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第20話 大声でやめて
「うわ……ボッロ」
マイクロバスで合宿所に到着し、宿泊施設を見上げた瞬間、佐波がさらっとそんなことを言った。俺はベシッ! と佐波の尻をひっぱたいて、「しーーっ!! こら、いきなりそんなこと言うんじゃねー!」と黙らせる。
「ていうか、そんな古くもねーだろ。きれいじゃん。これだからセレブはめんどくせーんだ」
「素直な感想言うてるだけやん。……ていうか、どんだけ強く叩くねん。ヒリヒリするわドアホ」
と、佐波はやや頬を赤らめながら、恨めしげにこっちを見上げた。濡れた瞳が色っぽいし、引っ叩いた尻の感触がまだ手のひらに残っていて、なんだか妙にむず痒いような気分だ。でも……。
「東雲学園大学の皆さん、お疲れ様です〜!! さあ、まずはミーティングルームへどうぞ!」
ぬ、と俺たちの前に、ミハエルが突然姿を現した。玄関先へ東雲学園大のメンバーを出迎えに来たのだ。英誠大のメンバーは先に到着していたらしく、荷物もすっかり片付いている。
外観はいかにも古そうな建物だが、一歩足を踏み入れたエントランスは広々として天井も高く、二階まで吹き抜けの解放的な空間だ。蛍光灯の白い明かりが若干殺風景な雰囲気ではあるが清潔感はあり、俺個人としてはむしろ想像よりきれいだなと思う。
だが、東雲学園大はセレブ大でボンボン揃い。「なんだ、リゾートホテルじゃねーの?」「プールで泳げるかと思って、水着持ってきたのにな〜」「ここ、レストランはあるのかな。フレンチ? イタリアン?」などなど、聞こえてくる場違いな会話にため息が出る。先輩たちは流石に慣れているようだが……。
ちなみに、ここまでうねうねと蛇行した山道を登ってきたこともあり、数人の学生は車酔いに苦しんでいる。バスを降りた今も青い顔をした仲間が何人かいて、あとで介抱しなきゃと俺は思った。
俺はウインタースポーツはほとんどやらないから、雪山なんて中学校のスキー合宿以来だ。新鮮な風景を眺めるのが楽しかったし、隣でうたた寝をする佐波が俺にもたれてくれてるのが嬉しくて、車酔いどころじゃなかったわけだけど。
標高が上がるにつれて雪はどんどん深くなり、普段生活している街中では到底見られない量のドカ雪を目の当たりにした。運転手の言うことには、ここ一週間山の天気は大荒れだったらしい。だが今日は珍しく青空がのぞいているし、その低気圧が幸いして、スキー場は豊富な雪に恵まれているのだという。
街歩きの格好でバスに乗り込んだ東学のメンバーたちは口々に「寒っ」「さみー! 早く中入ろうぜ!」と肩を寄せ合ってミーティングルームの方へと消えていく。そしてエントランスには、俺とミハエル、そして佐波だけが残った。
「あぁ……会いたかったよ、大和」
嫌な予感はしていたが、案の定、ミハエルは目をキラキラと潤ませつつ、俺に向かって両手を広げた。そして、今にも食らいついてきそうなアブナイ吐息をハァ〜ハァ〜と漏らしながら、一歩二歩と、こっちに向かって近寄ってくる。
「お、おう……久しぶりじゃん。元気そうだな」
「ううん、元気なもんか! 大和に会えなくて、さみしくて、つらくて……っ!」
「お、おう……」
「大和……ああ、生身の大和だ……さ、触ってもいい……?」
両手をわきわきさせながらにじり寄ってくるミハエルの表情は、さすがの俺でもギョッとするほどに鬼気迫るものがあった。冷や汗をかきながらじりじり後退していると、スッと俺の前に佐波が勇ましく立ちはだかる。
「いいわけあるかい。大和に近寄んなやデカブツ」
「くっ……クソビッチ野郎……!!」
佐波の姿が眼前に迫るやいなや、ミハエルはぴきぴきとこめかみに青筋を浮かべて表情を引きつらせた。だがすぐに、どことなく勝ち誇った表情を浮かべたかと思うと、ミハエルはを一枚のA4用紙をチラチラと佐波の目の前でちらつかせた。そして、意地の悪い口調でこんなことを言い放つ。
「はいこれ、東学さんに送り損ねてた部屋割りのページだよ。よ〜く見て、自分の部屋に荷物を置いてくださいね〜〜」
「……ん? な、何やねんこの部屋割り。何で俺だけ英誠のど真ん中で、大和はお前と同室? しかも二人部屋!?」
「えっ、何それ」
「まぁ〜〜しょうがないだろ? この合宿は両校の親睦を深めるためのものでもあるんだ。部屋割りはあみだで決めただけだし? 部屋割りは僕に任せるって一任してくれたのは大和だし?」
佐波といちゃいちゃしながらミハエルの電話を受けた時、何だかそんな話をされたような気がする。でもあの時は佐波からのちょっかいに戸惑いつつも興奮してたから、ちゃんと話を聞いてなかったような……。
しおりは一週間ほど前に配布したのだが、ミハエルから送られてきたデータには部屋割りだけが抜けていた。確認してみると、「当日までには送るね! うっかりしちゃってごめん!」と返信が来たのだ。
それが今目の前に提示されているわけだが、ミハエルの思惑が有り余るほどに溢れ返り過ぎていて呆れるしかない。しかも、よその大学メンバーの中に佐波一人なんて心配すぎる。信頼の置ける英誠大メンバーだが、夜中に変なテンションになって間違いでもあったら……!!
