12 / 25

第12話 俺、カッコ悪ぃ

  「ちょっ……やめろ、はなせよっ……」 「大和、全然歩けてないよ? 日本酒って足にくるっていうけど、大和ってすごくお酒弱いんだね、かわいい」  さも酔っ払いを介抱してますっていう顔で俺を店から連れ出したミハエルは、迷うことなくホテル街の方へと歩いていく。  土曜の夜の街は酔っ払った上機嫌な人たちでごった返しているけど、俺たちのことを不審げな目で見るやつなんて誰もいない。ただの泥酔したバカと、それを優しく担いでやってる気のいい友人、ってなふうにしか見えないだろう。  路地を曲がると、急にひと気が少なくなった。だが今度は、通りのあっちこっちで抱きしめ合ったり、ディープキスしているやつらが目立ち始めた。通りに連なる看板のネオンも明らかにエロい雰囲気だし、明らかにいかがわしさが上がっている。俺の危機感も、いよいよマックスに振り切れた。 「離せ!!!」  渾身の力を振り絞って、俺はミハエルの腕から飛び出した。その拍子にふらついた俺は、薄汚れたスナックの壁に背中を強かに打ち付けてしまった。 「危ないよ、大丈夫?」  優しい声を出しながら目の前にそびえ立つミハエルのうすら笑みを、俺は必死に睨み上げた。 「お前……何なんだよ!! どうしてこんなこと……!!」 「どうしてって? そんなの決まってるじゃない。大和のことが好きだからだよ」 「好き……って、はぁっ!? 何でだよ!?」 「ふふっ、何でって。……まぁ、そうだな。きちんと告白もしないでホテルに行くなんて、順序がおかしいもんね」  ミハエルはスマートな動きで壁ドンをして、俺を腕の中に閉じ込めた。壁の向こうからは、調子の外れたおっさんの歌声が聞こえてきて、最悪の気分に拍車がかかる。  こわごわ見上げた彫りの深い顔。  ネオンをバックに影になった顔に、碧い瞳だけがギラギラと光って見える。 「中学の頃、いつもいじめられていた僕を助けてくれて、ありがとう」 「……えっ……」 「あの頃からかな、僕は大和に憧れてた。でも、高校で離れちゃったでしょ? 僕本当は、大和と同じ学校に行きたかったんだけど、レベルを下げるのは許さないって、父親に言われてさ。……いやぁ、つらかったなぁ」 「……っ」  すうっ……とミハエルの手が俺の顎を掴む。うっそりと幸せそうな笑みを浮かべるミハエルの表情に、俺は心底ゾッとした。 「大和への気持ちは、ただの憧れだと思ってた。でもね、今日再会してはっきり分かったんだ。これは恋だって」 「こ、い……」 「そうだよ? しかもさぁ、大和、男が好きなんだね。最高じゃないか。運命だと思った」 「い、意味分んねぇよ……何でそうなるっ……ンっ……!!」  キスを迫られ、俺はとっさに顔を背けた。するとミハエルは舌を伸ばして俺の耳をねっとりと舐め上げながら、また、俺の股間を揉みしだきにかかってくる。  自分よりもひと回り大きな男に、しかも、好ましい感情をひとつも抱いていない相手にねじ伏せられる恐怖に、身が竦む。奥歯を噛み締めてミハエルを突き放そうとしたけど、まるで身体に力が入らなかった。 「ハァ……っ……かわいい、抵抗してるの? 大丈夫、すぐに良くしてあげるから」 「ばかっ……やろう!! やめろって言ってんだ!! ぜ、絶交すんぞ!!」 「はははっ! この状況で絶交って、あぁ……もう、大和はどこまで可愛いんだろう。……そこ、ホテルだから。すぐ入ろうね」 「や、やだっ……やめろバカっ……!!」 「サワ、っていったっけ? 顔は綺麗だけど、プライドばっか高くてつまんないだろ? 大和、かわいそうだよ。僕が、ちゃーんと幸せにしてあげるからね……?」 「っ……」  ――え、いつ俺、こいつに佐波の話しした……!?   ミハエルの口から佐波の名前が出たことに驚いて、一瞬俺は動きを止めた。そして、ハッとする。  ――あっ……!! 酔って調子よくペラペラ喋ってた時、口滑らせたのか!? だからゲイだって気付かれた……!?  迂闊な自分に心底腹が立ち、思わずその場に崩れ落ちそうになった。すると、ミハエルの大きな手が俺の腰を掴み、ぎゅっと強く抱き寄せられる。酒気を含んだミハエルの吐息が、耳元で生暖かく吹きかけられた。 「ふふっ、大人しくなったね。……さ、行こっか」 「おい、待てやコラ」  とその時、背後から、聞き慣れた声が勇ましく響いた。  しなしなに萎えていた心にふっと力が蘇り、俺はハッと後ろを振り返る。 「……さ、佐波……!」  路地のど真ん中に、肩で息をする佐波が仁王立ちしていた。