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第8話

「…で?昨日のはいいとして、何故朝からこんなとこで寝てるんだ?お前は」 …話が元に戻りやがった。 意味のないサボリは許さない奴だから、仕方がないといえば仕方がない。 「わーかったよ。授業に行けばいいんだろ」 あの俺様男からずっと逃げ回ってるわけにもいかない。隙を見せずに抵抗を続けてれば、いつかその内諦めてくれるだろう。きっと周りの美人を食い飽きて、毛色の違う俺に目を付けただけだ。 その日が来る事を願いながらベッドからおり、渡辺の横をすり抜けて歩き出した。…が…。 「…ちょっ…なんだよ」 通り抜ける寸前、渡辺が突然腕を掴んできた。 僅かに高い位置にある相手の目を見返すと、思いもかけず真剣な眼差しとぶつかる。 タレ目気味の割には眉が吊りあがっているせいか、真剣な表情になるとかなりきつく見える渡辺の顔。 「手、離せよ」 その顔が、不意にニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。養護教諭の仮面を被った犯罪者にしか見えない悪どい笑み。 「そんなに俺の顔が見たかったんだな、斎は」 「…は?」 「体調が悪いわけでもないのに朝からワザワザここに来るなんて、俺に会いたかったからなんだろ?隠さなくてもいいよ。案外可愛い事するじゃないか」 「………」 開いた口が塞がらないとは正にこれ。意味わかんねぇ。 明らかに作り笑いとわかるワザとらしい表情を浮かべている渡辺に、もう返す言葉がない。 掴まれている腕を、容赦なく思いっきり振り解いた。 「アンタの冗談に付き合える程、こっちは朝からテンション高くないんだよ」 「あれ?冗談じゃなかったんだけど」 「余計に悪い」 傍らに立つ相手に呆れた眼差しを向けても、返されるのは嘘臭い笑みだけ。 サボる場所の選択肢を間違えた俺が悪いのか…。これなら普通に授業を受けていた方が良かった気がする。余計に疲れた。 「…アンタが煩いから授業出るけど、邪魔者がいなくなったからって可愛い生徒連れ込んで食ってんなよ?いいかげんに淫行罪で捕まるぞ」 揶揄混じりに鼻先で笑って、今度こそ横を通り抜けた。…はずが。 「…な…ッ…」 クルリと回った視界。背に当たる柔らかな感触と同時に聞こえたギシっというベッドの軋む音。 咄嗟に閉じてしまった瞼を開けると、視界に映ったのは俺を見下ろす渡辺の顔と、保健室の白い天井だった。 「…なに…してんだよ、アンタ…」 起きあがろうとしても、肩を押さえつける手が意外なほどに力強くて、背を起こす事ができない。 眉をひそめて渡辺の顔を見上げると、何やら楽しそうに、そして意地悪気に笑んでいる瞳があった。 「可愛い生徒を食ったらダメなんだろ?それなら斎は食ってもいいって事だよな?」 「……なんで俺」 言っている意味が本気でわからない。 「悪いけど俺は“食う”方だ。…ってアンタも知ってるだろ。冗談も休み休み言え」 言いながら上半身を起こそうと身を捩るも、何故か渡辺の手に更なる力が入ってそれも叶わない。 「斎が食う側だからこそ、俺はお前を食っていいって事なんじゃないの?“可愛い食われる側の生徒”には手を出しちゃダメなんだろ?」 「子供みたいな屁理屈言ってんな。いいから退けって」 上から覗き込んでくる渡辺の肩を掴んで、押しのけようとグッと力を込める。 渾身の力を込めたはずなのに、細身に見えて意外とガッシリした体つきをした渡辺には痛くも痒くもないらしく、まったく微動だにしない。 その内に今度は、ベッドの縁に膝を乗せて身を乗り出してきた。 完全に上から圧し掛かられている状態に、思わず息を飲む。 「…おい」 「なに?」 「なにじゃない。退けって言ってるのになんでさっきより状況が悪くなってんだ」 「悪くなってるじゃなくて、良くなってるの間違いだろ?」 「どこが良…ッ…ン」 遮られた言葉。それは、渡辺の口内へ消えていった。 突然塞がれた唇を大人の余裕で甘噛みされて、思わずビクッと肩が震える。 強引なのに動きが緩やかなせいか無理やり感がなく、まるで恋人同士が交わすような優しく甘い口付けに羞恥心を呼び起こされ、たまらず目を閉じた。 口腔内に入り込んできた舌が、戯れるように舌に絡み付く。優しく吸いつかれて弄られる感じが、遊び慣れている相手の余裕を見せつけてくる。 咄嗟に閉じてしまった目を開けると、そんな俺の様子を見つめていた渡辺と目があった。 それでも濃厚な口付けは止まらず、お互いに見つめあったまま続けられる行為に異常な恥ずかしさを感じる。 押し倒されて下になっているのが自分の方だと、強烈に意識させられた。 「…や…めっ…」 なんとか顔を逸らして抵抗を試みるも、大きな手に顎を掴まれて引き戻され、また深く口付けられる。 舌を優しく甘噛みされ、唇を吸われ、奪われているはずなのに、でも与えられているような…。緩い心地良さを感じさせるそれに、いつの間にか抵抗を忘れて舌を絡めてしまっている自分がいた。 しばらくして、わざとかのように「チュッ」というリップ音をたてて離れた唇は、その持ち主の心情を表すかのようにニヤリと笑みの形に吊り上がる。 こんな事に勝ち負けもないけれど、それでもこみあげてくる敗北感が苛立たしい。 ジンジンと熱を持っているように熱く感じる自分の唇が、妙に気に障った。 「…どういうつもり、…って、もういいよ。退いてくれ」 これ以上訳のわからない押し問答を続ける気もなく、いまだ上にいる渡辺の肩をグイっと押し離した。 どうやら本人も、もうこれ以上何かをするつもりがなかったようで、その体は難なく身を起こして離れていく。 薄らと笑みを浮かべている渡辺の表情が気に食わない。 不本意だったという事を示す為に手の甲で無造作に口元を拭って見せても、その食えない表情は変わる事はなかった。 身体を起こしてベッドから降り立ち、グシャリと前髪をかき上げて口を開く。 本当は文句を言うつもりで口を開いたのに、実際には溜息が出ただけ。 …本当になんなんだ…。 「二度とこんな訳のわからない事するなよ」 睨みながら釘を刺しても、両肩を竦めて「さぁね」なんて軽く返してくる様子を見たら、なんだかもうどうでもよくなってくる。悔しいが、経験値の差がありすぎだ。 「…もういい。じゃあな」 不機嫌な感情そのままに低く吐き捨てるように言って歩き出し、後ろで「またね」と明るく言う相手を振り向く事もせずに保健室を後にした。 その後、精神的に疲れた体を引きずって授業に出たものの、俺が警戒していたのが馬鹿だったと思うくらいに時間は平和に過ぎていき、結局、夜が来ても御堂が姿を見せる事はなかった。 こんなことなら保健室になんて行かなければ良かった…と後悔したのは言うまでもない。

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