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第13話 佐波の言葉で

   キレられるか、一発くらいぶん殴られるか、それくらいのことは覚悟してた。  でも佐波は、玄関の段差に座り込んだ俺を無表情な瞳で見下ろしている。降ってくるであろうと思っていた罵詈雑言は一切なく、ただ沈黙があるばかりで、俺は戸惑いながら佐波を見上げることしかできなかった。 「……佐波、あの……」  いたたまれなくなった俺が口を開こうとした瞬間、佐波がつかつかと歩み寄ってきた。ついに拳の制裁か……!! と、俺はとっさに身構えたが、硬い拳は一向に降っては来ない。ただ気づくと、俺は天井を見上げる格好になっていた。 「さ、佐波っ……なに、っ……」  廊下に押し倒された俺の上に、佐波が馬乗りになっている。そして、無言のまま、濃厚なキスが降り注ぐ。  いつもの控えめな態度とは全く違う。乱暴で、食らいつくかのような、荒っぽいキスだった。 「っ……ンっ……さわ、っ……ふぅっ……っ」 「……しよう」 「えっ……? な、なんだよっ! 佐波っ……」  佐波はおもむろに身体を起こし、羽織っていた上着を脱いだ。そして身につけていた長袖のニットをたくしあげ、それさえも脱ぎ捨てる。唐突に目の前に晒された佐波の肌に、俺は仰天するばかりだ。だが佐波は無表情のまま、今度は自分のベルトにまで手をかけようとしている。俺は大慌てで身体を起こし、佐波の手をガシっと掴んだ。 「な、何やってんだよ!」 「……セックスする」 「えっ……?」 「ここでしよ、セックス」 「……えっ? い、いや何言ってんだよお前! こんないきなり……」 「じゃあ! 俺は、どうしたらいいねん……!」  荒々しく俺の胸ぐらを掴みながらも、佐波は声を詰まらせた。ぎゅっと引き結ばれた唇が震えて、今にも泣き出しそうな顔になる。  あまりの痛ましい表情に、俺は思わず佐波をぎゅっと抱きしめた。突っぱねられるかと思ったが、佐波は身体を強張らせたまま、俺の腕の中で苦しげにため息をついた。 「……こんな……いっつもいっつもツンケンしといて、どの口が言うねんって感じやけど……」 「へ……?」 「俺……ほんまに好き。好きなんやで? ……大和のこと」  またしても唐突に愛の言葉を伝えられ、俺はどぎまぎしながら裸の佐波をあたためるように抱きしめた。そうしていると、こわばっていた佐波の身体から、徐々に力が抜けてくる。 「……『愛されてない』なんて、思われてたなんて……めちゃショックで」 「い、いやいや!! あいつの言うことなんて気にすんなって!! あいつが、適当なこと言っただけだから……!!」 「どうせ、俺の愚痴でも言うてたんやろ。……まぁ、しゃーないわな。かわいないもん、こんな、俺みたいなやつ。俺でもいややわ……」 「ちょっ、そんなことねーって!! なぁ、佐波、こっち向けよ。なぁってば」  顎を掴んで半ば強引に顔を上げさせると、佐波は虚ろにもの悲しげな表情を浮かべていた。俺と目が合うと、佐波ははっとしたように目を瞬き、ぽっと頬を染めて目を逸らそうとする。  だが俺は、両手で佐波の顔をホールドしたまま、じっと佐波の瞳を覗き込んだ。  その瞳が、うるうると涙の膜に覆われて、潤み始める。 「今日のことは、本当にごめん……!! あいつとは中学ぶりに会ったから、つい酒が進んで、なんか……あんなことになっちまって……」 「いや……元はと言えば、俺が変な態度とってまうんが悪いねん。……これからはもっと、がんばる、から……」 「ううん、俺に自信がなさすぎるせいで、こんなことになったんだ。ハァ……情けねぇ」 「自信?」  佐波が怪訝そうな表情を浮かべて俺を見つめている。  いい機会だと思った。俺は、ミハエルに吐露した未来への不安を、全て佐波に話して伝えることにした。  佐波はひとときも俺から目をそらすことなく、黙って話を聞いてくれていた。 「……まぁ、要するに。カップル内格差ってやつ? それに若干卑屈になっちまう時があるっていうか」 「……そうやったんや」 「ま、けどさ。そんな将来のことまで勝手に妄想されて勝手にへこまれたんじゃ、お前も重くてやってらんねーよな。ははっ。だからあんま気にすんな。そんときゃそんとき考えればいーし?」  重くなってしまった空気を散らそうと、俺は無理に乾いた笑い声を立てた。  だが、その唇が、佐波のキスによって塞がれる。首に絡みつく裸の腕と、ちょっと乾いた唇の感触に、俺は虚しい笑いを引っ込めた。 「佐波……」 「俺はな、大和。