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7.苛立ち
食事と入浴を終えた泰史は、コーチとのミーティングに向かい、そこでファイルを差し出された。
「面白い結果が出てるよ」
微かな笑みと共に言われ、黙って受け取った。一度中断したデータがようやく一週間分集まったので、数値をコーチに渡してあったのだ。ファイルの中身は、やはりそれをチャート化したものだった。
つまり新しいトレーニング法を試した結果である。
それに目を落とし、泰史は思わず唸った。
「……これほどとは」
コーチが笑みのまま頷く。
「まだ一週間だし、これだけで結果を言うのは難しい。けど、効果が出ているような数値にはなってるね」
少し興奮した。
わずかではあるが、今までの練習法ではなかなか伸びなかった数値が伸びていたのだ。
「では、この方法で今後も……」
「いや。もう一度試してみないか」
「…………?」
視線で疑問を呈した泰史に、コーチは苦笑交じりに続ける。
「まあ、提案なんだけどな、また一週間、前の方法でも試してみないか?」
「……なぜです」
「他の要因が関係してるかも知れないと思ってね」
「……?」
目つきがかなり険しくなっている自覚も無く、泰史は鋭い視線を向ける。
「俺が、余計なことをしたと」
「ああいや、違う。そういうことじゃない」
笑みのまま手を振るコーチに、無自覚な睨みをきかせながら続ける。
「では、この方法に定めて問題無いでしょう」
「おいおい、焦るなよ。たった一週間の数値だけで結論出すのか?」
ハッとした。
「俺は慎重を期したい。それだけだよ」
コ-チの苦笑気味の顔を見て、泰史は眉を寄せ、目を伏せる。
そうだ、万が一にも誤ったトレーニング法を続けるなどあってはならない。なにを焦っていたのだ自分は。
するとポンポンと肩を叩かれた。
「加賀谷。おまえはタフな奴だ。身体的にも精神的にも。一度決めた事はやりきるしな。それはアスリートとして、得がたい資質だよ。ただ、俺は気になってたことがあってね」
「気になる……?」
「そうだよ」
眉間に皺を寄せる泰史に、コーチは笑みを深くする。
「というかな、おまえ、まっすぐやりきるのがイイことだって思ってやってるんだろ? けどな、人間、余裕も必要なんじゃないか?」
「………………」
「だから焦らないで、少し余裕持って考えてみような」
眉間に深い縦皺を刻んで黙り込んだ泰史は、どういうことかと問う眼差しを向けているのだが、いつもなら察してなにやら言ってくれるコーチは、なぜかこのところ苦笑しながら見ているのみでなにも言わない。
そう、いつもならコーチに目で問えば、苦笑いで教えてくれる、あるいはヒントをくれるのだ。なのに今日は、「こればっかりはなあ」と言うのみで明確な答えをくれず、泰史は釈然としないまま部屋に戻った。
いつも通り机に向かったのだが、余計な雑念がわき出すせいか、うまく頭が働かない。
余裕、とはなんだ。
毎日きっちりスケジュールを立てて、それに従って行動する。
小学校の頃から、気づいたらそうしていたので、泰史にとっては自然なこと。しかしこれに余裕を加えるというのは……いったいどうしろというのだ。
そうでなくとも練習中、トラックまで入り込んでる大型犬がシャッター音を響かせていて気が散るし、ときおり他の選手の邪魔をしていたりするので肩身が狭いというのに。
せめて他の練習の妨げにならないよう、気がついたら注意するようにしているのだが、ふやけきった顔で聞いてるんだか分からないのでイライラする。
しかも「はいっ!」「分かりました!」「気をつけます!」などと返事だけは良いので、周りは「良い返事だな!」とか「ちゃんと飼い主の言うこと聞けよ」とか勝手なことを言うし、
「えっ、飼い主って、ひっどいな~! ねえ加賀谷さん?」
とか犬の方も調子に乗りやがってデカい声を出すし、やってられるかと思いほっとくと
「めずらしく加賀谷が気に入ってる一年ておまえか」
「いやあ、気に入ってもらえてるんですかね? 加賀谷さん尊すぎて、俺なんて」
「そうか? 仲良いンだろ?」
「うはっ! 仲良いスか! そう見えますか! やった~、加賀谷さん聞いてます!?」
勝手に変な話に進んでたりする。そんなもの放置出来るわけが無い。
なのでキリの良いところで練習を中断して、クールダウンがてら注意を促すのだが。
「あ~、済みません! でもだから練習の邪魔にはならないようにしてるんですけど、加賀谷さんヤバすぎてカメラに集中しちゃうとつい……あ~~、ごめんなさい済みません気をつけます」
なんてふやけて赤くなった顔で言われても、反省してるなんて信じられるわけが無い。
なのでさらに説教を続けようと試みている。が、どうにもくちが重いので、言葉はうまく出てこなくて、話の進みは遅い。
そんな自分にもイライラしてしまいつつ、ありえない長時間休んでしまうので、予定通りのメニューをこなすのに、練習方法を若干変えざるを得なくなっている。
つまりいつもは必ず入れている手順を少し省くのだ。練習前後のストレッチは外せないが、その他、例えば身体をほぐして暖める時間を減らすとか、細々と時間短縮して、この一週間はなんとか予定通りのメニューをこなせたのだった。
最終的にまた説教するから、クールダウンの時間を考えなくても良いのが不幸中の幸い……ていうかなんだそれは。
ともかく、また一週間、データを取るためのトレーニングをするということは、同じ事をまた繰り返さなければならないということだ。
無意識にため息が漏れ、鉛筆の動きが止まっていることに気づく。
まったく、あいつが湧いて出てから調子が狂いっぱなしだ。ああ、イライライする。
時計を見ると、そろそろ就寝すると決めている時間だった。
能率も上がらないし、もう歯を磨いてトイレ行って寝よう。
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