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「……吐きそう」 ぽつりと漏れた言葉に横顔を見遣れば、確かに常よりも青白い顔の三井さん。笑おうとして、そういえば自身にも余裕が無いことにはたと気づく。 「緊張、しますね」 「楓くんも?」 予想外だ、と言わんばかりに目を見開く彼へ苦笑をひとつ。 「自分の家族ですけど、そりゃまあ…」 男性とお付き合いしている事を初めて告げる上に、就職先が変わるかもしれない、なんて。後者はまだ未定だが。 10月の中旬。そろそろ挨拶しておきたいという彼の申し出によって、我が()の前に立っているところだ。 「行きますか」 「…うん」 頷く表情は、やはり少し硬い。手の甲をひと撫でして、絡める視線。僅かに和らいだ目元を確かめてから扉を開いた。 「ただいま」 声を掛けると聞き慣れた足音。 「お帰りなさい。遅いからもう来ないのかと、思っ……」 リビングから現れた母親が、固まる。まあ想像通りの反応だ。三井さんと顔を見合わせた。 「初めまして。三井と申します」 頭を下げた彼にたじろいだ彼女は、取りあえず入ってと俺達を促した。 付き合っている人を、家に呼ぶ。 両親にはそれしか告げていない。当然ながら、相手は女性だと思い込んでいるだろう。 その証拠に、リビングに居た妹達はあんぐりと口を開け、父親も夕刊片手にこちらを凝視している。 三井さんの実家にお邪魔した時は、先に話が通っていたらしいから。こういう反応が普通なのだと頭では理解していても、この先の障壁を考えると更に落ち込んでしまいそうになった。 自分がこれほどまでのダメージを受けている隣で、彼は傷付いていないだろうか。 ちらりと目を向ければ、大丈夫だよと柔らかく微笑んでくれた。 「それで……」 腰掛けた先、目の前の父さんが言い淀む。俺達を交互に見比べたその意図を汲み取って、頷く。 「…8ヵ月、ぐらいかな」 「お付き合いさせて頂いてます」 言葉尻を引き取った三井さん。目配せし合った両親は、ややあってふと笑う。 「……正直、驚いたわ。でも…楓のそんな顔、見せられたらね」 「無理矢理引き離したところで辛いだけだろうな。…まあ、その様子だとそもそも不可能か」 これは。 思ったよりも随分と寛容な姿勢に、肩透かしを食らった気分だ。三井さんもまた拍子抜けした様子で。 「その代わり、泣かせるようなことがあったら別れてもらいます。良いわね?」 「責任を持って幸せに出来るというなら、これ以上何も言わないが……」 念を押す母親。どうだ、と目で問うてくる父親。 「お約束します。…何に代えても、彼を護り幸せにすると」 重く響いた声が溶けてしばらく、柔らかくなった空気。一呼吸置いて、数枚の書類が入ったファイルを取り出す三井さん。

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