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第16話

「…本気で殴られたくなかったら、マジで手を離せよ」 「イヤだって言っただろ?おまけに……」 「なに」 「まだお仕置きも済んでないよ」 「おい!」 もう一度近付いてきた渡辺が何をしようとしているかなんて一目瞭然。 何度もされてたまるか。 顔を横に背けながら、密着してくる相手の胸元に手を置いて押し離そうと力を込めた。その時。 「何やってるんですか?渡辺先生」 廊下に響いた硬質な声が、俺達二人の動きを止めた。 顔を横に背けていた俺の視界に入ったのは、部活帰りなのか、肩にスポーツタオルを掛けたままの黒いジャージ姿の静輝だった。 …なんでこんな所に…。 助かったと思うよりも、こんな場面を静輝に見られたという居たたまれない思いの方が強く湧き起こる。 それでも、静輝の登場に興を削がれたのか、渡辺が俺から離れてくれた事だけが唯一の救いだった。 感情を消した静輝の無表情の眼差しは、睨まれるよりも痛く突き刺さる。今の俺は被害者の方なのに、まるで悪い事をしてしまったかのように居辛い気持ちになる。 壁に寄りかかったまま溜息を吐いて俯くと、渡辺が静輝に向かって歩き出した。 そして静輝の横を通り際に、 「…いつまで自分を誤魔化すつもりなのかな?」 そんな意味のわからない事を口走り、廊下の角を曲がって行ってしまった。 その姿が見えなくなった直後、俺には謝罪どころか言葉すらもかけられなかったという事に気が付いてさすがにムカッときたが、それより何よりも、最初の一言以外何も言わず立ち尽くしたままの静輝が気になった。 「…あー…、静輝…、変なとこ見せて悪かったな」 「………」 張り詰めた空気の漂うこの気まずい雰囲気を払拭したくて軽く声をかけても、何も言わずただひたすら真顔で見つめてくる静輝に、どう対応していいかわからなくなってくる。 …参ったな…。 部活が終わった後に体を冷やすと良くないぞ、そう言おうと口を開きかけた時。 「…渡辺と何してたんだよ」 それまでだんまりを決め込んでいた静輝が、ボソっと呟くように言った。 言葉にした事によって抑え込んでいた感情の箍が外れてしまったのか、急くように歩み寄ってきた静輝は強い苛立ちの感情を露わにし、痛いくらいの力で俺の両肩を掴んできた。 「静輝ッ」 「御堂先輩だけじゃなくて、渡辺とも関係があったのかよ雅は!」 「関係ってなんだよ。今のはそうじゃないだろ」 「そうじゃなきゃなんなんだよ今の!キスされそうになってただろ!雅は抱く側なのになんで襲われそうになってんだよっ!!」 「静輝!ちょっとお前落ち着け!」 肩を掴む静輝の力が強すぎて、ギリギリと締め付けられるような痛みに自然と俺の声も荒くなっていく。 なぜ俺と静輝がこんな言い争いをする事になったのか…、もう何が何だかわからなくなってくる。 激昂した相手をとにかく落ち着かせようと手を伸ばした。だが、その手が静輝の頬に触れる寸前、耳に届いた言葉に、ビクリと震えて動かせなくなった。 「…雅が…雅が抱かれる側に回るなら…、俺が雅を抱く!」 「お前…何言っ……ッ…」 頭を掴まれ、押し付けられるように唇に触れた熱い何か。それが静輝の唇だと気づいた時には、咄嗟に手が動いた。 ガツッ!! 反射的な行動だった為に加減は出来ず、俺の拳は静輝の側頭部を思いっきりぶん殴っていた。これには静輝もたまらずに体を離し、頭を押さえて下に蹲る。 「…って…ぇ…」 「…少し…落ち着け」 そう言う俺も落ち着いている状態とは程遠く、今までにない程の勢いで鼓動が激しく胸を打ち鳴らす。でも、俺が平静を保たなければ静輝も熱くなった感情を冷やす事は出来ない。 深く息を吸い込んで無理やり意識を切り替え、頭の熱を冷ます。 それは静輝も同じようで、少しの間、廊下には二人の乱れた呼吸音だけが響き渡った。 暫くして、蹲っていた静輝がのっそりとした気の抜けた動きで立ち上がった。頭が冷えてさっきの自分の行動が理解できたのか、顔にはっきりと“自己嫌悪”の表情を浮かべている。更に、俯き気味になっているせいで暗い事この上ない。 「…さっきの言葉と行動は、頭に血がのぼってたからって事にしてやるから、静輝も忘れろ」 俺としてはこれが最大限の譲歩。きっと一晩寝て目が覚めれば、今日の事なんて「気のせいだった」で終わるだろう。…そうでなければ困る。 「………なんか…最近のモヤモヤの理由がわかった」 「…は?」 いきなりなんなんだ。 俺の言葉は完全にスルーされたと思われる静輝の発言に、間抜けにも口を開けて固まった。 更に続いた言葉に、今度は目を見開く。 「俺、雅が好きだ」 「…何…言って…」 「今は俺の気持ちを知ってくれるだけでいいから。…これからは俺の事、そういう対象として意識してよ」 「………」 さっきまでの自己嫌悪を払拭した真剣な顔の静輝を前に、立ち尽くしたまま何も言う事が出来なかった。

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