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312.
シン――と静まり返った室内。やはり三井さんは仕事に出ているようで、ほっとする。
今この状態で鉢合えば、何を言ってしまうか分からない。
目当ての着替えを手に入れて、早く出るに限る。
寝室へ入ろうとした、瞬間。
「……ひ、…っ」
パチリと付いた電気。反射的に身を竦めて固まる。何故、どうして。自分しか居ないはずのリビング。
恐る恐る振り返りかけたその横を過ぎる、懐かしい腕。壁との間に挟まれ、久しぶりに対峙するのは。
「み…つい、さ……」
疲れた目元と眉間の皺。思わず手を伸ばそうとして、ぐっと踏みとどまる。
「…嫌いに、なった?」
「え……」
記憶にあるよりも随分と弱々しい声音。耳には届いている。それでも、聞き返さずにはいられなかった。
黙って見つめ合うこと、数秒。
「……俺を。嫌いに、なった?」
それはこっちの台詞だ。あんな――あんな、場面を見せつけておいて。意図した訳ではないにしろ、行為自体がもはや同義だ。
やや上にある琥珀を睨めば、眉根が寄る。深くなった皺。
「質問に答えろ」
底冷えする声と、聞いたことのないような厳しい口調。それほどまでに嫌っているのなら、もう解放してほしい。
この人は、何がしたいのか。
散々こちらを弄んで、陰で笑っていたのだろう。馬鹿な奴だと。
「―――出逢わなければ、良かった」
感情と共に溢れた涙はそのままに、滲む視界を遮断する。
答えになっていないような言葉でも納得はしてくれたらしい。ずるりと壁を滑って離れる腕。
「……そう」
ひとり、寝室へ消える三井さん。
遊ばれていると分かっていても、しがみつけば良かったのか。みっともなく喚いて、自分だけを見てくれと。
決して行動に移せず、ただ考えるだけ。可愛げのない、こんな性格だから。
俺が居なくても、彼は生活できるだろう。
鼻を啜りながら玄関へ向かった。
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