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239.
「お邪魔します」
もう、そろそろ慣れたと思う頃だったのに。この家に来るのも、玄関を通るのも。
ともすれば涙が零れてしまいそうで、耐えようと深呼吸する。
「ごめんね、急に呼び出して…ちょっと話したいことがあったから」
いつも通り穏やかな声。最後までこの人らしいと思いながら、ココアに口を付けた。
「……最近、避けてる?俺のこと」
予想もしなかった言葉が届いて、ゆっくり顔を上げる。
別れ話は、とか。離れたがっているのはどちらだ、とか。
言いたいことはたくさんあるのに上手く纏まらなくて。
「…三井さんも、お忙しそうでしたよね」
何とも可愛げのない台詞に思わず俯く。ふ、と笑う気配。けれどそれはどこか諦めを含んだもの。
「うん。…ハルの手伝いとか、色々あったし」
ハッとした。そうだ、記憶喪失。普段の生活ひとつ取っても、元のように振る舞うのは大変だろうに。
途端に自分が酷く子供に思えて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「楓くん」
呼ばれて視線を上げると。今朝の夢で見たそのままの彼が、ここに居て。途端、不自然に跳ねる鼓動。
「…っ、…や」
すっと伸びてくる手と、夢の手が重なる。違うものだとは分かっていても。
[その手で、女の人を―――…]
反射的に払い除けてしまってから、距離を取った。
冷や汗こそかかなかったものの、未だ息苦しい胸を押さえるようにしてそちらを見つめる。
触れられたくないと、咄嗟に思って。
そんな俺を呆然と眺めた彼は、ややあって立ち上がる。
「……しばらく…離れよう、か」
きっとそのまま別れる気なんだろう。自分で撒いた種に傷付いてどうする。震える足を叱咤して、部屋を出た。
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