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228.
ホワイトデーを数日後に控えた今日。見慣れた扉の前に立って、深呼吸する。意を決してチャイムを押した。
「…お邪魔します」
「外、まだ少し寒いね」
俺のジャケットをハンガーに掛けながら苦笑する三井さん。どこか違和感を覚えて、でも何なのかは分からず。
出されたほんのり甘いカフェオレに口をつけつつ、気になるのはやはりホワイトデーというイベント。
「お待たせ」
寝室から出てきた三井さんの手には、紙袋が2つ。大きい方は約30センチ、そして小さい方は10センチ程度。かの昔話のように、大小どちらが欲しいか聞かれるのだろうかと首を捻った。
「本当はサプライズしようかと思ったんだけど、良いのが思い付かなくて…」
「いえ、そんな…!」
むしろバレンタインで大したことが出来ていない自分にお返しをくれるだけでもありがたい。律儀な彼の姿勢が見えた気がして、心が温まる思いだ。
眉を下げる表情から一転、ふわりと笑った三井さんは大きい紙袋を差し出す。開けてみて、と促され。
「わあ…すご、い!」
紙袋に収まっていたのは、ピクニックで使うようなバスケット。その中に詰められた様々な容器にはどれも見覚えがある。少し値が張るもので、自分へのご褒美としてたまにしか買えない。
「家でも洗い物してるって言ってたから。あとは、この髪を維持してほしくて」
ショップの前を通るといつも良い匂いが漂ってくるブランドメーカー。フレグランスはもちろん、ハンドクリームや浴室で使うケア用品も有名だ。
バラ売りの単価でさえ高いと感じるのに、詰め合わせのギフトともなれば…。想像するだけで目の前の彼が神様に思えた。
「ありがとうございます!今日から早速使いますね」
俺の髪を指先で撫でる彼を見つめて、やっと気づいた。ずっと感じていた違和感の正体。それは―――
「三井さん、髪の色…」
「ああ、昨日染めてきたんだ」
ミルクティーブラウンだった髪は綺麗なアッシュグレーに。馴染みすぎてすぐには分からなかった。今日はセットしていないのか、さらりと揺れるそのグレーに手を伸ばす。
「…楓くん?」
「すごく…似合ってて、素敵です」
素直に言ってしまってから、急激に襲ってくる羞恥。弾みで耳に触れてしまったことにも動揺しながら慌てて手を引いた。
「…もう一回」
「え…?」
「もう一回、言って」
逃げた指をするりと絡め取られ、近づく相貌。長い睫毛が数えられる距離はどれだけ心臓に悪いか。叫びだしたくなるのをぐっと堪えて、蚊の泣くような声を振り絞る。
「…すごく、似合ってま、す……っ、んん…!」
言い終わるか終わらないうちに食まれる唇。舌こそ入ってこなかったものの、あちこちに落とされたそれはあまりに熱くて。
「ありがとう。嬉しい」
珍しく破顔する彼を前にして、顔面の赤みは当分引きそうになかった。
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