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「すいません、遅くなって」
「大丈夫だよー」
ひらりと手を振る雅 さんに頭を下げて、再び掘りごたつに腰を据えた。雅というのは、淕さんがお店で使っている名前だそうで。
「兄貴と付き合ってどのぐらいなの?」
「…えっ、と」
身も蓋もない聞き方に、思わず頬を引き攣らせる。付き合うに至るまでの経緯を話す形になってしまい、トイレへ逃げたというのに。まさかそのまま続けるとは思っていなかった。
これでは意味が無いとため息をつきたくなるのを堪えて、曖昧に言葉を濁す。
「まあ…少し前から、ですかね」
「そっかー、じゃあもうシたんだ」
「え?」
にこにこと微笑む彼に首を捻ってみせれば。
「だから、セックス」
「……ぶっ」
あまりに直球すぎる言い方に、個室で良かったと安堵する。吹き出した飲み物を慌てて拭き取りながら恨めしげに相手を見やった。
「何ですか急に…!」
「え、まさか…まだ?」
一転して申し訳なさそうな表情をするが、もう遅い。このまま機嫌を損ねてしまおうかとも思ったけれど。
晴れてお付き合いをするようになった後も、あまり接触してこない三井さん。そんな態度に不安が無いと言えば嘘になる。この際だから聞いてしまえと口を開いた。
「…今までは、どうだったんでしょう」
「遅くとも1週間以内には抱いてたと思うよ。僕の知る限りでは」
いっしゅうかん、と口の中で反復する。静かにグラスの中を混ぜる彼は嘘を言っているように見えない。
(…そんなに、魅力ないのかな)
例えば、女性だったら。
一般的に思い浮かべるのは、長髪。滑らかな身体、柔い胸。そしてなにより男性を受け入れるための器官がある。
「むかーし兄貴が言ってたこと、教えてあげようか」
頬杖をつく雅さんが笑う。ことさらゆっくり告げられたその言葉は、俺の心をじわじわと侵食して行く。
「あんまり思い入れがない子には…手を出さないんだって」
息が、苦しい。歪む笑顔を見ていられなくて思わず俯いた。
「―――すぐ、別れられるように」
握りしめた拳にぽたりと落ちる、何か。
「楓くん」
「……、っ」
耳朶に届くのは、愛しい人の声音と寸分違わぬそれ。きっと意図して寄せたのだろう。
2人は間違いなく血の繋がった兄弟だということを再認識させられて、唇を噛んだ。
「僕で良かったら、いつでも連絡してね」
くしゃりと髪を撫でる指は、記憶にあるものより細い。もっと繊細に、壊れ物を扱うかのようなあの手のひらが恋しくなって、また揺らめく相貌。
三井さんは―――俺との別れを考えている。
すぐには飲み込み切れなくて、はいともいいえともつかぬ答えを返した。
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