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14.罪悪感と衝動

 勝手に抱きついてきた上キスまでしやがったので、どういたぶってやろうかと考えていたのに、振りほどくことも蹴り飛ばすこともせず、じっとしていた。  いや呆然としていた、と言った方が正しい。  どうしたらよいか分からなかったのだ。 『膝やっちまってっ』  ハイジャン、つまり走り高跳びの選手だったというなら、無駄にデカいのも意外に硬い腹筋も頷けたし、おそらく『ジャンプ膝』になったのだろうということも推測できた。  必死に練習をした奴がなる、それがジャンプ膝だ。膝周りや(すね)が痛み、力が入らなくなって踏ん張りがきかなくなる。コレになると足を使う競技はもちろん、体育の授業すら避ける必要がある。治療して痛みが引いても、しばらくは膝を保護して療養に努めなければならないからだ。  つまり選手生命は絶たれる。  そうして考えるのだ。  今まで積み上げてきた練習が一瞬で無駄になったと。なにが悪かったと後悔に苛まれ、競技をする自分を思い浮かべては、もう出来なくなったと我に返り……それが悪夢のように脳裏から離れない。  痛みさえ引けば日常生活に支障無いとは言え、足を使って人と競う、つまり競技と呼べるものは諦めるしかない。  そして周りの人間は戸惑う。どう接して良いか分からなくて。  昨年、サッカー部にひとり、ジャンプ膝が出た。  その先輩はいつ見ても練習していた。足の速い選手で、試合でも活躍していたらしい。泰史にはよく分からなかったがキックのテクニックがすげえと他の先輩が言っていた。  だがジャンプ膝になり、サッカーをやめなければならず、結果転校していった。  寮でその先輩の隣の部屋だった泰史は、夜中に何度も、むせぶような泣き声を耳にし、その度に練習できる健康な自分に安心しては、そんな風に考える自分を嫌悪した。  つまり泰史も、戸惑った一人だったのだ。  怪我は他人事(ひとごと)ではない。  下半身を鍛えるとき、膝の動きは常に重要なポイントになる。陸上競技だけでなく、サッカー、水泳、体操、ダンスや格闘技、あらゆる運動で膝は重要なのだ。  だから泰史は、それまで以上に身体のメンテナンスに意識を向けるようになった。練習前後のストレッチを欠かさないのも、身体を温めてから練習に入るのも、入浴後にマッサージをするのも、全てその為だ。  未だ成長期、筋肉と骨の成長速度が違うこともあり、ちょっとした準備不足が怪我に繋がる危険性が高いわけだ。  それはともかく。  怪我をした選手だと知って、今までコイツに向けてきた言動に、ちょっとした罪悪感が湧いた。そして邪険にするのを躊躇した。  県大会まで出た、ジャンプ膝になった、これが事実であれば、真剣にやっていたに違いないと推測できる。  それが中学でダメになるなど……、自分ならどうなっていただろう、などと考えてしまって身体が動かなくなったのだった。  だが。  だからといって  こっちがじっとしているからといって (……なんだこれは)  よく分からない。  分からないが、良く口走っている『カミ』が『神』だと言うことだけは理解できた。  とはいえコイツの行動はやはり理解不能だ。  いや、好かれてるのは分かっている。根拠は不明だが、その上でそこら辺にいることを許したのは、あくまで騒ぎ立てられては迷惑だからである。  その程度でしかない。  それがなんで、こうなる。やはり理解不能だ。  いや、自分についての分析なら可能だ。つまり僅かに産まれた罪悪感があり、それを打ち消せずに、自動的に思考が積み上がったが、我ながら珍しいことに論理的に組み上げられずにいる。それゆえにパニクり気味ではある。  即時に動けないのはいつものことだが、衝動のまま動くなら、とっくに蹴り飛ばしている。しかし攻撃的な衝動をいつも押し殺しているためか、生じた罪悪感のためか、行動に移せず固まってしまっている。  いや、自分の分析などしている場合では無い。 「……そのカミとかいうのを……」  やめろ、と続ける前に 「だって神様だしっ」  必死な声で打ち消された。  ……ため息しか出ない。  無駄に強い力で頸にしがみついている腕に緩む気配はなく、腕をついた姿勢のまま、デカい図体を吊り下げている状態になっている。このまま腕立て伏せをしたら、負荷がかかって良いかも知れない、と考え、ギュッと目を閉じて否定した。  逃避するな。現状打破を考えろ。 「俺のこと、なんでも……加賀谷さんの好きにしてっ!」  耳元で囁くような、しかし叫ぶような語調で聞こえたこれも、どういう意味か全く不明だ。 「あ、間違ったッ! なんでも加賀谷さんの好きに使ってっ!」  言い直した。何をどう間違ったのかも分からない。 「てかマジお願いスっ、近くにいさせてっ」  だが、どうやら必死らしいことだけは伝わった。  そして、コイツが譲れない部分では、てこでも動かなくなることを既に学んでいる。  この状態を甘受できないならば、強制的に動くよう仕向けるしかない。  片手で犬の体重ごと身体を支え、自由になった手で腹あたりを触ってみる。 「えっ」  犬の腕にぎゅうっと力がこもった。思わず舌打ちする。逆効果か。  では、ココならどうだ。 「ぅぁふ……? え」  股間に手を伸ばすと、妙な声を漏らしたが腕は緩まない。というかなんで勃起してるんだ。  まあいい、コイツが意味不明なのは今さらだ。  勃起しているなら、これを利用するのが効率的だろう。ズボンの上で擦るように手を動かすと 「ぁは」  少し腕が緩んだ。いける。  ファスナーを下ろして、下着の上から触れてみる。 「くぅ」  さらに腕が緩んだ。  下着の上から緩くつかんで手を動かす。耳元にかかる息が荒くなり、腕が緩んで顔が肩口から離れる。  よし、このまま引きはがして…… 「………………」  またキスしてきやがった。  半目になりつつ、手の中のものを握り潰す勢いでぎゅうっと掴んだが、 「んぅぅぅ~~~」  切ないような声を漏らすのみで、いっこうに離れようとしない。イラッとしていると、唐突に唇が離れ、犬は自ら腕を放してドサッとベッドの上に落ちた。 「やべ……サイコー……」  鼻の頭に汗を浮かべた赤らんだ顔で、へらへらしてやがる。さらにイラッとする。  股間を蹴り上げてやろうか、という衝動を実践しようか考えていると、 「うう~~~」  犬が泣き始めた。  さすがに驚いて見下ろしていると、ヒックヒックとしゃくり上げ、泣き顔は徐々に激化していく。 「俺、俺、一生忘れねえッス……」  グシグシ泣きながら言ってる顔を見下ろしていたら、苛立っているのも馬鹿らしくなってきた。

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