◇・・◇・・◇・・◇ 「おはよー雅！行ってきます！」 「はよ。頑張れ」 朝７時。 どうやら、昨夜の事は無かったことにしてくれたらしい。いつもと変わらぬ様子の静輝が 部活の朝練に行くのを見送って、のんびりと支度を始めた。 寮を出るのは、だいたいいつも静輝が出て行ってから１時間１５分後。 そしてそのまま教室へ向かうのだが…。 「…疲れた…」 寮棟を出て校舎に入った瞬間、とても朝とは思えない独り言が口から零れ出る。 あの俺様男がまた姿を現すかもしれないと考えただけで、寮部屋を出る事も躊躇ってしまった。なんとか重い足を引きずってここまで来たものの、精神的疲労から溜息しか出ない。 …重症だな。 男に突っ込まれるかもしれない、という貞操危機の事態に、思ったよりもかなり本気でダメージを受けている自分がいる。 皆が教室へ向かう中、足は自然と逆の方向へ進んでいった。 「失礼し…、って、渡辺さん？」 勢いよく開けたのは保健室の扉。 普段はそこに、チャラい雰囲気を持つ養護教諭“渡辺”がいるハズだが、今日は朝一番だったせいか誰の姿も見えなかった。 一瞬迷ったものの、鍵が開いているという事は入ってもいいだろうと勝手に結論付け、奥に３台並んでいるベッドに歩み寄る。 カーテンを引いて空間を仕切り、窓際の明るいベッドに仰向けになって寝転がった。 「…あー、面倒くさい…」 これから毎日アイツに怯えて生活するなんて冗談じゃない。何か対策を練らなければ本当に喰われるだろう。でも、対策なんてあるのか？ ……あの俺様男に効く対策なんて無いに等しいだろうな…。 どれ程考えても、結局はその結論に辿り着く。これじゃ悩む意味がない。 思いっきり深い溜息を吐き出す。 その内に、授業開始のチャイムがスピーカーから流れ出した。本格的サボりの始まりだ。面倒くさいからとりあえず寝とけ。 起きてまだ数時間もたたないのに、目を閉じれば眠れるのは精神的疲労か？ そんなふざけた事を思って目を閉じたが、物事はそう上手くはいかなかった。 ガチャ ノブの回る音とドアが開く音。そして、誰かが入って来た足音。 誰だ？ 一瞬にして緊張が走る。 だが、その疑問はすぐに解決された。 朝から閉まっているベッドの仕切りカーテンを不審に思ったのだろう、その人物が思いっきり勢いよくシャッと音を立ててカーテンを開けた。 「………」 「あれ？なんだ、斎じゃないか」 ここにいるのが当たり前と言えば当たり前の人物。養護教諭の渡辺誠(わたなべまこと)が、いつものようにサラッサラの金髪を朝日で煌めかせてそこに立っていた。 授業開始と同時に、自分の職場であるここへ向かって来たのだろう。 ダークスーツの上に来ているロング白衣が、己を格好良く見せるためのアイテムにしか見えないのはさすがだ。いかがわしい事この上ない。 なんでわざわざ私立の男子校、それも全寮制なんて所に来たんだと、ある程度親しくなってから聞いた事がある。そしてその答えを聞いて納得した。 『女子生徒がいる学校だと問題が起きかねないって、どこも雇ってくれないんだよ。雇ってくれたとしても、連日保健室の前に女子生徒が群がってね…、だいたい３ヶ月で追い出される』 …その金髪をどうにかすればいいだろうが…。 どう見ても自業自得だ、と思ったが、本人は自分の容姿をじゅうぶん自覚していて、実はそんな状態を嘆くでもなく逆に楽しんでいるようだったから、もう何も言えない。 それに、チャラ男的な外見からして緩い考えを持っているだろうと思えたこの渡辺は、重要な部分ではかなり厳しい事を言う、意外と頼もしい人物だった。 それを理解したのは、親しくなってから３ヶ月あまり過ぎた頃だったけれど…。 「朝っぱらからどうした？気分が悪ければ部屋で寝てればいいだろ」 怪訝そうに、そして呆れた顔で言う渡辺。 ごもっともな意見。俺もできれば休みたかった。 ダルさを全面に押し出してゆっくりした動作で起き上がるも、理由を説明する気になれず眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。 「………」 「………」 暫くの静寂の後、こっちをジッと見つめていた渡辺の溜息が聞こえた。 「……お前また昨日泣かせただろ？それも三年生。受験に失敗したらどうすんだ。少しは相手を考えないと、いつか刺されるぞ」 親しくなって一年半はたつ渡辺は、俺の行動をある程度知っている。 全寮制男子校という体制のこの学校では、男女どちらでもＯＫという人間が少なくないせいで、セフレなんて珍しくもない。 だが、それでもやはり俺は目立っているらしく、小さなイザコザは絶えない。渡辺はよくそれを注意してくる。 「俺と本気の恋愛をしようなんて思いながらセフレやってた方が、よっぽど受験に差し障りが出るだろうが。そんな関係はやめてやった方がアイツの為だ」 「…それはそうだけどな」 どっちもどっちだろ…。渡辺のそんな胸の内が伝わってくる。 でも、セフレとは言えど、俺から誘って出来た関係ではない。望んで声をかけてきた相手にこちらの条件をだし、それに頷いた者を抱いている。お互いの利害が一致している関係。 俺から誘って俺から振る、それだけは絶対にしない。自分自身に誓っている戒めの一つでもある。真剣な付き合いなどする気がないのだから、自分から誘う事はしない。