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93.
お客さんです、と後輩に呼ばれて入口へ向かうと。
焦がれてやまない、彼が立っていた。
「…突然、すみません」
少し線が細くなったように見えて思わず眉を寄せる。
ちゃんと食べているのか、聞こうとしたけれど。
(…もう、俺が気にすることじゃないか)
自分の食生活を棚に上げるわけにもいかない。それに、心配してくれる相手は俺以外にもきっと居る。
後ろに控える翔に、ちらりと目をやってため息を吐いた。
―――そう、俺じゃなくても。
すっと伸びた手はそのまま楓くんの肩に置かれて。振り向く彼に、微笑む翔。がんばれ、と象る口の動き。
何となく…察してしまった。
離れる手を視線で追って、気づく。
首筋に咲く紅い華。抜けるように白い肌に、よく似合っていて。
恐ろしいほどの美しさと色気を匂わせるそれに、ふっと自嘲の笑みを零した。
「…それで?わざわざ揃って報告に来たの?」
揺れる瞳を、もっと見たかった。手触りの良い黒髪に、柔らかい声。長い睫毛、ほっそりとした指。挙げればキリがない。
そして何より…澄んだ水のように綺麗な、彼の心が。彼自身が―――好きだった。
「おめでとう、幸せに」
付き合うことになりました、と。彼の口から聞いてしまったらどうなるか。
これ以上、傷つきたくなくて。逃げるように背を向ける。
嫉妬もプライドも。
何もかも捨てて縋りつく勇気は、なかった。
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