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第9話

◇・・◇・・◇・・◇ そして更に次の日。やはり昼になっても御堂は姿を現さなかった。 俺が真に受け過ぎたのか…。あれは単なる嫌がらせで、実際に行動するつもりはなかった? そう思ったら一気に体の力が抜けた。抜けすぎて眩暈すら感じる。 御堂のせいで余計なストレスにさらされてしまった事が、本当に馬鹿らしい。そして、あんな戯言を信じてしまった自分が情けない。 昼休みに廊下ですれ違ったセフレの笹川光から、今夜の誘いを切りだされた。この数日まったく遊んでいなかった事を思い出して、断ることなくそれを受ける。 これでまたいつもの日常に戻る…。そんな安心感と共に。 「…ン…ぅ……ぁ…あ…」 思う存分光の最奥を抉っていた自身を抜くと同時に漏れ聞こえる、婀娜めいた声。 普段の小動物を思わせる可愛らしさからは想像もつかないほど色気のある声は、精を吐きだした後だというのにまた啼かせたくなる気持ちを湧き起こさせる。 それを抑えこみ、横に置いてあったタオルで光の体と自分の体をキレイに拭った。そして隣に寝転がる。 いつもとは違う行動を取った俺に、光が目を瞬かせた。 「…雅先輩…?」 今までなら行為が終わればそのまま部屋を出ていくけれど、今日は少しだけ寛ぎたい。そんな俺に、光の戸惑いがちな視線が向けられた。 付き合いの長い光だからなのか、心配そうに名を呼ぶ声を煩くは感じず、癒されるような柔らかな声質が耳に心地良さを運ぶ。 目を閉じると、フワリと頭に手が乗せられ、優しく撫でられた。他人に頭を撫でられるなんてどのくらい振りか…、ひどく久し振りの感覚に、自然と口元が緩む。 目を開けて横を見ると、片肘をベッドに着いて上半身を起こしている光が、心配そうな顔で見下ろしてきた。 「…雅先輩、なんだか疲れてるみたい…」 そう呟いた光に小さく笑いを零し、頭を撫でている手を掴んで優しく唇を押し当ててから、ゆっくり起きあがった。 「…最近色々あったからな」 自嘲気味に呟きながら、ベッドの横に落ちているシャツを拾い上げて袖に腕を通し、脱いでいた物を次々と身につけはじめる。いつまでもこの部屋で休んでいるわけにもいかない。 部屋に戻るのすら面倒臭いと思いつつベッドから下り立ち、光の方を向いた途端、俺を見ていたその顔が赤く色づいた。 向けられた視線は、まだ羽織っただけの為に前が全開のままの俺の胸元。 …なるほどな…。 俺の鎖骨の辺りに、珍しく光が付けた小さな赤いキスマークが二つ。 普段は、キスマークなんて所有印を付けられるのを酷く鬱陶しく思うのだが、今日は光だからなのかイヤな気分にもならず、逆に、可愛い事をしてくれる…と思う始末。 やっぱり今日の俺はどこかおかしい。 手を伸ばし、いまだ顔を赤くしている光の頭をクシャリと撫でてから扉へ向かい、部屋を後にした。 ◇・・◇・・◇・・◇ 「…あぁ…、そういえば昨日飲み終わったのか…」 夜。部屋の冷蔵庫を開けて、そこに目当てのコーヒーが無い事を知ると、昨夜、光の部屋から戻ってきた時に全部飲んでしまったのだと思いだして溜息が出た。 無いと思うと余計に飲みたくなるのが人の性。 …静輝はどこかに出掛けたまま戻ってこないし、とりあえず買いに行ってくるか。 小銭だけを手に持ち、一階のロビーに向かうべく部屋を出た。 ロビーに入ると、自販機の前にいた小柄な先客2人が俺に気付いて、恥ずかしそうに会釈してきた。 知った顔ではないが取りあえず軽く目礼を返したけれど、横を通り過ぎた後、何故かキャーキャー言いながら廊下を猛ダッシュして去って行った様子に、少しばかり頭が痛くなる。 言葉も交わした事がない相手だけに、彼らのそれは俺の外見だけに向けられたものだろうとわかった。 もし俺が普通の容姿だったとしたら、きっと見向きもしないはず。中身がどうでも、外見が自分の好みでさえあればいいのだろう。要は俺じゃなくてもいいって事だ。 そんな事を考えて虚しさを感じる事すら馬鹿馬鹿しいけれど、こんな光景に出会う度に心の奥が冷たく凍りついていく自分を感じずにはいられない。 モテる事を単純に喜べばいいのだろうけど、外見が良ければ中身はどうでもいいと言わんばかりの行動を見せられてばかりいると、喜ぶどころかそろそろ人間不信に陥りそうだ。 …いや、なってるのかもな…。 「くだらない…」 ボヤキながら壁際に並ぶ自販機の前に立ち、ポケットに入れてある小銭を取り出そうと右手を動かした。瞬間。 突然その手を強い力でギシリと掴まれた。 「…ッ…」 手首を締め付けられる痛みと突然掴まれた驚きに呻き声をあげながら背後を振り返ると、そこには思わぬ人物が立っていた。 毎回突拍子もない出現の仕方をするのはワザとだろうかと、勘繰りたくもなる。 心臓がドクンと大きく音を立て、次いでギュッと痛くなった。全身を凄い勢いで血が巡っているにも関わらず、背筋が寒くなる。 「…御堂…龍司」 名を口にすると同時に、何故か全身から怒気を放っている相手に力任せに腕を引っ張られ、よろけたところをドンっと突き飛ばされた。 「…ッ…ぅ」 自販機の横の壁に叩きつけられるように思いっきり背をぶつけ、肺の空気が押し出されて一瞬だけ呼吸が詰まる。 ゆっくり視線を上げた先には、怒りに双眸をギラつかせている御堂の顔があった。 「…な…にをそんなに怒ってるんだアンタは」 「何を…だと?ふざけてんのかお前は」 押し殺した低い声と共に、その両腕が俺を挟むように背後の壁に置かれた。より密着する体から、痛い程の熱気が伝わってくる。 「お前は俺のモノだと言ったはずだな?それがなんで保健医の野郎とイチャついてんだ。なめてんのか」 焦点が合わない程の近い距離で、まるで睦言を囁くように放たれる言葉。だがその内容は、睦言とは程遠い恐ろしいほど傲慢な言葉。 いつから俺がアンタのモノになったんだ。 そのセリフが口から出かかるも、今の御堂にそれを言ってしまったら危険な気がして、唇を噛みしめて堪えた。 たかだか一歳しか違わない相手に恐れを抱くなんて、そんな情けない事を認めたくはない。けれど、御堂の迫力はその辺の高校生が持てる物とは訳が違った。 睨むだけが精一杯の抵抗。意味無く唾液を嚥下しようとする喉奥に、何かが詰まったような感覚。 御堂が一層瞳を鋭くした。と同時に、その顔が俺の首筋に埋められた。 「…いッ…!」 思わぬ激痛に、背がビクリと跳ね上がる。 キスマークを付けるなんて可愛らしいものじゃない。確実に歯を立てて噛み付かれた事がわかる鋭い痛み。その衝撃に、御堂の二の腕を思いっきり握りしめた。 血が滲んでいたのか、顔を上げる際に舌でペロリと舐めてきた。ピリピリと熱い痛みを感じる。

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