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302.
「―――…という経緯で、彼をスカウトしている最中です」
「…なるほど。言い分は分かった」
元ホストだったこと、辞めた後に何をするかということ。簡単な事業計画書と詳細の記された書類を前に説明する三井さん。
「親として。本音を言わせてもらえば、安定した職に就いて欲しいと思う」
「重々承知しております」
眉を下げた淡い笑み。何故だか胸が締め付けられて、深く息を吸った。
「…だが。どうしてもと言うなら、応援してやるのが親の役目だとも思う」
ひたりと据えられた父親の双眸。探るようなその漆黒に正面から向き合って。
「もう良い大人だ。楽な道ではないことも分かっているだろう。結婚も、ましてや法的関係を結ぶ手続きさえ簡単には行かない。それでも、選ぶのか?」
口ではああ言っておきながら、やはり心配そうな母親を見遣る。
「…お付き合いに、後悔はない。ただ、仕事に関しては……もう少し、考えたい、です」
そうか、と頷く両親。
店舗の下見に連れて行かれてから、時間をくれと言って数日。まだ決めかねている俺に呆れていないだろうか。
隣の彼を見上げれば、どこまでも深い眼差しに絡め取られる。全て分かっているようなその視線がこそばゆく、いたたまれなくなって俯いた。
「どちらにせよ、双方ともに誠実に向き合うのよ」
優しい母親の声に首肯して、この話は終わった。
トイレに席を立って、リビングへ戻る途中。
「ねえお兄ちゃん!」
「ああ…ごめん、煩かった?」
廊下を駆け寄ってきた下の妹。勉強の邪魔をしただろうかと謝れば、ぶんぶんと顔を横に振る。
きらきらした表情で、しかしその口から出るのは予想もしていなかった話題。
「あの人、ルイさん?」
「え……」
何故、それを。問う前に、続いてやって来た上の妹が補足してくれた。
「だいぶ前にテレビで放送してた特集、覚えてる?」
「テレビ………ああ!」
思い出したのは、三井さんとすれ違っていた時期。今より少し幼い妹が画面を食い入るように眺めていた記憶がある。
「実物の方がかっこいいね!」
「ふふ、言ってあげたら喜ぶよ」
柔らかい髪を撫でれば、更なる爆弾発言を落とす。
「彼女とかいるのかなぁ?」
「か、彼女……」
小学校中学年に差し掛かったこの頃、同級生の影響か早々に大人びてきた妹。ふとした瞬間に滲む色気を年相応だと思わずとも、今ばかりはあまり良い気はしなかった。
「…ルイさんはね、うーん……お兄ちゃんの、だから…駄目、だよ」
嗚呼、大人気ない。言ってしまってから頭を抱えたくなる。上の妹の含み笑いが一層羞恥を煽り、きっと頬は赤く染まっているだろう。
「ふうん…そっか、じゃあ結婚するの?」
無邪気に見上げる彼女の頭を撫でる手が、止まった。
「あっ、こら…!」
慌てて後ろから抱き上げた上の妹に笑いかける。自分では上手く取り繕ったつもりの笑顔も、一つ屋根の下で長く暮らしている彼女にはお見通しだったらしい。舌打ちこそされなかったものの、柳眉が僅かに寄った。
「…早く戻りなよ、兄ちゃん」
顎で指すのはリビングの扉。抱き上げた妹をそのままに、2階へ消えた彼女。随分と大人になったものだ。
他意が無いからこその鋭い言葉は、心を抉る。
自分が彼を縛っているとしたら。可能性を狭めているとしたら。
そんなことはとっくに考えて、考え抜いて、それでも答えは出ない。
プライベートで隣の場所を貰えている今の状況が、もはや奇跡に近いのだ。いつの間にかそれ以上を高望みするようになった欲張りな己に気付いた瞬間、愕然とした。
ここまで自由を奪ってなお、残りを欲しがる貪欲さに嫌気が差す。いつからこうなってしまったのか。
戻ろう、以前の自分に。
仕事関係も拘束しては、きっと罰が当たる。早々に飽きられてしまわないためにも、一定の距離を保つべきだ。
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