93 / 330

93.

お客さんです、と後輩に呼ばれて入口へ向かうと。 焦がれてやまない、彼が立っていた。 「…突然、すみません」 少し線が細くなったように見えて思わず眉を寄せる。 ちゃんと食べているのか、聞こうとしたけれど。 (…もう、俺が気にすることじゃないか) 自分の食生活を棚に上げるわけにもいかない。それに、心配してくれる相手は俺以外にもきっと居る。 後ろに控える翔に、ちらりと目をやってため息を吐いた。 ―――そう、俺じゃなくても。 すっと伸びた手はそのまま楓くんの肩に置かれて。振り向く彼に、微笑む翔。がんばれ、と象る口の動き。 何となく…察してしまった。 離れる手を視線で追って、気づく。 首筋に咲く紅い華。抜けるように白い肌に、よく似合っていて。 恐ろしいほどの美しさと色気を匂わせるそれに、ふっと自嘲の笑みを零した。 「…それで?わざわざ揃って報告に来たの?」 揺れる瞳を、もっと見たかった。手触りの良い黒髪に、柔らかい声。長い睫毛、ほっそりとした指。挙げればキリがない。 そして何より…澄んだ水のように綺麗な、彼の心が。彼自身が―――好きだった。 「おめでとう、幸せに」 付き合うことになりました、と。彼の口から聞いてしまったらどうなるか。 これ以上、傷つきたくなくて。逃げるように背を向ける。 嫉妬もプライドも。 何もかも捨てて縋りつく勇気は、なかった。

ともだちにシェアしよう!