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どうして

 無意識なのか何なのか、こいつの、たまに物凄く艶っぽくなるところが苦手だ。 ……仕事用じゃない、本当の、名前。  囁かれた台詞を胸中で反芻して、おずおずとやつを見る。 「……っ、」  まだ顔が近くて、掴まれた手の力も案外強くて、心拍数が上がる。  耳打ちされた言葉を心のなかで呟けば、どうしてか、かぁ、と身体が熱くなった。  なんだ、この気恥ずかしさは。  キレーな顔で見つめられて、居心地が悪い。 「ついでに俺、テツヤさんより年下だから呼び捨てで、ね」 「……は? うぇっ? そうなのか……? 見えねぇっつうか、歳分かんねぇ顔してるっつーか……」 「あは、よく言われる。年齢不詳だって」  正直なところ、俺と同い年くらいだと思っていた。  見た目は小綺麗で若々しいんだが、話し方や雰囲気がどうにも年下には見えない。  仕事のせいか、不意にやつから滲み出る静かな色香や安定した余裕は、それなりに色んな経験をして、多くの場数を踏んでいることを暗に物語っている。  どこを見ればいいか分からずランダムに並んだビールの空き缶を眺めていると、やつがテーブルから離れ、おもむろに俺の隣へ座った。 「……なあ、いいのか。個人情報、他人に話して」 「うん、テツヤさんだからね。それより、これからは名前で呼んでよ? なかなかいないからさ、本名で呼んでくれる人って」 「……なんで、」  缶ビールが底を尽きたらしい。  テーブルに準備していた氷とウィスキーをロックグラスに入れ、カラン、と傾ける様子を眺める。 ……なんか、バーカウンターが似合いそうだな、こいつ。 「なぁに?」  くいっとグラスを煽り、素面と変わらない顔色でこちらを窺う。  俺の言葉を、いつもみたいに微笑んで待ってくれるが、そこにいやらしさは欠片もない。  多分これが、こいつの素の表情だ。

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