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9.縋る藁

「加賀谷くぅ~ん?」  背中に声を聞きながらグラウンドへ向かい、部活棟へ向かったが、陸上部室の前で腕を引かれ、致し方なく立ち止まる。 「クラスでもトラックでも、おまえさ」  低めた声に、ゆっくり振り向くと、ニヤケ面の奥沢は囁くように言った。 「浮いてるよ?」 「おまえこそ」  ふん、と鼻息と共に返答した。コイツだって陸上部で浮いてるのだ。 「俺はイイんだよぉ~」  だがチャラい2LAP(ツーラップ)ランナーは、ヘラッと笑いながらヒラヒラ片手を振る。  そもそも八百は中距離種目だし、うちの陸上部で中距離専門はコイツだけだ。  別名2ラップとも言うが、これは四百が二本という意味である。つまり、短距離走の中で最もキツいと言われる四百に近い速度で、倍の距離を走るのだ。  かなりキツい競技で、その割に注目度が低く、同じ中距離でも千五百や三千、五千と言った種目の方が競技人口は多い。長距離の選手が走ることも多いからだ  短距離、長距離どちらともトレーニング法が違うと言って、奥沢はいつも一人でやってる。普通なら孤立しそうなものだが、このヘラヘラした性格でどこにでも口を挟むし、チャラい言動しながらもトレーニングはちゃんとやっているからか、そうなってはいない。それどころかフィールド競技の連中や、サッカー、バスケなどの連中とも気軽に話していて、無闇に顔が広く、普通科にも知り合いが多いようだ。 「八百(ツーラップ)専門なんて変わりモン~、とか言われるけど、だからイイんだ。結果を背負うのも俺ひとりだしょ? だから全部マイペース、勝手にやらせてもらうよ~、てな? それで通るから八百専門でやってるトコもあんの」  ヘラヘラの笑みのまま言いつつ、馴れ馴れしく肩を抱くようにしてきた。 「やめろ」  呟いたが意に介する様子も無く、耳元に低い声を吹き込んでくる。 「けどさあ、おまえは違うよな? だって駅伝だし」 「………………」 「あれってチームでやるモンじゃん? ただ箱根走るだけでイイのかよ? 違うよな? 勝ちたいだろ?」 「………………」  鋭い目で見つめても奥沢はヘラヘラしたまま。  ため息ひとつで肩の手を外し、陸上部室へ向かった。 「一人でやりたいならマラソン行けよ、広瀬みたいにさ。あいつだっておまえと話したいんだろ。近いものありそうだしな。なのに無視されてイラッとしてんだよ」 「………………」  無視してるわけじゃ無い。なにをどう言えば良いか考えてるうちに話が終わるだけだ。  と思いつつドアへ腕を伸ばそうとしたが、その前に開いて長距離チームが出てきた。  すぐ前に立っていたから、先頭にいた広瀬と目が合う。 「おっ」  思わず声を漏らした広瀬は、眉を寄せ「ふん」鼻息だけでグランドに走って行く。 「珍しいな、こんなゆっくり来るの。体調悪かったら無理するなよ」  少し心配そうに言いつつ、浜中も後を追った。 「………………」  浜中はイイ奴だ。  気遣ってくれてるのも分かる。だが……  ますます、どうするべきか分からない。  困惑に包まれ、また軽いパニックに陥りかける。  しかしトレーニングを休むわけには行かないのだ。まずはストレッチ、そして身体を温めて……そんな風に組み立て直したメニューを頭の中で反芻しつつ、傍目には淡々と着がえてフィールドへ向かった。  簡易メニューのトレーニングを終え、ストレッチしていると、すぐ近くで犬の声がした。 「加賀谷さん、もう話して良いですかっ!」  黙っていると、すぐ横に来て「つうか大丈夫すか?」と聞いてくる。 「………………」  なんのことだ、と思いつつストレッチに専念する。いつものことだが声は構わず続く。 「いつもより(かみ)度低いっす。……動きがいつもと違うつか、なんか疲れた顔に見えるし……」  思わず動きを止めて見上げた目は、必要以上に鋭くなっていたが自覚は無い。視線の先で大型犬が、ぱあぁぁ、と紅潮したので、ますます自覚出来ていないのだが、それはともかく。  カミとか言うのは分からんが、顔はともかくとして、動きについての言葉は見過ごせない。 「分かるのか」 「もちろんっす! いつもより輝き減少してるっつか肌の張りイマイチとか動きのキレ神がかってないとか!」  そういうことではなく。 「大丈夫なんスかマジで? 調子悪いだけ? 加賀谷さんは輝いてねえとダメっすっ!」  無言で予定通りのストレッチを終え、呼吸を計る必要が無くなった。いつものことだが発言の意味がイマイチ分からない、という思いを乗せ、心おきなくため息をつく。 「いつも通り神な加賀谷さんに戻って! 俺なんでもしますから!」 「………………」  なんでもだと?  キラリと目が光った。  そんな自覚は無いまま腰を上げつつ目をやると、ぱあっと赤面する犬にも、もう慣れた。 「ついて来い」  スタスタ部室へ向かいつつ言い、着替えを手に持って、早足で寮へ向かう。 「えっ! マジすか寮に入れてもらえるんスか!」  はしゃいだような声が背にかかっていたが、それどころではない。こいつがそんな細かいところまで観ているとは思っていなかったのだ。  少しでもヒントになるようなものが得られるなら、と藁にでも縋りたいような気分になっているのだが、そんな自覚など無いまま、寮の入り口をくぐり、靴を蹴るように脱いで階段を駆け上がる。  チラッと後ろを見ると、犬が靴を下駄箱に入れていた。

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