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175.
前に進めたはずの体が動かない。次いで感じる、低めの温度。
「え……っ、あの…!」
腰に回された腕は紛れもなく三井さんのもので。突然の行動に慌てる俺へ降ってきた、掠れ気味の声音。
「ごめん…少しだけ、このままで居させて」
もう訳が分からない。
背中の彼を窺うこともできずに、ただじっとしていると。腕の力がより一層強くなった。
「…かえで、くん」
「は、はい…?」
好きな相手に背後から抱きしめられるこの状況。許容量をオーバーした羞恥に、声が裏返らないよう必死だ。
「……うん、ありがとう」
ふ、と首筋に触れた吐息混じりの笑み。
離れた体温を振り向いても、変わらず落ち着いた表情を浮かべるだけ。問いただすこともできず、取りあえず外へ出た。
「今日は楽しかったよ」
「いえ、こちらこそ…」
何となく腑に落ちないまま挨拶をして。
閉まる扉の隙間から届いた言葉に、愕然とした。
「それじゃあね、――…芹生くん」
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