顎を伝う汗を拳で拭った佐波は、顔を隠すように掛けていた伊達眼鏡をゆっくりと外し、アスファルトの上に叩きつけるように投げ捨てる。  目からマグマが溢れ出しそうなほどに、佐波が激怒しているのがわかった。深く刻まれた眉間の皺も、いつも以上に鋭く尖った綺麗な目も、硬く引き結ばれた口元も、何もかもが怒りに染まっている。  ――ま、まさか、俺を助けに来てくれたのか……!? で、でも危険だ……!! 拳じゃミハエルには敵わねーからっ……!! 「コラ大和。お前、こんなとこで何してんねん」 「えっ……俺?」 「なにをフラフラ連れ込まれそうになってんねんドアホ!! せやから飲みすぎんな言うたやろうが!!」 「ごっ……ごめんなさい!!」  佐波の厳しい一喝に、その辺を歩いていた酔っ払いやイチャイチャカップルどもが、一斉にこっちを見た。それでも佐波はお構い無しに、ずんずんこっちに向かって歩いてくるやいなや、ぐいっと俺の胸ぐらをひっ掴み、ミハエルから引き剥がす。  そして、その場で思いっきり、キスされた。 「んっ…………んっ……!!?」  ――えっ、エッ……!? 何で?! 何で佐波、俺にチューしてくれてんの……!!?  と、俺は内心大パニックだが、乱暴な手つきで両頬を包み込む佐波の手のひらにも、懐かしささえ感じる佐波の唇の感触にも、匂いにも、心の底から安堵していた。  戸惑う俺をよそに、佐波は自ら俺の唇を割って舌を挿入し、荒っぽいディープキスを仕掛けてくる。佐和がこんなに積極的に俺を求めてくれるなんて初めてのことで、ついさっきまで情けなく縮こまっていた俺の股間、急に元気になる。しかし、興奮している余裕などない……! 「ふうん、大事にはしないくせに、取られそうになると必死になるんだね」  上の方から、ミハエルの醒めた声が降ってくる。  すると、佐波は俺とのディープキスをやめ、どんっと俺を押しのけた。「うおっ……」とふらついた俺は、再びスナックの壁に背中を預ける格好になってしまった。力の入らない脚を何とか突っ張り、へたり込むことはなんとか避けたのだが……。  目の前で、佐波とミハエルの戦いが始まっている。  190越えの長身美形のゲルマン民族に何一つ怖気付くふうでもなく、佐波はどこまでも冷徹な表情だ。ミハエルをまっすぐに見据えつつ、佐波は間延びした声でこう言った。 「はぁ? こいつ酔わせて、ラブホで強姦しようとしとったお前には言われたないねんけど」 「酔わせてなんていないし、強姦なんてとんでもない。大和はね、僕といるのが楽しくて、ついついお酒が進んじゃっただけさ。だからちょっと休ませてあげようと思っただけ」 「へぇ〜そら優しいことで。けど、そうは見えへんかったけどなぁ」 「それにね、君は大和にふさわしくない。何にも気づいてないみたいだけど、大和は君に愛されてると思ってないんだ。だから、代わりに僕が愛してあげようと思っただけさ」 「……」  ふっと、佐波が息を飲むのが分かった。  だが、俺が言葉を挟む前に、佐波はミハエルをまっすぐに見据えたまま、はっきりとこう言った。 「それは俺とこいつの問題やろ。お前に何の関係があんの?」 「関係なくはないさ。だって、僕は大和を愛して……」 「で? 大和は、お前のこと好きやって言うたんか?」  佐波は腕組みをし、強気かつ冷静な口調でそう尋ねた。すると一瞬、ミハエルのギリシャ彫刻のように整った顔が、険しく歪む。その表情を見た佐波は、話は終わりとばかりに鼻を鳴らして、尖った目つきでミハエルを一瞥した。 「大和、帰んで」 「あ……おう」  そして佐波は俺の手首を引っ張ってまっすぐ立たせながら、どことなく困ったような顔でこっちを見上げた。そしてふいと視線を逸らし、そのまま手を引いて歩き出す。 「タクシー拾うわ。そこまでは、頑張って歩けよ」 「うん……」  握られた手首から、冷えた佐波の指の感触が伝わってくる。手を引かれながら小さく後ろを振り返ってみると、燃えるような瞳で、ミハエルがこっちを凝視している姿が見えた。  ぞっとしつつも、俺の胸を行き来するのは複雑な感情だった。  佐波に対する申し訳なさや、不甲斐ない自分への情けなさ。そして、友人だと思っていた相手からぶつけられた、むき出しの欲望に対する戸惑い……。  ――ああもう、訳分かんねー……。  佐波が停めたタクシーに乗り込んだ途端、ガンガンと頭が激しく痛み始めた。  行き先を告げる佐波の声を聞きながら、俺は固く目を閉じた。

ともだちにシェアしよう!