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戻ってきた楓くんはどうにも浮かない顔をしていて。尋ねてみるも首を振るばかり。得体の知れない焦燥感から逃げるようにアトリエへ向かった。 「…すみません、さっきは言えなかったんですけど」 リンさんを寝かせた部屋を後にする。少し沈んだ声を受けて隣の彼を見やった。おずおずと差し出されるのは1枚の名刺。仕事で何度も目にする似通ったデザインのそれを一瞥して首を傾げる。 「これ…どうしたの?」 「実は俺も良く分からなくて―――」 コンビニでのいきさつを聞いてすぐ、スマホを取り出す。店名でサーチを掛ければ現れるホームページ。名刺の名前を確認してからキャストのページを開いた。 「は……?」 思わず漏れた呟きを拾うと、不安そうな表情を浮かべる楓くん。フォローを入れることも忘れて画面を注視してしまう。 あまり加工の施されていないその画像は。 間違いない――― 「………淕、」 「三井、さん…?」 突如として浮かんだ謎の人物名に、とうとうくしゃりと顔を歪める。慌てて手を引っ張り抱きしめながら。 「ごめん、あの……会った時、何か思わなかった?」 「いえ……別に」 少し拗ねたような涙声。不謹慎とは分かっていても、惚れた欲目で可愛いとさえ感じてしまう。 「多分…いや、ほぼ確実かな。この人は俺の弟」 「おと、うと……?」 瞬く瞳から滑り落ちる涙。そっと指で拭って続けた。 「うん。悪い子じゃないから…まあ、仲良くしてあげて」 頷く彼の頬に唇を寄せれば、しばらくの放心状態。ゆっくりと俺を見つめ、そして――逃げた。 「ああああの、リンさんの様子!見てきます…っ」 自らの態度を思い出したのか、脱兎のごとく部屋を飛び出すその耳朶が赤く染まっていて。先は長そうだとひとり嘆息する。 既にこの時点で淕のことは頭からすっかり抜け落ちていた。

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