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15.妄想は踊る

 授業を終え、教科書やノートを突っ込んで鞄を持つ。  スポーツ課は全員が部活に行くので、ここでグズグズする奴はいない。みな先を争うように教室を出て行く中、泰史も淡々と廊下へ足を踏み出す。  視界の端になにか見えた気がするが、気にせず歩いていると、奥沢が寄ってきた。 「おい、ついてきてるぜ~」 「………………」 「ほら、なんか言ってやれよ」 「………………」 「郁也クン、俺が声かけても聞こえねえみたいでさあ、ひたすらおまえばっか見てるんだよなあ」  いつのまにクン付けになってるんだ。というかイクヤというのか。そう言えば名乗っていたような気がするが、あんなものは『犬』でじゅうぶんだ。 「いいなあ、カ~ワイイ後輩くん~。俺もあんな風に慕われてみたいもんだ~。あ~あ~、そわそわしちゃって」  絶対思ってないに違いない軽い口調。奥沢はいつもこんなモンだが、「ホラ見てみろって」なぜにこうもしつこいのか。  階段を駆け下りながら、思わずため息と共に声が漏れた。 「……気にしたら負けだ」  奥沢は「あはは、おもしれー」と軽く笑った。  しかし、紛れもない本音である。  真剣にタマ潰してやろうかという気が削がれ、データカードから動画をダウンロードして泣きじゃくる犬を部屋から、いや寮から叩き出したのは3日前。その夜、食事と風呂を終えてから、コーチとのミーティングの際、この画像を見せた。  どう考えるべきか迷ったからだ。 「なるほどな。画像で見ると、明らかな違いが分かる。おまえにはこういうのが有効なのかもな」  コーチが妙に朗らかに「これからも撮ってもらえ」と言ったので、勝手に撮るのは許容してる。  というか毎日データカードを上納させている。  寮の前や部屋の前で待機させると非常にうるさくなり、周囲に迷惑をかけるので室内には入れる。  だが学習したので、無闇に近寄らないようドア地点にステイさせているのだが、ずっとなにか言っている。 「暖かくなってきましたね」  とか、どうでも良い話。 「今日も神がかってました」  とか、意味不明な話。  だが放置してると調子に乗る。 「肌艶イマイチじゃないスか、触っていいスかマッサージとかしますよ」  とか 「あの~、触らないからベッドに座っても良いですか」  とか言い出すが、目線を向けると黙るので、よしとする。  そして必要な質問だけ向けてやる。  画像を精査するのだが、正直コーチが言うほど明らかな違いは分からない。しかしなぜだか、コイツには違いが分かる。言われてみれば、確かに、と納得せざるを得ない、僅かな差違がある。  色々言いたいことはあるが、つまりコイツは有用だ。  自分だけではハッキリしないフォームの解析が、こいつの目を通すとなぜだか分かる。  なぜ自分には分からないのか、それさえ出来ればコイツに踏み込ませる必要も無いのに。  イライラしながら部室で着替え、ストレッチしていると「おい、加賀谷」広瀬が声をかけてきた。  身体動かしながら目だけ向ける。 「なんで早く帰る。トレーニングメニュー短縮してるだろ」  声をかけておきながら、目線はよそを向いていた。 「フォームの解析をしている」  ちょうど考えていたことなので、すぐに答えられたことに安堵しつつ、泰史もストレッチに意識を戻す。 「解析? どういうことだ」 「…………」  今度はくちがすぐ動かない。どう答えれば良いか、考える。 「あっ、俺がお届けしてる画像を見て頂いてるんです! もう毎日めちゃ毎日幸せすぎて」  犬が横から勝手にくちを出してきた。広瀬がうさんくさそうに目をやっっている。 「……おまえ」 「はい?」  ヘラッと返す犬にイラッとしたのだろう。広瀬は低い声を出した。 「このところずっとカメラ構えてたな。フォームを撮ってるのか」 「いえ! 神映像っす!」 「なんだそれは。まあいい、俺のも撮ってくれ」 「ええ~~」  広瀬がそっちに絡み始めたので、ストレッチを終え、準備運動に入るため腰を上げる。一瞬たりとも時間を浪費したくない。  現状、フォーム解析には犬の解説が必要だが、いずれ自分で出来るようにならなければと考え、ノウハウを犬から盗もうとしている。そのため今は時間がかかるのだ。ゆえに練習メニューを効率化し、時間を捻出している。  軽くトラックを周り、身体を動かす。