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雨の降るあの朝、更衣室から出ると楓くんの姿はなかった。トイレにでも行っているのかと首を捻って、スマホを取り出す。 『急用ができたので帰ります』 たったそれだけの文章。早朝に急用とは、きっと余程の事だろう。 取りあえず電話をかけるも留守番サービスに繋がって。落ち着いたら折り返してほしい旨を吹き込み店を出た。 それから全く連絡がつかない。 電話もメールも無視、学校に足を運んでも捕まらず。流石におかしいと思い始めて一週間。 『別れてください』 穴が開くほど画面を見つめて。 突然のメール。 差出人は、もちろん楓くん。 全くもって訳が分からない。震える指で連絡先を表示し、コール音を聞く。 プッ―――という、受話音。何度も聞いた留守番サービスの無機質な音とは違う。 「楓くん…?」 『……メール、見ましたか』 留守番サービスの機械音に負けず劣らず感情を削ぎ落としたような、痛々しいまでの声。 言いたい事が上手くまとまらず、喉の奥で絡まる。もどかしい感情ばかりが先走って。 「見た、よ……見た、けど。どうして…?俺、何かした?」 縋る姿はきっと滑稽だ。(こご)った息を吐いて、スマホを握りしめる。 『…もう、無理です。貴方を…三井さん、を。信じられません』 するりと、力が抜けた。床に落ちた端末からは何の反応もない。 しばらくそうして立ち尽くしていた俺の視界には、何一つ入らなかった。 だから、気付かなかった。

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