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第23話 裸の付き合い〈佐波目線〉
「おいおい……マジか」
これ以上に最悪な状況があるのかというくらい、最悪な状況だ。この後どうすべきかということを考えようとしてみたけど、まるで思考がまとまってくれなかった。
――落ち着け、落ち着け俺。大丈夫。きっと見つけてもらえる。警察が動けば、ここにこういう建物があるってこともすぐに分かるはずや。大丈夫。きっと吹雪もすぐに止む……。
だが、肝心の雪崩の規模が分からない。もしスマートフォンが無事ならば、警察が位置情報を検知してくれるかもしれない。もし雪で押しつぶされていたらアウトだが……。
「う……うーん……?」
その時、背後でうめき声が聞こえた。振り返ると、ミハエルが目をゆっくりと瞬きながら頭を動かし、辺りを見回している。
「あれ……? ここは……」
「よう、目ぇ覚めたんか」
「んっ……!? だ、誰だ!? こんなところに僕を拉致して、一体何をしようと……!?」
「…………はぁ」
目覚めるなり、何やら盛大な勘違いを発動している。俺はハァ〜と派手にため息を吐き、ミハエルのそばに膝をついて顔を覗き込んでみた。
「ハッ……!! お前はあのクソビッチ!! ま、まさかお前がこんなところに僕を閉じ込めたのか!? 僕に大和をあきらめさせようとして……!!」
「いやいや、人聞きの悪いこと言わんといて」
「まっ……まさか!! 僕をここでレイプして、目にもの見せてやろうっていう腹なんだな!? そ、そうはいかない……」
「はぁ!? どんな勘違いしてんねんアホか! なんで俺がお前みたいなデカブツとやらなあかんねん!! お前相手に勃つわけないやろ!!」
と、ついつい語気を荒げていると、なんだか一瞬酸素が薄くなったような気がしてひやりとした。別に水中に閉じ込められているわけではないが、閉塞的な空間には息苦しさしか感じない。
――あかん、落ち着け……。こんな状況でこいつと言い争ってる場合やないで。……ここで俺まで低体温になったら一貫の終わりや。こんなところで死んだら、もう大和に会えへん……。
ふと大和のことを思った瞬間、じっとりとした不安が俺の身体にまとわりついた。
大好きな大和に、もう会えないかもしれない――考えたくもないことだが、こんな極寒の地で凍えてしまえば、そうならない可能性だってゼロではないのだから。
「はぁ…………おい、ミハエル」
「っ……な、なんだよ」
気を落ち着け自分を叱咤するために、俺は長い長い深呼吸をした。そのあと真正面からミハエルに向き直る。そろそろお互いに目が慣れて、表情が見て取れるようになってきた。
「言っとくけど、俺はお前を探しにきたんや。お前、朝俺らと喧嘩した後、ダッシュでどっか行ってしもたやろ」
「あー…………そういえば」
ミハエルは記憶を辿るように視線を上に持ち上げた。そして、「たまたまこの建物が見えて、落ち着くまでここで隠れていようと思ってたんだけど……だんだん、眠くなって、動けなくなってしまって……」と話す。そして途端に、ガタガタと震え始めた。
「さ、寒い……。あんたを見てびっくりしたから忘れてたけど、めちゃくちゃ寒い……っ……ハァ、早く、ここを出ないと」
「あいにく、今はここから出られへん。俺がここまでたどり着いたまではよかってんけど、どうやら雪崩があったらしくてな、ドアが開かへんねん」
「えっ……!? う、うそだろ!!」
「嘘ちゃう。落ち着いてよう聞き」
俺はガタガタ震えるミハエルの両肩に手を置いて、じっとエメラルドグリーンの瞳を覗き込んだ。俺の真剣な態度が伝わったのか、ミハエルも息を飲み、黙り込んでいる。
「今ここで、俺らが大騒ぎしてもどうにもならへん。暖を取り合って、救助を待つ。それだけや」
「だ、暖、だと……?」
「現に、今のお前は低体温状態や。とりあえず、脱げ」
「えっ」
決然と俺が言い放つと、ミハエルの大きな目が点になる。
