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これは、本当に。 (やらかした……!) 聞こえた会話の全て。自分の失態を悟り、ぐったりと頭を抱える。ここまで来てまさか、予想外の事態だ。 ガチャリと開いた扉から現れるハルさん。見上げる先の表情は穏やかで。 「昨日…突然連絡して悪かった。前もって日取り決めたら、芹生くんがルイに連絡しちゃうかなーと思って。あいつのこと、驚かせてやって」 律儀で良い子だもんな、と頭を撫でられるがそれどころではない。しゃがみ込んで合わせてくれた視線。いたずらっ子のようにパチリとウィンクして、そのまま玄関へ。 と、いうことは。 「ハルさ―――」 「お邪魔しました~」 俺が来ることを、三井さんには連絡していないような口ぶりだった。 (…マジかよ) とはいえこのまま唖然としているわけにもいかない。意を決して扉に手をかける。 「あれ…ハル?」 振り返った三井さんを見て、思わず息を詰めた。どうしようもないほどの違和感。 複雑な虹彩の瞳は両方ともこちらを向いているのに―――焦点が、合わない。 「み……みつ、い…さん」 「っ、え…!?」 立ち上がった彼は、ふらりとバランスを崩して。咄嗟に駆け寄って支える。 「すみません、あの……俺…」 まずは何から話せば良い?連絡せずに来てしまったこと、そもそも騙し討ちのような形にするつもりはなかったこと、それよりも――― (……目…が、) 間違いなく、見えていない。半ばパニックになりそうな状況の中でどうするべきか必死に考える。 元いた位置に彼を座らせ、自分もおずおずと隣に腰を下ろした。落ち着いた所で回していた腕を慌てて引こうとする、途端。痛いほどの力で抱きしめられた。 久しぶりに感じる温もりに、じわりと目頭が熱くなって。 「…ごめん。嫌、だろうけど、少しだけ……」 「嫌じゃ、ない、……です」 どうしても震えてしまう語尾を恥ずかしく思いながら小さく告げれば、首筋に埋まる相貌がゆっくり上げられた。 「…勘違い、してて」 「何を…?」 するすると這わされる指は顎を伝って頬へ。まるで存在を確かめるかのようにやわく包まれる。 「男の…喘ぎ声、興奮しないって言ってましたよね。更衣室で」 「っ、あれは……!」 「知ってます。さっき…ハルさんとの話、聞いてました」 「…だから、俺のこと信じられない…って?」 頷く振動が伝わったのか、ため息と共に抱き寄せられた。大人しく腕の中に収まりながら、頭上からの言葉に耳を傾ける。 「君の声ならいつでも聞きたいに決まってるでしょ。こんなに―――…」 ふと途切れた言葉。不審に思って問う前に、そっと離されて。 「……楓くんは、綺麗だよ」

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