272 / 330
272.
相手からは見えないことを勇気に代え、そっと唇を押し付けた。触れるだけのそれが、却って堪らなく恥ずかしい。
「…ふふ。見えるようになったら、またしてもらおうかなぁ」
「もうしません………」
初めて自分から送った口付け。羞恥を煽られ、きっと顔は真っ赤だ。
けれど。
"また"の約束ができる。些細な言葉に滲む未来が嬉しくて。
「…教えてください」
そっと服を引いて催促する。一刻も早くこの空気から逃れたかった。嘆息した彼を纏う雰囲気が変わり。
「…ミウ、が………死んだ、んだ」
やっと文章の意味を理解して、しばらく。それでも声が出なかった。
「な、…、…えっ……?」
部屋を見渡しても、姿が見当たらない。元気がないと言っていたハルさん。入院しているのだろうか、と考えていたのに。
「心臓発作だって。持病は無かったけど、あっという間で……」
淡々と述べる彼は、果たして泣いたのだろうか。
何となく…全てを背負ってしまっている、気がした。
「傍に、居られなくて……ごめんなさい」
慰めの言葉は、きっとたくさん聞いている。お悔やみの言葉も今は必要ない。
ただ、大事な時に支えてあげられなかった自分が悔しくて。一見変わらぬような彼をそっと抱きしめた。
「……もっと早く、気づいてれば。もしかしたら…って」
「はい」
「なんで……」
「はい」
「なん、で…みんな、いなく、な……っ、」
穏やかに返事をしていると、徐々に震えていく声。濡れる肩口が温かい。
みんな、という。その言葉。
きっと俺も含まれている。だから、
「三井さんだけのせいじゃありません」
背中を撫でて囁く。この繊細で美しいひとが、少しでも自責の念から解き放たれますようにと。
「…ずっと、居ます」
「え…?」
「隣に。…好きですよ、三井さん」
ゆっくりと上げられた相貌。水滴の乗った長い睫毛が揺れて、それから。
「…楓くん」
くしゃりと歪んだ微笑みは、それでも綺麗だった。
ともだちにシェアしよう!