手本とばかりに俺は防寒用のウェアをガバッと開き、中に着ていた裏起毛トレーナーやTシャツの類を脱いでいく。
「ちょっ、えっ、まって、なんで、なんで裸、え!?」
「裸にまでならんでええ。とにかく、素肌と素肌であっため合う! それが鉄則!」
「えええっ……で、でもぉ」
「あ〜〜〜!! イライラする!! デカイ図体でなにをモジモジしてんねん!! ええから脱げやこのデカブツ!!」
「ああん!」
俺よりふた回りはデカイ男の服を脱がせるなんて(しかも乙女チックに抵抗している)、クソ楽しくもないイベントだが仕方がない。俺はミハエルの上に馬乗りになって、ぽいぽいと冷え切った服を脱がせていく。そして、ようやく互いにパンツ一枚になった。
凍てついた床に脱いだ服を敷き、その上にあぐらをかいたミハエルの前に腰を下ろす。そしてもっちりとした筋肉で肉厚な肉体に、俺はぎゅっと抱きついた。互いにアウターを肩にひっかけ、せっかくの熱が逃げていかないように、身体を覆いながら。
ついさっきまで活動していた俺の身体は、冷え切ったミハエルの身体よりは数段あたたかい。ミハエルはほうっと息を吐き、逆に俺に縋り付いてきた。
どっしりとして、もちもちさらさらとしたミハエルの肌は高級ソファのように安定感がある。胸毛が若干くすぐったいが、これはこれでなかなかいい抱き心地だ。
「あっ……たかい〜〜……」
「筋肉ダルマのゲルマン民族でよかったな、お前。普通の奴ならもうとっくに意識なかったかもしれんで」
「ふ、ふん……。こんなことになる前に、すぐ帰るつもりだったんだ。午前中の練習試合にだって出るつもりで……」
「どうせいじけてここで泣いてたんやろ。そんで帰るに帰れへんなったとか」
「う、うるさい!! 元はと言えばお前のせいだからな!」
喚いてはいるが、俺というぬくもりから離れたくはないらしく、ぎゅうぎゅうと俺を抱きしめたままだ。今も芯から震えているようだが、徐々に徐々に、奴の肌の表面には熱が戻り始めている。逆に俺からは体温が奪われていくわけだが、こうしていれば、二人で生存する可能性はぐっと高まるはずだ。
それに、抱きしめあって喧嘩している場合ではない。
俺は若干の苛立ちをぐっとこらえて、静かな声でこう言った。
「……そうやな、すまんかった」
「…………えっ」
「この際や。ちゃんと話さへん? 俺らがいつまでもいがみ合ってたら、大和が可哀想やんか」
「……うう、でも」
「あいつは優しいから、今もお前と俺にめちゃ気ぃ遣ってる。……そういうの、なんか嫌やねん。言いたいことがあるなら全部俺に言えよ。そんでもう、あいつのことはきっぱりあきらめて欲しい」
「……」
「もう分かってると思うけど。大和はお前のこと、ただの友達としか……」
「そんなの分かってるよ……!!!」
突然ミハエルは大きな声を出し、俺を抱きしめる腕の力が強くなる。俺は静かに息を飲み、ミハエルの乱れた呼吸を感じていた。
「分かってるよ……そんなの……っ。大和見てれば分かるもん。大和は、あんたのことが大事なんだって、好きで好きで仕方がないって、目、見てたら分かる……」
「……」
「僕は、あの時何も言えなかった。中学を卒業する時、僕がちゃんと気持ちを伝えていれば、何か変わってたかもしれないよ……! でも、怖くて言えなかった。気持ち悪いって思われたくなかったし、大和のことが好きな自分に、自分でも戸惑って……いけないことをしているような気がして、何もできなくて……」
「……その気持ちは、分かるよ。男同士やもんな……」
「っ……うう……」
もの悲しげな呻き声が、耳元で聞こえる。泣きたいのだろうが、今はうまく涙が出せないのだろう。俺はほんの少し、ミハエルの身体に密着してみる。
「でも結局忘れられなかった。……せっかく再会できて嬉しかったのに、大和の隣にはあんたがいた。すぐ分かったよ。付き合ってるんだろうなって……」
「……」
「あんたは堂々としてて、きれいで、強そうで……動き出せなかったことを後悔ばかりしてる僕とは、全部正反対みたいに思えた。だから余計に腹が立って、悔しくて、羨ましくて……っ……!! だから僕は、どうしても大和を渡したくなくて……っ……」