「ミハエル、これはさすがにねーだろ! だ、だいたい何で俺とお前だけ二人部屋なんだよ!」
「いやいやいやいや〜〜だって僕らは幹事だよ? 色々と話し合うことがあるでしょ? だって幹事だから」
「いやいやいや……で、でもお前、これじゃ俺、他の英誠大の人らと仲良くなれねぇっつーか」
「大丈夫大丈夫! 大和は誰とでもすぐに仲良くなれるもん。別に夜まで頑張らなくても大丈夫だよ。僕と二人で、のんびり過ごそう?」
「い、いや……けど」
明らかに勝ち誇った笑みをひけらかしながらA4用紙をひらひらさせ、ミハエルは佐波を真上から見下ろした。そして、「どうだ」と言わんばかりに鼻の穴を膨らませている。
さが佐波は、想像以上に冷静だった。クールなため息をつきながら、ネックウォーマーの中に手を突っ込んでうなじを掻いている。
「まぁ、あんたもいろいろ考えてはるみたいやけど。別に部屋割りとかどうでもいいで」
「……何だと」
「部屋割りなんて、あってないようなもんやん。どうせみんな適当に抜け出して、仲ええやつらの部屋に遊び行ったりするやろしさ」
「……そっ……そんなの僕が許さないよ! だってこれは、僕と大和が過去の友情を取り戻して夜の親睦を深めるための……ッ」
「はっ、夜の親睦て何やねん。下心見え見えすぎて笑えるわ。大和かて、お前みたいな危険人物と二人きりの部屋にほいほい泊まるわけないやろ、アホか」
「ちょ、おい、佐波……」
あまりにもきつい口調でそんなことを言い放つものだから、俺は思わず横から佐波の口を塞いだ。すると佐波は上目遣いにこっちを見上げて、長いまつ毛を上下させる。
「そこまで言わなくてもいいから! ミハエルのやつ、傷つきやすいんだしさ」
「はぁ? こんな下心丸出しの変態庇う必要ないやん。俺は事実をありのままに言うてるだけで……」
「……このぉ…………クソビッチがぁ…………ッ!!」
ドスの効いた低音が、さながらオペラのようにエントランスに響き渡った。ぎょっとして見上げてみると、ミハエルが般若面のごとし表情に豹変しているではないか。ブルブル震えながら拳でグッシャァァ……と部屋割りを握り潰し、ぎょろりと大きな目で佐波を睨みつけている。……ヤベェ迫力……めっちゃ怖ぇ。
「クソビッチの分際で、僕の崇高な大和を支配しようだなんて!! お前はどこまで図々しいんだクソっ!!」
「図々しいのはそっちやろ! あとから出てきてギャーギャーうっさいねん!! だいたいお前、大和酔わしてレイプしようとした前科あるやろ! そのくせデカイ面してんちゃうわ!!」
「そっ……それは違う!! あれは、あれは……そのっ……そ、そっちこそ!! モデルだか何だか知らないけど、どうせチャラチャラ色んな男と遊んでるんだろ!? 飽きたらどうせ他の男に乗り換えるんだろ!? 汚らわしいクソビッチめ!!」
「はぁ!? 俺のどこがクソビッチやねん全然ちゃうわ! 大和としたんが初めてやドアホ!!」
「おぃぃ佐波!! 大声でそんなこと言っちゃっていいわけ!?」
二人の迫力に気圧されて喧嘩を止めるに止められないままでいたのだが、佐波が超絶な問題発言を言い放ったところで、俺は思わずまた佐波の口を塞いだ。佐波はもごもごと俺の手のひらの下で何かもっと物言いたげにしていたが、さっきまでとは打って変わって、ミハエルが微動だにしない。フリーズしたパソコンのように、静止したままだ。
「…………は、はじ…………はじじ、はじ…………めて…………」
だが、よくよく聞いていると何か呟いている。
「ミハエル、あのさ……」
「…………そ、そうなんだ……へぇ…………そりゃ、そりゃわかってたけどさ……へぇ…………も、も、ももう、そういう関係なんだ……へぇ…………へぇ……大和、こいつのこと…………へぇ…………」
「お、おい。あのさ、だからさ」
「別にそんなことどうだっていいもんね!! 身体のつながりより心のつながりのほうが崇高で尊いものなんだし!? べ、べつに大和がこのクソビッチを抱いてようが抱いてなかろうが、どっちだっていいことだし!? こ、今回のお泊まりのことだって、このクソビッチのせいで汚れた大和の心を綺麗に清めてあげたいから画策しただけだし!?」
「わーわーわー!! ミハエル、もうやめろってぇ!! それ以上大声出すんじゃねーよ!!」
ガタイのいいミハエルの見事なテノールボイスのおかげで、ミーティングルームからはちらほら学生が顔を出し始めている。それに気づいた俺は大慌てで両手を振り回し、ミハエルの言葉を制止した。だが、荒ぶるミハエルは止まらない。
「もう知らない!! 見損なったよ大和!! もう知らないんだからな!! うわぁぁぁん!!」
「あっ、ミハエルっ……!!」
ミハエルは大きな目からぼろぼろと大粒の涙を零しながら捨て台詞を吐くと、ダッとそこから外へ駆け出していってしまった。
あまりにも乙女チックな退場の仕方を呆然と見送っていると、隣で佐波が派手にため息をついた。
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