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第22話 最悪オブ最悪〈佐波目線〉

   大和にはああ言ったものの、俺は一つの心当たりを頼りに、一人吹雪の中を歩いていた。  さっき、大和や藤間たちとボードに高じていた時、ちらりと樹々のまにまに見えたものがあった。  小さな、コンクリート製の倉庫のようなものだった。  遊んでいる時、滑走コース案内の立て看板に書いてあった文章をちらりと見たのだが、このスキー場では、この数年で大規模なコース変更が行われたらしい。初心者コースと上級者コースふたつに分けるためだ。新たに山肌を整備し、両コースをオープンさせるにあたり、昔経っていたコテージやボイラー室などの設備の位置を変えるため、大規模な工事を行なったと言うことも。  おそらくあの小屋は、その工事の名残だろう。二つのコースの谷間に置き忘れられたかのように、ぽつんと佇んでいた無機質な建物だ。どうしてそれだけ取り壊さなかったんだろう……と、頭の片隅で疑問を感じたせいで、その小屋の存在のことは、妙に俺の記憶に残っていた。  ――絶対あそこやろ。ホテルからはそない遠くないし、ふてくされた乙女チック野郎が駆け込むにはちょうどいい距離感や。おおかた、大和に追いかけてもらうあたりまで想定してたんやろうけど……。  ミハエルがそこにいるのでは……と思い立ったのはついさっきのことだった。目星がついたのならば、すぐにそれを英誠大のメンバーに伝え、吹雪が収まるのを待った上で、もっと大人数で捜索に出た方がいいのでは……とも思った。だが、吹雪はいつまでも止む気配を見せない上、行方不明からすでに四時間が経過している。これ以上、あそこでぼうっと待っておくことなんて俺にはできない。  ――だって、俺が余計なこと言うたからやしさ。大和のあんな顔、これ以上見たないし……これで凍死でもされたら寝覚め悪いし……。  と、腹のなかで悪態を吐きつつも、不安は募っていく一方だ。 「……しっかし、やばいなコレ、まったく前、見えへん」  防寒対策しているとはいえ、横殴りに叩きつける大粒の雪が、俺の視界を真っ白に塗りつぶす。おまけに、フードをかぶっているので、聞こえるのはごうごうというくぐもった風の音ばかりだ。ボード用のゴーグルは装着しているが、これじゃあってもなくても同じかもしれない。  だが時折、ふっと雪が途切れて、うすぼんやりと辺りの景色が見えることがある。その風景と方向感覚を頼りに一歩一歩雪を踏みしめ、俺はミハエルがいるであろうと踏んでいるあの小屋へと向かっている。  例の小屋の位置は覚えている。空間認知能力にも自信はある。だが、さすがに、警察さえ動けない大雪の中、たった一人で滑走禁止区域に向かうなど……これはいくら何でも無謀すぎだ。自分でも分かっている。 「でも、もうちょい……もうちょいや。この坂、降れば……」  コースから少し離れた林の中は、滑走禁止区域。葉の落ちた林の中は一見見通しも良さそうだし、誰にも踏み固められていないパウダースノーに覆われた山道には冒険心をくすぐられる。だがその新雪の下には、岩や倒木または崖など、自然そのままの地形が広がっているため、うっかり足を踏み入れるには危険な場所だ。しかも、こんな視界の悪い吹雪の日には、特に。 「っ……!!」  ズッ……!! と足が深い雪に埋まる。ただでさえ歩きにくい新雪地帯だ。何の装備もしていない時点でこうなることは予想できていたのだが、変に重装備で出かけようとすれば、大和に止められるか付いてこられるかのどちらかで、こっそり探しに出ることはできなかっただろう。 「ああ……クッソ……!! ほんっま何してくれてんねんあのデカブツ乙女チック野郎は……!!」 と、苛立ちまぎれに声を荒げたその瞬間、ザザザっ……!! と足元の雪が一気に崩れた。俺は声にならない悲鳴をあげ、なすすべもないまま雪とともに落下してしまった。  だが、衝撃は軽いものだった。腰を打ったが、大した痛みではない。 「っ……びびった……」  どこも怪我はしていないだろうかと、おっかなびっくり雪を押しのけ、ゆっくりと立ち上がる。大した高さではなかったらしい。  しかもそれが功を奏したようだ。  目の前に、例のコンクリ製の小屋のシルエットが薄ぼんやりと佇んでいるのが見える。俺は雪がごっそりと付着したゴーグルを上げ、目を細めつつゆっくりとそちらに歩み寄った。 「……あった」  どっしりとした壁に触れると、激しい安堵感で倒れそうになった。だが、そんな悠長なことをしている場合ではない。