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あれから数回、身体を重ねて。終わったあとのピロートークも含めて、じんわりと、胸が温まるような愛をもらっている。 しかし、熱に浮かされた最中でもまだ三井さんを直視するには程遠く。 季節は6月。どうしても梅雨を連想するこの季節は、あまり好きではない。 新宿、歌舞伎町。 友人達とカラオケボックスを出た早朝も、霧雨が街を支配していた。折りたたみ式の傘を取り出して彼らと別れる。 向かうのは、グランジュエル。 仕事終わりの彼と合流して、そのまま家にお邪魔する約束をしていた。 「あ…お疲れ様です」 「うん、おはよう」 店前に佇む痩躯。まさか本人が迎えてくれるとは思わず、目を瞬かせていると。 「……あんまり見せたくないから、他の人に」 恥ずかしそうに笑う三井さん。くしゃりと頭を撫でられて伝染した羞恥。今、きっと耳まで赤くなっているはずだ。 手を引かれてゆっくり踏み入れた店内はひっそりと静まり返っていた。 「着替えてくる。待ってて」 水の入ったペットボトルを渡され、隅の椅子に腰を下ろす。消えた方向を伺えば、僅かな喧騒が伝わって来た。 男子更衣室はどこも同じように盛り上がるのかと、高校時代を懐古して。普段なら聞こえないざわめきも、閉店後の静寂に支配された今なら耳に届く。 「――だからさ、絶対…だって!」 「えー……お前だけ…だろ?」 「あ、ルイさん!……は、…思います?」 切れ切れに聞こえるその会話に加わった三井さん。途端にどきりと跳ねる心臓。何の話題か分からないことがこんなにも不安だなんて。この胸騒ぎが勘違いでありますように、と願う。 「んー…どっちでも……、だよ」 「マジですか?」 「そうは言っても、…とか、……でしょう?」 いつもの調子でのらりくらりと交わす彼に食い下がる後輩らしき人物達。困ったような声で答える様子に、そっと扉の側まで近寄った。 「…まあ、そりゃ……うるさくない方が良いかな」 「ですよね!ほら見ろシュン」 「ええ、俺は喘ぎ声も興奮材料なんだけどー?」 どうやら夜のお話らしい。ひくりと頬を引き攣らせて、元いた場所へ戻ろうとした瞬間。 「男の喘ぎ声なんて興奮材料にならないでしょ」 呆れたように吐かれる、否定。耳を疑った。 真逆の言葉を伝えられたのはついこの間だったのに。 (……うそ、つき) 今までの時間は何だったのか。 向けられた顔も、声も。全てが歪む。 嫌な予感は、的中した。 『急用ができたので帰ります』 ほとんど無意識に指を滑らせる。 店を出てしばらく、自然と速まった歩調。 (…もう、嫌だ) 彼のたった一言でこんなにも心をかき乱されてしまう自分が。笑顔の裏で何を考えているかも知らず、簡単に騙されてしまう自分が。 半ば走るようにしながら、ただ前へ進む。 傘を忘れたことに気づいたのは、駅に着いてからだった。

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