嗚咽を吐き出すような呼吸とともに、ミハエルは一気にそう言った。そして息を整えるように、しんと黙り込む。
――強そう、か。よう言われるけど……な。
俺はじっとミハエルの言葉を反芻しながら、ゆっくりとこう返した。
「……俺は、そんなすごいもんとちゃうよ」
「……」
「俺もお前とおんなじや。ずっと、ゲイである自分を持て余してきた。でも、SNSで大和と知り合って、友達になって、だんだん……何やこれ、普通やんて。話してて楽しくて、会いたくて、一緒にいたいって思うんて、普通のことやんて、思えるようになった」
「……」
「大和は明るくて、素直で元気で……。あいつと話してると、卑屈でうじうじしてた自分がアホらしくなった。大和といたら、なんでも前向きに考えられるようになったし、毎日楽しくて……ああほんまに、好きやなって」
ふと、大和の笑顔を思い出す。
爽やかに優しく笑う大和の表情が、ほっと心を温める。
「大和のことが好きすぎて、なかなか素直になれへんで、あいつのこと怒らせたり、焦らしたりしてしもたけど……。最近やっと、ちゃんと向き合えるようになってきてん。どうしてもあいつとは離れたくない。だからもう、大和を追いかけ回すんは……」
「あーあ……もう!! それ以上惚気なくてもいい!!」
つい一人語りが長くなってしまっただろうか。ミハエルが、たまりかねたように声を上げた。
説得失敗かと、喋りすぎてしまった自分に悔いを感じていると、ミハエルがちょっと肩をすくめた。
「もういいよ。分かったよ。それ以上聞きたくない」
「……せやな」
「とりあえず……あんたが本気だってことは、よく分かった。僕が想像していたようなクソビッチじゃないらしいってことも」
「……ビッチちゃうわ。俺はピュアや」
「ふん。……なんか馬鹿らしくなってきたよ。僕はただ、一人相撲をしていただけなんだな……」
ミハエルはそう呟き、俺の肩口に顔を埋めて鼻をすすった。そして、ついでのように俺の首筋をすんすんと嗅ぎ、ちょっと離れてじーっと俺の顔や身体を見つめている。
「……あんた、いい匂いするな。あーあ……いいなぁ。これが、大和に抱かれてる肉体……」
「俺がいくらいきれいやからって、変な気ぃ起こすなよ」
「フン、言うほどのもんじゃないだろ」
「まぁ……お前の身体も悪くはないで。デカブツの筋肉だるまやけど、なんかふわっとしてて気持ちええし」
「あんたに褒められても嬉しくないけど。まぁ……強くなりたくて、頑張って鍛えたんだ。あーあ、大和におっぱい揉まれたかったなぁ……」
「おっぱいねぇ」
ふわふわした金色の胸毛に覆われ盛り上がった見事な胸筋は、確かにもたれかかっているとふかっとしていて気持ちがいい。なんとなく、自分の平たい胸元と、ミハエルの分厚い胸板を見比べていると、ふっと吹き出す声が聞こえてきた。
「……ごめん。助けに来てもらったのに、こんな状況に巻き込んで……」
「え、いや……いいねん。俺もこれまで、態度悪かったし」
「……早くここ出て、大和に会いたい。あ、変な意味じゃなくてさ……」
「分かってるて。……俺も早く会いたい。もう、吹雪収まってるかなぁ……」
なんとなく、ミハエルと分かり合えた気がした瞬間、どっと眠気が襲いかかってくる。屈強なゲルマン民族の体温のおかげで寒くはないが、何だろう、抗えないほどの強烈な眠気が、とろとろと俺の瞼を重くしてゆく。
――大和、これでもう、俺らに変な気ぃ遣わんでいいで……俺とこいつ、それなりに和解したしな……。
瞼を閉じてミハエルにもたれかかりつつ、俺は胸の中で大和にそう報告をした。
「ん? ちょっと寝ちゃダメだって。こら、鶏ガラ! こらってば!」
ミハエルの声が遠い。
ずぶずぶと引きずり込まれるように、意識が朦朧として、気持ちよくて……。
気づけば、俺の意識は途絶えていた。
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