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第11話

それまでの濃密な空気が霧散してしまった事を感じ取ったのは俺だけではないようで、やってられねぇとばかりに壁に寄りかかって座りこんだ御堂は、ポケットから煙草を取り出して口端に咥えだした。 その様子に安堵感を覚えた俺も、ゆっくりと上半身を起こす。 いまだ体の奥で燻る熱を意識の外へ放り投げて考えないようにし、乱れた髪と服を適当に整えながら御堂の向かい側の壁に背を預けて座った。 …とてつもなく疲れた…。 「………」 「………」 口端に煙草を咥えたにも関わらず、何故か火を点けない御堂。 何がなんだかわからないままこんな事になって、そして気づけば何事もなかったようにこうして座っている俺達。 それまでが嘘のように静かな眼差しで床の一点を見つめている御堂に、肩から力が抜けた。 襲われるという未知の体験に感覚が麻痺してしまったのか、変な感じだけど、静かな空気を醸し出す御堂の様子は、ひどく俺の心を落ち着かせた。 見つめられるとそれだけで貫かれるような痛い感覚をもたらす瞳が伏せられているだけで、この男の獰猛な部分が成りを潜め、落ち着きのあるどっしりとした存在感だけを浮き彫りにする。 こんな様子の御堂に向き合う事が初めてで、改めてまじまじとその姿を観察していると、不意に伏せられていた眼差しが持ち上がり視線が絡み合った。 とても静かで、凪いだ海のような瞳。 こんな表情も出来るのか…、と驚いたと同時に、それを否定する自分がいた。 こんな表情も出来るのか…じゃなく、この落ち着いた雰囲気の方が、本来のこの男の持っているものなんだ、と。妙に納得した。 俺を抱くだのなんだのと、強引に迫ってくる御堂しか知らなかった。それはほんの一部で、きっとこの御堂という男を彩るものはもっと他にも色々あるに違いない…、という事に、今ようやく気が付いた。 「…本当は…、まだお前と会うつもりはなかった」 「………え?」 突然、本当に突然呟かれた言葉に、そしてその内容の意味がわからず、反応が遅れた。 数度瞬きを繰り返した後に聞き返した一言が、やけに間抜けな感じを与えたようで居たたまれない。 きっと表情も間の抜けたものを披露してしまっただろうに、御堂は笑う事もせず、口端に咥えていた火の点いていない煙草を指で挟み取りながら話し始めた。 「お前この前、保健室で渡辺と遊んだんだってな?廊下ですれ違った時にそれをアイツから得意気に言われて、俺がどんな気分だったかわかるか?」 「……あの野郎」 わかるか?という言葉に対して、知るわけないだろ、と返す前に零れ出た怒りの声。 渡辺のあの訳の分からない行動さえ許しがたいものを感じていたのに、何故よりにもよってそれをコイツに話したんだ。意味がわからない。 許しがたいを通り越して、この世から抹殺してやりたい。 「……なんか頭痛ぇ」 片手で額を抑えて呻くように呟くと、御堂に「それは俺のセリフだ」と毒づかれた。 「渡辺にあれやこれやと事細かに説明されて、危うくアイツを殴り倒すとこだったぜ。…ついでにお前を犯し殺してやろうかと思ったくらいだ」 「………は!?」 なんだその物騒な言葉は。言っている人物が人物なだけに、それが冗談に聞こえないところが恐ろしい。 茫然と固まったまま御堂を凝視すると、今度はその口から「チッ」と大きな舌打ちが放たれた。苛立たしげにまた煙草を口端に咥え、フィルターをグッと噛みしめたのを見て、御堂が何かを堪えた事がわかった。 そして今度こそ火を点ける気になったらしく、ポケットからライターを取り出して煙草の先に近づける。シュボっという音と、数秒の時間差で広がる独特の薫り。 深く吸い込んだ事がわかる胸の動きと、かなりたってから吐き出された紫煙、そして心地良さ気に細めた眼に、俺まで煙草を吸っている気になってくる。 「渡辺があんなくだらねぇ事言ってこなければ、毎日でもお前の所に顔を出して落とそうと思ってたんだがな…。あのイラつき加減でお前を目の前にしたら絶対に無理やり犯す自信があったから、出来るだけ避けてたんだよ。…俺の優しさに感謝しろ」 そう言って最後にフッと笑った御堂に、俺は何も言えなかった。 今の言葉。大切に思われているように感じたのは、気のせいか?…いや…気のせいだな。…感謝しろって、どこまで俺様なんだよ。 飲み物を買いに出たはずが、何故か御堂の部屋でこんな事になっていて、改めてこの短時間に起きた出来事を思い出すと、ドッと疲れが押し寄せてくる。 肩に入っていた力が完全に抜けて、寄りかかっている壁から背がズルっと擦り下がる。 そんな俺を見て、御堂は何故か呆れたように眉を寄せた。 「…なんだよ…」 そんな顔をされる謂われはない、と、少しムッとしながら睨んで言うと、今度は溜息を吐かれた。 人の事襲っておいて態度悪すぎだろ。 「お前、あまり話さない割には目と態度に全部表れてんだよ。言いたい事があれば口で言え、口で」 「…………」 「また襲われてぇのかお前は」 「っそ…んな訳ないだろうが!」 「ならそんな目で見るな」 「………」 そんな目ってなんだよ…。 そこで黙り込むと、御堂はもういいとばかりに片手をヒラヒラと振ってくる。なんとなく馬鹿にされているようで腹が立つ。 そこで不意に、妙に落ち着いてしまったこの空間に居心地の良さのようなものを感じている自分に気がついて、すぐさま腰を上げて立ち上がった。 このまま御堂と話をしていたら、コイツの事を全力で嫌って拒む事が出来なくなりそうな、そんな恐怖を感じてしまったから。 突然立ち上がった俺に、御堂が視線を向けてくる。それに気づいていながらも、何も言わずドアへ向かう俺の背に、 「またな、雅」 微かに笑いを含んだそんな声がかけられた。 それには答えずに廊下へ出て静かにドアを閉めると、そこでようやく魔窟から出てきたかのように外界の空気を思いっきり吸い込んだ。 「…そういえば…携帯」 自分の部屋へ向かって歩きながら、ふと思いだした存在。あの時、誰か知らないが電話をしてくれたおかげで、今こうやって無事な俺がいる。その相手に心の底から感謝したい。 そんな思いで、ポケットから取り出した携帯の着歴を見ると、そこには思わず気の抜けてしまう名前が表示されていた。ついでにメールも入っている。 『雅どこにいるの?俺さ、今から部活の先輩のとこに言って何だか手伝わされるみたいだから、先寝てて。それじゃ、オヤスミー』 相変わらず能天気な静輝からの言葉に、自然と顔が緩む。 静輝は確実に癒し要員だ。もう間違いない。 なんだか妙に可笑しくて、顔を緩ませたままそっと携帯を握りしめた。

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