも話があるから、自宅に来て下さい』
というシンプルなメールだった。それはとても叶さんらしいものなれど、シンプルな中に見え隠れする心情がとても怖い。
足取りが重いまま、叶さんの家にまっすぐ向かった。
(第一声、まずは何から話したらいいかな――)
掌に変な汗をかきながら、懸命に考えるたのだが、まとまらないまま叶さんの家の扉の前に立つ。
いつものようにピンポン、ううっ……
まだ頭の中が整理されていないのに、反射的に押してしまった。中から鍵を外す音がして、扉が開き叶さんが顔を出す。
「どうぞ」
微笑みながら、中に入れてくれたけどその笑みは、いつも俺に見せてくれるものではなく、営業用のスマイルだった。これをされると、叶さんが何を考えているのか、皆目検討がつかなくなるんだ。
見えないバリアを作らせたのは俺自身なので、しょうがないのだけれど。
「お邪魔します……」
覚悟を決めて中に入った。
先に中へ入っている叶さんの後ろ姿を、じっと見つめてしまう。
――今、どんな顔をしているんだろう? まさやんから送られてきた写メのように、悲しそうな顔をしているんだろうか。
「話って、何?」
俺に背を向けたまま、話を切り出す。変に隠してもしょうがないので、例の写メを叶さんに見せる。
「このことについてなんだけど……」
「へえ、フォーカスされたんだ。キレイに、撮れているな」
あからさまな作り笑いをしながら告げたセリフに、俺が口を開こうとしたら、
「何でも会長の孫娘と、仲良くお付き合いしているんだって? 果ては、社長にでもなるつもりなのか?」
唐突に切り出された言葉に、一瞬息を飲んだ。もしかして俺のことを、調べ上げたというのだろうか。
「そんなつもりないです」
「しかもこんなに可愛らしい子と結婚出来るなんて、夢のような話だな。社長の愛人っていうのも、案外悪くないかもしれないね」
自嘲気味に笑う叶さん、目が全然笑ってない。
「俺、この子とは付き合ってないよ……だって」
「並んで歩いてる姿、結構お似合いだったよ。俺なんかよりも、ずっと」
俺の話をさっきから遮り、本音を話させてくれない。最初から用意された台詞を、淀みなく話しているみたいだ。
「でも愛人って辛いんだ。会いたいときは会えないし、誰にも見つからないようにしなきゃならないから、かなり神経を使うし。リスクばかりで、いいことがひとつもない」
「叶さん……」
過去の自分を思い出しながら語る姿に、胸がしくしくと痛む。間近でその姿を見ていたから、辛さを知っているゆえに、痛みが余計に倍増されてしまう。
「俺はね、人一倍我が侭だから……俺ひとりにだけ愛が欲しいんだよ、賢一」
切なげな表情を浮かべ、俺の顔をじっと見る。
「俺は、叶さんだけ愛してるよ」
嘘は言ってない、俺の中ではいつでも叶さんが1番なんだから。
「じゃあ、それを証明してみせろよ」
「証明――?」
(それって、どうすればいいんだ?)
むむっと少し考えて、叶さんを抱き締めようと手を伸ばしたら、
「安易!」
渋い顔で強く言い放たれた台詞に、伸ばしかけた手が止まる。冷たい言葉と視線に、体が固まってしまった。
「賢一のことだからどうせ、人の恋路に首突っ込んだか、何かしたんだろ?」
俺は素直に、首を縦に振るしか出来ない。しかもさっきから言葉が全然出てこないなんて、まったくもって情けないな。
「そんな余計なことするヤツは、馬に蹴られて死んじゃえばいい」
「叶さん、俺まだ死にたくないです」
「俺に誤解されるような行動を人様のために、どうして出来るんだよ?」
今度は呆れた顔で、ぷいっとそっぽを向いた。まるで目の前にいる俺を見たくないと、言わんばかりの行動にしか見えない。
「だって俺が困ってる所を助けてくれたから、今度は俺が助けなきゃって思って」
「お人好し、お節介!」
「だって……」
「俺が同じようなことをして、それを賢一が目撃したら、どんな気持ちになる?」
まさやんから添付された、叶さんの悲しそうな顔を思い出す。俺もきっと、同じような顔をするだろう。
「でも後からきちんと話をして誤解を解けば、俺は許せます」
「俺はね、許せないんだよ賢一。どうして、最初から説明してくれないんだ?」
「だって叶さん、人の恋愛に首突っ込むのを、すごくイヤがるじゃないか……止めておけって言うの、分かってるから」
そう言うと腕組みして、背けていた顔を俺に向けてから、何度も頷いた。
「賢一、楽譜の強弱記号覚えてる? FとかMPなんか」
唐突な話題転換。しかもどうして、音楽についてなんだろう?
「えっとFはフォルテで、MPはメゾピアノ?」
うろ覚えだったけど、意味までは分からない。どちらかが強くだろうな……
「正解、フォルテは強くでメゾピアノはやや弱く。そして賢一は、Piano なんだ」
「俺がPiano ? それって、弱いっていうこと?」
叶さんの台詞に納得がいかず首を傾げると、悲しそうな眼差しを微妙に揺らしながら、じっと見つめてきた。
「Piano って弱くの他に、優しくっていう別の意味があるんだ。賢一は俺だけじゃなく、皆に対して平等に優しいよな」
「叶さん?」
「そんな優しい賢一だから、好きになったんだよ。それは俺だけじゃなく水戸さんや他の人達も、自然と賢一の周りに集まる。賢一が他の人に優しくすればするほど、俺との距離が遠くなるんだ」
賢一の奏でる優しいメロディははじめ、俺ひとりきりだったのに、気付けばたくさんの人に囲まれていた。そしていつの間にか、俺はかやの外にいる――
「俺だって、叶さんを独占したいんだ。俺の知らない所で、どんどん偉くなっていってる……何だか、手の届かない存在になりそうで怖いんだよ」
胸の中に秘めていた自分の意見を、初めて言ってみた。
「はっ、そんなの会社での地位の話じゃないか」
「俺だって男なんだ。少しでも叶さんに近づきたいと思うのは、当然だろ」
「だったら、この孫娘と結婚すればいいだろ。将来を約束されたも同然だからな」
「嫌だ、俺は叶さんじゃないとダメなんだから」
きっぱりと断言した。そんな俺に叶さんも、
「今、同棲は無理だから」
叶さんも同じく断言、しかし――
「そうだな……賢一が周りにお節介しなければ、同棲してもいい」
なんていう折衷案を出してきた。だけど、迷うことなく答える。
「それは、無理な話だと思う」
困ってる人を、見捨ててはおけない。
「やっぱり、そう言うと思っていた。誰にでも優しい、賢一だから……」
「これが噂に聞く、価値観の相違だね。恋人たちが別れる原因」
好きなのに、相手を思いやるとキズつける。愛すれば愛する分だけ、お互いの距離が遠くなってしまう。
――どちらも、譲れない想いがここにある――
「賢一、さよなら……しようか」
「俺もこれ以上、叶さんを傷つけたくない」
守るためのさよなら。
お互い見つめ合ってから、そっと抱き締めあう。そして最後のぬくもりを確認した。これが最初で最後の抱擁になるんだな。
「さよなら、叶さん……」
その言葉を合図に、背を向けるふたり。再び振り返ることはなかった。
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