3 / 4

03.フレンチトーストにKISSして

田中祐也(たなか ゆうや)の休日の朝は毎回、キッチンからのいい匂いで目が覚める。 相変わらず朝は寒く、毎日の部活の疲れも手伝って、愛しい布団から出ることができない。もっと寝ていたい。と思いながらも、目覚まし時計を見ると時間は既に11時を過ぎていた。好きなアニメがもう始まっている時間だ。  先週は、主人公が悪の大王に連れ去られた仲間を助けに出発する所で終わったから、今日は悪の大王のところに着くぐらいの所で終わるだろうなどと寝ぼけた頭で考えてみる。寝癖の付いた頭をボリボリと掻き、あくびを一つ落とす。グシャグシャになった布団から出ると、ちょうどキッチンの方から呼ぶ声がした。 「おーい、ボケ祐也。起きろー」  聞きなれた声に、キッチンからのいい匂い。今の自分が、幸せだと感じないわけがない。気分よく口笛を吹きながら、田中はリビングへ向かった。 「お、やっと起きたか」    と山上慶(やまがみ 慶)は料理している手を一旦止めた。 「うい」 「ういじゃねーよ。ボケ。お前、いつまで寝てんだ。もう昼になっちまうじゃねぇか」    山上はため息混じりに言うと、コイコイと田中を近くへ呼び寄せる。 「な、なんだよ」    怒られるのかと思った田中はビクビクしながら山上の近くへ向かった。すると山上は、田中を怒ることなく急に目をつむり、「ん」と唇を前に出した。唇は、ピンク色でみずみずしく妙に、色っぽく感じられる。差し出される唇の意味を田中はなんのことか分からず、とりあえず山上の顔に軽く息をふきかけた。 「う、うわっ!おいこらボケ、お前、何してくれてんの」 「え、慶くんの顔についてるゴミをとって欲しいのかと思って……」  なんの疑いもせず言う田中に山上は心の底から驚いた表情をした。田中と山上が付き合ってはや2年。お互いに高校を卒業し、同じ東京の大学に進学をした。実家に住んでおり母親がご飯を作ってくれた日々とは違い、今では自分たちで自炊しなければならない。入学当初は別々に住んでいた二人だが、田中の毎日インスタント生活を見かねて山上が一緒に住むことを提案した。 「お前が掃除・洗濯担当で、俺が料理担当な」    山上はそう言うと田中の返事も待たず、勝手に部屋の広い田中の家へと転がり込んできたのだった。初めは付き合っているとはいえ、広かった自分の家が山上の物で溢れていくのはあまりいい気分はしなかった。しかし、毎日インスタントではなく美味しい料理を食べれるようになり、なにより大好きな山上が365日傍にいてくれるというのは心強く感じられた。でこぼこではあるが喧嘩の回数も減り、幸せに暮らしている。 「お前なぁ、唇を差し出したら普通はキスだろうが」    顔に息を吹きかけられた山上は、呆れ果てながら田中に言う。やっと理解した田中は顔を真っ赤にさせながら「ばっ、朝からキスなんて…!お前いくらなんでも盛りすぎだろう」と言った。何年経ってもキス1つ慣れない田中に山上は言葉にできない優越感を得る。照れている田中を横目に、しめしめと嫌らしい目をしながら「キスしてくれないなら、朝ごはんなし」と意地悪を言い放つ。 「ずるい!俺、腹ペコペコなの知ってるくせに!」 「ほら、今日の朝ごはんはこれだぞー」  火を止め、手に持っているフライパンの中身を見せるとたっぷりと卵と牛乳が染み込んだ甘い香りを放ったフレンチトーストが2枚焼かれていた。 「あーフレンチトースト!」  じゅるりと今にも口からこぼれそうな涎を田中は拭うと、山上の顔をみて目を瞑る。田中のキスの顔は何度見ても面白い。必死に目を閉じながら、まるでタコのような唇で一生懸命顔を近づける。プルプルと震えるその顔は、山上にとっては世界で一番可愛い顔だと感じていた。あまりいじめてもかわいそうなので、山上は田中の可愛い顔を十分に見ると顎をくいっと持ち上げキスを落とす。 「終わった?」  右目を開け、キスが終わったのを確認した田中はキスの余韻など浸りもせずに「お腹すいた」と言いながらフライパンからフレンチトーストを皿に取り入れる。 「お前なぁ、もう少し余韻とかないわけ?」  山上が寂しい顔をしながら、向き合うように席に着き牛乳を2人分つぎ、自分と田中の目の前に置く。 「余韻よりもお腹すいたの!」  早く!早く!と言うように、田中は山上を急かしたてた。 「はいはい。それではいただきます」 「いただきます!」  田中は、フレンチトーストにたっぷり砂糖とメイプルシロップをかけて大きく頬ばった。 「お前、もう少しキレイに食べろよ」  山上は小さく細かく分けてから好みの味つけをしているが、田中にとっては食べ方など口に入ってしまえば関係なかった。山上の焼き方は抜群で、耳の部分はサクっとした感触となっているが、中の方はしっとりとした優しい感触となっていた。口に広がる、柔らかい感触と甘い味に田中は言葉を失う。 「う、うまいー!」  口の中は、あまりの甘さにベトベトとしているがそれさえも許してしまえるような美味しさだった。口直しに牛乳を飲み干すと、甘さのあとに広がる具牛乳のさっぱり加減が何とも言えない旨みを引き出している。 「慶くん、おかわりー!」  まるで幼稚園児に戻ったような田中の言葉遣いに山田はぷっと鼻で笑う。 「だめだ、すぐ昼飯食えなくなるぞ。朝はこれだけな」  自分の残りのフレンチトーストを田中の皿に分けると山上は更に話しを進めた。 「昼ごはん何食べたい?午前中軽く家の掃除したら、昼飯作るけど。卵の賞味期限危ないから、使い切りたい」  何がいいかなぁ?と悩む山上の姿に田中はトーストを頬張りながら、なにか力になれることはないかと考えた。    卵焼きかな?それとも、目玉焼きかな?    料理をしない田中にとってレシピを考えるのは難しいことだった。いつもは山上が好きなものを作っているため、田中自身がリクエストすることはあまりなかった。しいて今、食べたい卵料理は…… 「オムライス?」  先日テレビで丁度特集をしていた、オムライスの名を出す。 「あぁ、オムライスね。いいね」  山上は料理が決まるとすぐさま席を立ち、皿を片付け食器を洗い始める。山上だけにやらせてはいけないと、田中も洗った食器を布巾でふいていく。 「なぁ、祐也」 「んー?」  日常の何気ない風景の中の一場面。  山上は何を思ったのだろうか、少し感慨深そうに田中を見つめた。 「俺、なんか幸せだわ」    照れているのに怒っているように見える顔は付き合った当初から何も変わらない。山上の照れ顔を見て田中はニカッと笑顔を見せた。 「へへ、俺もだよ」  コツンと頭を肩の上に乗せると、ぼんやりと山上の暖かさが伝わってくる。 「午後は、一緒にスーパーに買いものに行くか」  山上がそう言うと、田中は満面の笑みで頷いた。 「デートですねー」 「デートなんですねー」  キッチンには、朝ごはんのフレンチトーストの甘い匂いと二人の甘い空気だけが残っているのだった。

ともだちにシェアしよう!