3 / 18

第3話

「オプション代払うから、時間過ぎてるけど、もう一回キスだけしていい?」  あのタバコの香りのキスを、味わってみたかった。想像した味を確かめたかった。 「いいですよ、オプション代なんて。『彼方さん』優しくて上手で、俺も楽しませてもらったんで」  名前を呼ばれて、高層ビルから突き落とされるような心地がした。いや、ナイフで胸を突き抜かれるような。自分で偽名を使っておいて、例えようのない鋭い痛みを胸に感じた。  心の準備もないまま首元に細い腕が絡められる。背は三森と同じくらいだけれど三森より細い。背に手を回すと、向こうから唇が寄せられ、随分と甘く喰まれた。やっぱりさっき吸ったタバコの味がした。少し迷って隙間から舌を差し込んだ。簡単に受け入れられるほど、男は無防備だった。口内でくるりと柔らかく舌を舐めまわされ、すぐに受け入れた時と同じ簡単さで体を離した。 「ごちそうさま」  どちらがキスをされたのかわからないまま、ごく短くそれだけ言って男は部屋を出て行った。  ベッドに腰を下ろして時計を見ると、十二時を回ったばかりで日付が変わっていた。据えた臭いのするシーツの上にばたりと倒れ、自分のシャツの胸を掴んだ。体は男の感触をまだ覚えている。『今日』が過ぎたとしても、何も変わりはしない。  ちょうど一週間後、もう一度男を買った。指名なんてしていないのに同じ男が扉を開けた。 「チェンジしてもらってもいいですよ。二度目からのお客様で指名がないと違うボーイがつくんですけど、彼方さん違う名前で予約されたから気づかなくて。すみません」 「別に構わない」  閉めたばかりの扉の前で強引に唇を合わせた。 「こんな風にキスしてくれるの嬉しいです。俺も待ちきれないんで、早くシャワー浴びましょう」  やんわりと胸を押された。シャワーを浴びてからでないと触れてはいけない関係だ。そう、二度目で少し慣れたからといって、これは全部演技だ。何ひとつ知らない男と親密な空間を作る遊びだ。また名前を聞きそびれた。  手順は前と全く同じだったけれど、すべらかな素肌に指を這わせたり、バックで挿れられて切なげに立ち上がる雄の主張を扱き上げ、高まる声を聞くほどには前回より余裕ができた。唇を合わせながらイってしまったことに、後から行き場のない後悔の情がこみ上げる。 「延長するからワイン飲まない?今日ここ宿泊でとってるから」 「すみません。誘って頂いて嬉しいんですけど、俺お酒は飲めなくて」  ワインはホテルで頼んだものではなく、ここに来る途中買って持ち込んだものだ。何か変なものを混入させているのを警戒しているのだとすぐに察する。 「そう、じゃあまた」  二度と会わなくても『じゃあまた』って言うのはよくある挨拶だなと、どうでもいいことを思う。 「もしよかったら今度また、指名して頂けたら嬉しいです」  この男は『嬉しい』って言葉をよく使う。仕事だからだとわかっている。「あぁ」と曖昧に答えて、安っぽいグラスにワインを注いだ。今日はタバコを吸わずに出て行った男を見送りさえしなかった。

ともだちにシェアしよう!