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第19話

目が覚めたように数度瞬きをする静輝を見て、少し気持ちが落ち着いてきた。溜息を吐きながら片膝を立てて、そこに腕を乗せる。 「…俺さ、御堂さんの事、最初はどうでも良かった。知り合いでもなんでもないし、全く関係なかったからな」 「うん」 「…けど、前に屋上で会って、いきなり『お前を俺のモノにする』って意味わからない宣言されて」 「…え…?」 テーブルの一点を見つめたままの俺の視界の端に、目を見開いた静輝の顔が映った。 「俺の事抱きたいとか訳わかんない事言ってるから、あの時は本気で登校拒否しようかと思った」 冗談っぽく笑いながら言ったけれど、静輝から笑い声は返ってこなかった。 「…それなのに、何故かいつの間にか普通に話すようになって…、気付けば一緒にいる事が凄く自然になって…」 「…雅…」 「俺は、御堂さんの最初の発言は冗談だったと思ってた。…いや、冗談だと思い込もうとしてた。だからこの前、お前に告られた事を話したんだ。そうしたら、ふざけるなって怒られて、それで今のこの状態」 「………」 「自分が馬鹿すぎて笑える」 最後は自嘲混じりに呟いて、話は終わり。 言葉に出すと、なんだかすごく単純な流れだ。それなのに、感情が単純ではいられない。御堂相手に、なんでこんなモヤモヤした苦しみを味わっているのか。…ただただ、今の状況が辛い。 いきなりこんな話をされて静輝も驚いたのか、互いの間に沈黙が横たわる。 そして暫くたってから、重そうに口を開いたのは静輝の方だった。 「…で、御堂先輩に怒られて、話をしなくなって、なんで雅はそんなに落ち込んでるの?雅は抱かれたくないんだろ?それなら元に戻ったって事で何も問題はないんじゃないの?」 片膝の上に置いたままだった腕を掴んできた静輝の手を、今度は振り払うような事はしなかった。ただ、訳のわからない自分の感情に、苦い笑いがこぼれ落ちる。 「…そのはずなのに…、なんか変なんだよな」 「変…って」 「御堂さんが俺の事を視界に入れてくれなかったり、他の奴と話している姿を見ると、…辛くなる」 「…雅…それって…」 驚いたように呟いた静輝の手が、俺の腕から力なく離れた。 「…苦しいんだよ」 そう言って胸元のシャツをギュッと握り締めた瞬間、物凄い力で(さら)われるように引き寄せられた。 体勢を崩して倒れそうになった俺の頬に当たるのは、Tシャツを着た静輝の肩。背中と腰にまわされている締め付けるほど強い感触は、静輝の腕。 何が起きたのかを理解する前に、真剣過ぎるくらいに必死な声が耳に届いた。 「雅を苦しめるなんて最低だ。俺なら絶対に雅を苦しませるような事はしない!…だから、…だから俺と付き合ってよ!雅の嫌がる事は何もしないから、ずっと俺だけの雅でいてくれればそれだけでいいから!」 「…し…ずき…」 静輝のまっすぐな想いが、痛くて、苦しい。 ギュッと抱きしめてくる腕は、信頼している相手だからこそ暖かく感じる。でも、それでも、心の中にある棘が抜ける事はない。それがここ数日、チクリチクリと己の内側を刺し続けている。 こんな事は初めてで、どうすればいいのかわからない。 「それに…、御堂先輩はあと数ヶ月でいなくなるんだから…、このまま忘れた方がいい」 静かに響いたその言葉に、胸の奥の棘がグサリと とどめを刺した気がした。 …そうか…御堂さんは、卒業……。 今更ながらに気づいた現実に、体が冷たくなった気がした。このままの状態で一つ上の御堂が卒業してしまえば、もう会えなくなる。 …もう、あの人の隣にいる事はできなくなる…。 それを考えただけで、息が詰まりそうになるほどショックを受けている自分がいた。 抱くとか抱かれるとか、本気だとか冗談だとか…、そんな事にばかり拘り過ぎてて、何か大切な事を忘れている気がする。 …俺自身は、あの人とどうなりたいと思っているんだ? 頭に浮かんだその疑問に、モヤモヤとした雲がスゥっと晴れていくのを感じた。 一番大事な根本の部分に、目を向けていなかった。…一番重要な、『俺自身の気持ち』を…。 短く嘆息して、顔を上げた。それと同時に、背に回された静輝の腕を優しくほどく。 「…雅…?」 「…ゴメン静輝。俺…自分の気持ちから目を背けてた。色んな事にこだわり過ぎて、それに囚われ過ぎて、認めたくなかったんだ。…俺は……御堂さんの事が好き、みたいだ…。あの人と一緒に、いたいんだ」 「…雅…」 目の前にある静輝の顔が、泣く寸前のようにクシャっと歪んだ。何かを言おうと口を開き、そして何も言わずに閉じる。 それが静輝の苦しさと心の葛藤を表しているようで、罪悪感が溢れる。でも、ここで誤魔化してしまったら、それこそ俺は最低な人間だ。静輝の言葉を待つしかない。 俯いて、己の内にいる何かと必死で闘っている静輝。 沈黙の中、再び視線が合ったのは、数分たってからだった。 ゆっくり伸ばされた静輝の手が、俺の頬に辿り着く。そして一度だけ、親指が目の下を優しく撫でてきた。 一瞬苦しげに瞼を伏せた静輝は、それでもすぐに目線を上げ、 「…そっか…、やっぱりそうじゃないかなって思ってた」 精一杯浮かべた笑みで呟いた。その切ない表情に、泣きたくなる。そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。 「静輝、俺は…」 「雅が誰かを好きって言うなんて初めての事だよね。……凄く、いい事だと思う。…ただ、それが俺じゃなかったのが、悔しいけど…、でも…、雅が心を決めたのなら…、まだ俺はそう簡単には諦められないけど、でも、…わかった」 長い付き合いだからこそ、俺の気持ちが本物だと、本当に好きなんだと、わかってくれたのだろう。 自分自身が泣きそうになりながらも微笑んでくれた静輝の優しさに、心の底から感謝をした。

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