ここからが本番だ。  鉄製の古い扉に触れてみる。ごつい手袋越しにでも凍てつくような冷たさが伝わってきそうな、きんきんに冷えた鉄の扉だ。ペンキのはげかけたそれをグッと強く押してみると、ズズ……ずず……と地面を引っかきながら、扉が開く。 「開いた……!! よっしゃ……」  さらに体重をかけて押し開き、人一人が通れるくらいの隙間を開くや、俺は素早く中に体を滑り込ませた。そして今度は背中で扉を押し、吹き込む風雪を遮るようにドアを閉める。  倉庫の中は暗い。だが徐々に目が慣れてくると、そこが六畳くらいの広さであり、埃をかぶった雪かきの道具や、ひび割れたカラーコーン、そして何が入っているのか分からない麻袋のようなものが積み上がっているのが見えてきた。そして扉とは反対側の壁際に、何やら……こんもりと盛り上がっているものが……。 「あっ!! お前!!」  大慌てで駆け寄ってみると、それはやはりあの男だった。  ミハエルが体育座りをした状態で腕に顔を埋め、じっとうずくまっているのだ。フードを目深に被って顔を伏せ、うんともすんとも動かない。あまりにもひっそりとした空気感だったから、ひょっとして最悪の事態がすでに目の前に転がっているのでは……!? とゾッとした。 「おい!! おい!! 何やっとんねんお前!! こら、起きんかいコラァ!!」 「っ、うっ、……」  ゾッとしつつも、俺はミハエルのフードを引っぺがして襟首を掴み上げ、バシバシバシバシと頬を張った。  すると、ミハエルはぐわんぐわんと揺さぶられながらも微かにうめき声をあげている。それに、触れた頬は冷えているものの、吐き出される吐息は微かにあたたかい。ホッとするやら腹がたつやら、込み上げてくる感情を何とか俺は押さえ込み、もう一度ミハエルの頬を軽く叩いた。 「おい!! 起きろ!! ベタやけど、寝たら死ぬぞ!! ほんまに死ぬぞ!!」 「う、う……ん。大和……? や、やまとぉ……ああ、助けに来てくれたんだぁ……」  ミハエルは半目状態で、呂律の回らない口でそう呟いた。まだ深い夢の中をさまよっているような状態に見える。  ――低体温症か……? 手、めっちゃ冷たいし、意識も朦朧としてる。  ――……まさかこいつ、ここに隠れて、大和に迎えに来てもらうまで隠れてるつもりやったんちゃうん? そんで結局動くに動けへんまま低体温症になったとか……? 「はぁ……もう、どんだけアホやねんお前!! 天下の英誠大学の学生やろ!! しゃんとせぇボケ!!」 「う、うう……う……ん」  ミハエルの耳元で大声を出しつつ、俺は大和たちに居場所を伝えるべくスマートフォンを取り出そうとした。だが、ポケットの中をうまく探れない。吹雪の中にいたのはほんの十数分だが、俺も寒さに強いほうではないせいか、グローブの中で指先がかじかみ始めているらしい。 「ん? スマホ……スマホ? あれ?」  ポケットの中に入れていたはずのスマートフォンがない。どこにもない。手袋を外してポケットというポケットを探ってみたが、やはりない。俺は青くなった。  ――あっ!! さっき、足元崩れてコけたとき、落としたんちゃう……!?  そうだ、それならばすぐそこに落ちているにちがいない。俺のスマホは防水だ。多少雪にまみれても壊れることはないだろう。そうだ、今すぐ取りに行こう。連絡手段がなければ、それこそ俺はアホなミイラ取りだ。  だがその時、大地を揺るがすがごとき轟音が、ゴゴゴゴゴ……!! と建物を震わせた。  地震か何かかとビビった俺は、とっさにミハエルにしがみつき、何が起こるか分からない恐怖に身を縮ませた。不気味ば轟音はしばらく続き、倉庫内に置かれているものがみしみしと軋む音が俺の不安を掻き立てる。  そして、静寂。  そっと顔を上げてみると、あたりはまるで無音だ。ついさっきまで聞こえていた風の音も、何も聞こえない。のっぺりとした分厚い何かに包み込まれているかのように、空気さえも動かない。 「……まさか」  俺はそっと立ち上がり、さっき外から押し開けた鉄扉のノブを握ってみた。さっきは何とか開いたのだ。体重をかけてノブを引っ張れば開くはずだ。だが、その扉は、どういうわけかビクともしない。  気持ち、表面がさっきよりも内側にたわんでいるような気がしなくもない……。  ――雪崩!? まさかこの建物、雪崩で埋もれてるんとちゃうか……!?  予感は、恐らく的中している。  確信したくもない、最悪の事態だ。

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