温まったと見て、コーチへ合図を送った。頷いたのを見て腕の時計でタイムを取りつつ、トラックから外れ、校門から走り出る。  ついてくる後輩の足音を背中に聞きつつ山へ向かった。以前のメニューでデータを取っているため、山登りコースで速筋トレーニングをするのだ。  夜にはデータを持ってコーチと検証の予定である。予定通り、きちんとメニューをこなす必要があった。  あと二日で予定のデータが取れるはずだ。   ◆ ◇ ◆  郁也はトラックを走る二人、つまり広瀬と奥沢に併走する形でチャリを漕いでいた。 「最近おまえ、加賀谷と連んでいるな。聞きたいことがある」  と言った広瀬に、郁也はパッと目を輝かせ 「えっマジスか推し語りスねっ」  と答えたのだが、トレーニングがあるから走りながら話す、と言った広瀬に、ニカッと「膝やってるんで走るの無理!」と言ったので、気まずげに目を逸らした広瀬は、その先になぜかあったママチャリで併走するように求め、周りも巻き込んで許可を得たわけだが、そのやりとりを横で聞いて爆笑した奥沢も、面白そうだと併走している。  それだけでなく、なんだなんだと浜中始め長距離チームが集まり、団子状態になってトラックを回っているのだが。 「え~、それはアレっすよ、加賀谷さん困ってんじゃ無いスか?」 「困ってるって顔じゃない」 「いやあ、顔はそっスけど」  チャリ漕ぎながらへらへら返され、広瀬はギッと眉を寄せた。  端から見ると笑える絵になっているのは、チャリ漕ぐ郁也と奥沢があくまで笑顔だからなのだが、広瀬は険しい顔をしているし、浜中は心配そうだ。 「しかし、真剣に話しかけているのに、黙って睨み付けてくるんだぞ」  ブツブツ言いながら走っている広瀬の横で、奥沢が吹き出した。 「いまさら?」 「あいつデフォで目つき悪いじゃん?」 「心配されるのを嫌ってるようにも」 「そんなことねーって、気にするなよ浜中」 「てかどんだけ朗らか言ってもニコともしねーし」 「ギャグにも反応ねえしな」 「え、そっスか? 笑うとめちゃカワイイっスよ? 激レアっスけど」  言いながら赤らむ郁也に、周囲は不気味な者を見る目を向けた。 「つーか俺もなんとなく分かって来たって感じスけど、たぶん咄嗟に言葉出ないんじゃないかなあ」 (だって抱きついてキスしても触りまくっても、すぐ怒らないから、ワンチャンおっけ! とか思ったらしばらくしてめっちゃ怒るし蹴られるし。けど怒鳴ったりはしないからなあ、そんなんも可愛いけど)  なんて考えてニマニマしているわけだが。 「ツンツンツンデレって感じで、きっとメタクソくちべた、なんじゃねえかな~~~」  走りながら広瀬は難しい顔で黙り込む。 「くちべた?」 「っす!」 「ははっ、ツン多過ぎだろ」 「迷惑じゃないのかな」 「そういや、いつも黙り込んじゃうわ」 「よく見てるな」 「なるほど、くちべたなだけってことか」 「そんなとこもカワイイっすよね~~~」  赤らんではしゃぐ郁也は、推しについて目一杯語れる状況に気分アゲアゲだが、やはり不気味な者を見る視線を受けている。  気づいてはいないが。  むしろこの会話から、郁也の妄想は発展していた。 (つまり俺って加賀谷さんのマブ的な扱いってこと! なんだよねっ! そんでこないだのこと思い出してみ? 俺から触ると怒るけど、触ってくれたじゃん? てことは、俺がヤるんじゃなくて、ヤってもらうのはオッケってことじゃね? だよねだよね!)  広瀬は、黙々と難しい顔で走り続けていて、すでに不気味としか思えなくなっている郁也との会話を続けることは無かったのだった。  そうして、ただグルグルとママチャリを漕ぐ郁也は (どうしたら触って貰えるかなあ)  と思考を進めていた。 (可愛く迫るとか……てかそれってどうやンの? いやいやどうやんのじゃねえよ研究しろよ俺! よし、迫り方、どこで調べられっかな、やっぱゲイビ? てかなんだよ俺やらかしてんじゃんっ! 前見たときヤることしか考えてねかったから迫る方見てなかったーーーーっ!! ちっ、過去の俺のアホはしょうがねえ、よし、これから特訓だっ!!)    飛び火を重ねた妄想に焦りを感じた郁也は、「ちょ、俺やることあるんでっ!」とママチャリを放り出し、トラックの脇でスマホ取り出して真剣に調べ始めたのだった。

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