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第5話
「指名してくれて、ありがとうございます」
「嬉しい?」
「えぇ、すごく嬉しいです。彼方さんかっこいいし、優しくしてくれるから」
最初の間違いを正せずにいる。本当の名前は『彼方』じゃない。後悔と同時に、男の語彙の少なさに呆れ、力が抜ける。
指名を伝える時、一度目と同じ人と言ったら名前を確認されたけれど、やっぱり名前は覚えていない。
この男はいつもちぐはぐな印象がする。言葉は大げさなのに声は静かだ。話し方は平坦で穏やかなのに、どこか気持ちを滲ませている。照れたように時々外す視線や少しだけ口角を上げる喋り方が素を感じさせても、微妙な手際の良さから演出ではないかという気が抜けない。
非日常の空間で男を買うという行為にまだ慣れず、そんな風に感じているだけかもしれない。
改めて男を見ると、涼しげな切れ長の目のさらっと整った顔立ちをしている。今までほとんど見ていなかったから、外ですれ違っても気づかないほどにしか印象に残っていなかった。体など売らなくても世間で一般的にうまくやっていけそうに見える。
「なんでこの仕事してるの?」
「あぁ、俺ですか?」
他に誰がいるんだと少し笑ってしまう。
「セックス割と好きなんで、ただのアルバイトですよ」
後ろの締まりはよくても、やっぱり頭のゆるい男なんだな、と思う。
「優しくなんてしてないだろ」
この男を優しく抱いたことなどない。好き勝手に犯しているだけだ。
「優しいですよ。俺のこと好きみたいに扱ってくれてる気がします。…あ、すみません。余計なこと言ってしまって。シャワー浴びましょう。俺彼方さんが指名してくれて嬉しくて、準備しすぎたみたいで、……早く、彼方さんの挿れて欲しいんです」
少し恥ずかしそうにしながら手をそっと引かれ、バスルームに促された。頭がゆるい割に仕事に対しては気が回って、随分と上手くあしらうものだなと思う。全てマニュアル通りの手順で、客を気持ちよくさせるサービスだとわかっているのに、悪い気はしない。
「……さっきの、本当に忘れてください。やりたいようにしてくださいね。俺がよくしないといけないのに彼方さんが相手だとつい嬉しくなっちゃって…だめですね」
バスルームでたっぷりと泡立てられた石鹸を擦り付けられながら、後ろから軽く抱きつくようにして言われた。耳の後ろ側で響く声がくすぐったい。顔の見えないタイミングでこんな風に言うのは上手いやり方だと思っても、泡とともに滑る手の動きと相まってどきりとする。
「今日は彼方さんがすっごく気持ちよくなってくれると嬉しいです」
この天然みたいな毒気のない男に言われると、演技なのか本気なのかよくわからなくなってくるから不思議だ。この場限りの関係なのだから、どちらでもいいのだけれど。
いや、本気などということはありえないのだから、こんな疑いを持たせる程、この頭の弱そうな男は意外とこの仕事に向いているのかもしれない。
薄っぺらい手は腿の付け根を滑らせて下肢を伝い、艶かしく動く指にすぐに反応し始めてしまう。あとで自分が咥えるのだから丁寧に洗っているのは知っている。
「彼方さんのここ、大きさとか形とか良くて、挿れられるとすごくいいんですよ。俺の中にも慣れてくれました?違う感じでしたいとか、ご希望のプレイとかあれば遠慮なく言ってくださいね」
ぬるりとした石鹸と一緒に時折背中に胸が触れる。わざと突起を擦るようにギリギリのラインを楽しむように。違う、ただのサービスだ、そう思うとなぜか苛立ちを覚えた。
全開でシャワーのレバーを押すと、強い水音と共に勢いよくふたりの顔にぬるいお湯がかかった。
「ひゃぁ。ちょっ…急に…」
大げさに驚いて笑っている男の方を振り向いて、胸に突き出る小さな粒を舐める。ふふっと嬉しそうに笑いながらされるがままになって、男は肩越しに手を伸ばしシャワーを緩めている。
背中に程よいシャワーの刺激を受け、口の中に混じる湯を煩わしく思いながら舐めまわし、きゅっと吸いついた。あからさまに湯のまずい味がするけれど、舌先で弄ばれ徐々に硬くする小さな突起は気に入った。片方は指の腹で軽く摩った後、芯を探すように摘んだ。
「はっ…ん…俺ばっかり…気持ちよくなってどうするんですか。彼方さんを喜ばせたいのに…」
ちゅっと音を立てて口を離してみると、胸の飾りは白い肌に鮮やかに色づき、上向いていた。
「俺を喜ばせたい?」
「もちろんですよ。なんでも言ってください。あ、ルールは色々あるんですけど、その範囲内なら俺、なんでもしたいです」
今ルールとか言わなければいいのに、わざとなのか天然なのか。初々しくも見えるし、警戒しているようにも感じる。そして、どうでもいいことだと自分の型にはまった感情や理性を払い捨てて、言った。
「じゃ『志生』って呼んで。『彼方』って偽名だから」
「しお、さん?」
「こころざしが生まれる、で志生。さんはいらない」
「素敵な名前ですね。最中も呼んでいいんですか?」
俺はあれから、頭がおかしくなってしまったのだと思う。こんな馬鹿げたことを思いつくなんて、どうかしている。
「あぁ、いくらでも呼んでくれ」
「名前、教えてくれて嬉しいです。いっぱい呼んじゃっても引かないでくださいね。志生さんのせいですから」
男は気持ちを探るような様子もなく、緩やかに口元に笑みを漂わせた。これはただの、新しい麻酔だ。効き目など知らない。
どっぷりと快感に浸かってしまえば、いつもよりずっと上擦った男の声は演技には聞こえなかった。縋るように掠れた切ない声で、俺の名前を何度も何度も呼んだ。
いくら名前を呼ばせても、この男は三森ではないのだから、代わりに抱くことなどできないとわかってる。
汗に濡れた肌は熱く、皮膚に触れるとしとりとくっつく。それさえも気持ちよくて、もっと触れたいと思った。
「…あっ…んっ…志生っ…すごく、いいっ…もっと…欲し…いっ、はぁっ…志生っ…」
頭の中で、男の声は案外簡単に三森の声に変換された。三森をバックからガンガン犯すところが瞼に浮かんだ。強引な挿入を奥深くへ受け入れられながら、もっともっととねだられるのは気分が良かった。
「志生っ…志生っ…、あっ…変に…なる…んっ…、っ…あぁ、あ、あっ…志生っ!」
声を聞いているとどこか残酷な気持ちが生まれ、いっそう激しく腰を強く打ちつけ、最奥へと熱をねじ込む。粘膜は擦れてたまらない疼きを呼び、境界は曖昧になり大きな塊みたいな快感が押し寄せる。つながるところはぐずぐずに溶けていた。男を後ろから抱きしめながら強い痙攣とともにさらに奥に熱を吐き出す。
「…み、もり…っ……」
男の嬌声の間に聞こえた自分の声は胸を黒く塗り込めた。強い麻酔を使い始めると、次はもっと強い麻酔が必要になる。きりがない。
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