できれば会社は継ぎたいと思ってる。俺にその能力があるって認められるように、勉強もしてるつもりや」 「えっ? あ、うん……」  俺に抱きついたまま、佐波は決然とした口調でそう言った。さっきまで不安げに揺れていた瞳が嘘のように、佐波の視線には強さが宿っているように見えて、俺はごくりと息を飲む。 「あと……親父は、俺がゲイだって知ってる」 「へぇ……そうなんだ………………って、えっ!? そうなの!?」 「うん。……今となっちゃ笑い話やけど、中三の頃、俺、ネットでゲイ動画とか漁ってたことあって。それが親父にばれてんな」 「うわぁ……マジか」 「どう誤魔化そかって焦ったけど、親父は別に怒らへんかった。ただ、『誰を好きになっても構わへんけど、社会には、お前みたいな子を騙そうとする奴がめっちゃおる。自分の身体は大事にせぇ。賢く生きななあかん』って、大真面目に説教されたんや」 「そうなんだ……」  そこまで話して、佐波はぶるりと寒そうに肌を震わせた。俺は慌てて、自分が着ていたパーカーを、すぽんと佐波にかぶせてやる。ぶかぶかのパーカーに身を包んだ佐波は、いつもよりもなんだか小さく見えた。 「親父からモデルの仕事打診されたときにも、おんなじこと言われたわ。『業界にはそう言う奴が多いからうんぬん』って。神辺さんはオープンやし、親父とも昔から仕事で付き合いがあったから、なんかあったらあの人に相談しって言われててん」 「……そっか」 「親父は無理に仕事を引き継がんでもでもいいって言ってくれてはったけど、継ぎたいっていう俺の意思は伝えてある。俺のことは、ちゃんと理解してくれてるから。……その、大和のことも、きっと分かってくれると思う」 「えっ……」  佐波は俺の太ももの上でうつむいて、ちょっと照れ臭そうにうなじを掻いた。 「大和がどこでどんな仕事したいんかは分からんけど……。俺はそんな感じ。ゆくゆくは京都に戻んねんけど……」 「あ、おう……」 「関西にも、いっぱい企業とかあるわけやし。……だからその……大学出てからも、俺は、大和と……」  顔だけじゃなくて、耳や首筋まで、みるみる真っ赤に染まっていく。佐波は困りきったような顔で口をつぐんで、長い睫毛をもどかしげに上下した。  そこから先の言葉は、言われなくてももう分かる。けど、どうしても佐波の言葉で聞きたくて、俺はぐっと息を詰めた。佐波が俺との未来をどう捉えているのかってことを、きちんと知っておきたかったから。 「俺と……なに?」 「せやし、その……卒業してからもずっと、大和と……一緒におれたらいいなって、思ってる…………」  最後の方は蚊の泣くような細い声だった。でも、ちゃんと聞こえた。俺はちゃんと受け取った。  ぎゅうぎゅうと佐波を抱きしめていると、つーんと鼻の奥が痛かった。抱きしめた佐波の身体は、照れのせいか熱く火照って、かわいくてかわいくて、たまらない気持ちになった。 「佐波〜〜〜〜〜っ!! かわいい、はぁ〜〜〜かわいい。好き、好きだよ。うん、ずっと一緒にいる!! 一緒にいような!!」 「っ…………うん、そっか。うん……そういう、ことやから……うん」 「ああぁもう〜〜〜マジで嬉しい。お前がそんなこと思ってくれてるなんて知らなかったもん!! あ〜〜〜泣きそう、泣くわ俺。ごめんちょっと泣いていい?」 「かまへんけど……そ、そんな泣くほど喜ばんでも……」 「嬉しいに決まってんじゃん!! 俺、ほんっとに自信なくて……お前、なんでもできるしなんでも持ってるからさ、俺、なんもできねーじゃんって思ってたから」 「そんなことない! 俺かて、このままじゃ、大和に飽きられて捨てられるかもって思ってて……」 「そんなことあるわけねーだろ!!」  目が熱い。きっと、馬鹿みたいに赤い目をしてるんだろうなと思いつつ、俺はじっと佐波を見つめた。すると佐波は、いつものように困ったような照れ顔をしつつも、じっと俺を見つめ返してくれている。  ちゅっと軽くキスをして、もう一度佐波を抱き寄せる。俺のダボダボパーカーに包まれた佐波の身体を抱きしめ、俺はぽろぽろ泣きながらこう言った。 「佐波じゃなきゃ、俺、だめだもん。……好きだよ、ほんとに好き。分かってくれる?」 「……っ、わ、分かってる。……俺も、おんなじ」 「えへへへっ……」  笑っているのか泣いているのか、自分でもよく分からない。  自然と吸い寄せられるようにキスを交わしながら、俺はひょいと佐波を抱き上げ、ベッドルームに運ぶことにした。

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