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第9話

 拳が飛ぶ。岩城の頬に熱が生まれ、痛みへと変わった。腹に蹴りが入り、壁に背を打つ。包丁を向ける恋人は泣いていた。この頃は毎日のように泣いている。 「なんで…なんで、もうしないって、言ったじゃん…」  宇賀神(うがじん)李桜(りょう)と離別することを選ばせてから、恋人は初めて嫉妬を見せた。喫茶店アネモネに来ていたらしかった。来ていたといっても外から覗いていたようだった。でなければ説明がつかなかった。女性従業員や女性客と関わることから始まり、何度も彼は岩城を責めた。愛してないの。もう好きじゃないの。オレもう要らないの。傍にいてくれないの。置いていくの。オレ死んだほうがいいの。一緒に死んでくれないクセに!。彼は悲観から始まったが段々と憤怒へ変わり、暴力を伴うようになった。 「すまない、夕凪。不安にさせて悪かった…もうしない、本当だ」  同じ言葉を繰り返す。女性を避けた生活は困難を極める。若い女とすれ違っただけでもどこで見ていたのか浅香は発狂して岩城を殴った。老女であろうと彼は容赦がなかった。 「種馬野郎!女の人たちみんなに赤ちゃん産ませる気なんだ!当て付けなんだ!オレをバカにして!楽しいかよ!」  包丁の柄で浅香は岩城の頭を叩いた。涙が雨のように散る。また店長や同期に何か言われ、ホールは任せられないからと事務に回されるのだろう。何かあるなら然るべき機関に相談するよう苦言を呈されたばかりだった。 「愛してるなんて嘘だ!オレに赤ちゃん産ませる気なんだ!他の女の人にしてるみたいに!汚い!汚い!気持ち悪い!」  血走った目が岩城を見下ろしていた。愕然とした眼差しが何かに気付いたように(うずくま)る岩城の身体のラインを辿った。下半身で止まり、包丁が逆手に握り直される。 「取っちゃおうか…?こんなものがあるから!こんなものがあるからいけないんだ!セックス野郎!あんたが女の人をレイプするんだ!悪魔が産まれて!オレを殺すんだ!」  包丁がシンク上の電気に輝いた。本能的な恐怖に身が竦む。 「遊波(ゆあ)をレイプしたのもあんただ!それでオレが殺した!オレが殺したんだろ!オレが殺した!オレがレイプしてオレが殺した!」  彼は髪を掻き乱して引っ張った。傷んだ毛先が毟り取られ、床に散る。幼い手は岩城の艶やかな髪も鷲掴んだ。 「父親が母親をファックしてオレが産まれる前に、あんたを殺してオレも死ぬ…」 「夕、凪…っ!」  酒の匂いに殴打され続けた頭が痛くなる。髪を掴む手を押さえ込むが、包丁からも目が離せなかった。 「アイシテルなんてこの世にない!ファック、ファック、ファック!男と女がいればどいつもこいつもセックス、セックス、セックス!あんたがオレと遊波(ゆあ)を産ませる前に、助けなきゃ…遊波(ゆあ)…可哀想に…今助けてあげるからね。ごめんね、もっと早くこうしてあげられなくて…兄ちゃんのこと許して…こんな場所に閉じ込められて、可哀想に……鳥籠だよ!鳥籠だ!薄汚い鳥籠だ!生臭くて!生き地獄だよ!エゴと欲望の巣窟だ!」  岩城を壁へ突き飛ばし、浅香は激しい起伏を見せた。洗ったばかりの食器が崩れる。落ちたり割れたりはしなかったが派手な音だった。びくりと彼の肩が跳ね、停止した。 「夕凪…」  名を呼ぶことしか出来なかった。腹と頭の痛みに顔を顰める。豹変した恋人は目の前の欲望の権化に気付いたらしく、包丁を腿に投げつけ、開いた酒を呷った。何の薬かも分からない錠剤を掌に出ただけ口に放り込み、酒の残りで流す。錠剤はぼろぼろと床へ転がり、弾んでいた。 「よせ、飲むな…!」  突然静かになり、岩城の脇を通り抜るとリビングへ向かっていった。ソファへ一気に重みのかかる音がした。 「わか、…れて」  姿は見えないが、彼はそう呟いた。乾涸びた声だった。 「わ、か…れて…別れ、て…」  がらがらとした声のまま譫言を繰り返す。 「別れて……別れて…オレを殺して………遊波(ゆあ)を産まないで……殺してあげて…」  身を引き摺ってリビングへ近付いた。ソファの背凭れに体重を預け、首も後ろへ反っていた。息苦しそうで、岩城は自身の痛みも忘れた。 「別れない。君の傍にいる。離さないし、死なせない」  浅香はそれを聞くと、つらそうに大きな溜息を吐いて目を閉じた。彼の隣に座っても、何の反応も見せなかった。裂けた皮膚は沁み、腫れた部分は熱を持った疼いた。殴られ続けた頭も、力任せに蹴られた腹も痛む。それでもまたこの青年を放せなかった。この惨めな生き物が可愛らしくて哀れで夢中になる。彼の腹部が薄気味悪く鳴って、意識もないくせ潮を吹いたみたいに溶けかけの錠剤を吐き出した。生々しい匂いが酒と共に漂った。咳き込むように何度か分けて彼の肉体は波打つ。痩せてしまった背を撫で摩っていると目が覚めたらしかった。 「岩沢さん…」  はっはっ、と呼吸が速くなっている恋人を、衣類が彼の嘔吐物で汚れることも厭わず抱き締めた。 「ごめん、ごめんなさい…岩瀬さん……ごめんなさい、岩峰さん…」  ぱさついた髪を優しく撫でた。短く切り揃えてあるというのに爪で彼を傷付けてしまうことを恐れながら。何度も髪を撫で付け、耳の裏を指先でくすぐった。 「こんないい子はいないよ、夕凪。こんな可愛いくて、優しい、よくできた子は他にはいないよ、夕凪」  彼はまた泣く。哀れみがまた気の狂った恋人をひどく愛しいものにする。自罰的で、内省的なくせ社交的で陽気な仮面を被っていた。 「岩室さん……助けて……怖いよ…苦しいよ…」 「夕凪は真面目ないい子だから、大丈夫。俺が傍にいるから、何も怖くない。君は俺が守るから…」  浅香は息苦しい呼吸をして言葉がなかなか出てこないようだった。だが何か聞いてほしいみたいだった。 「オレ…はバケモノ…だから…絶対、岩代さんの、こと不幸にする…絶対…これは絶対なんだよ…」  岩城の腿に手をついて、ゆっくり身を起こし、岩城の腕から離れようとする。健気な姿を胸を打つ。抱き締めるだけでは足らない愛情が炎の渦を巻く。 「それなら…君を愛した先の不幸を掴み取ることが、俺の幸せだよ」  これ以上無駄口を叩かないように彼の唇を慣れた口付けで塞いだ。  喫茶店に宇賀神は現れた。絶交したのは浅香だというのに岩城は後退ってしまい、丁度良く通りかかった後輩が席へ案内した。青年は店員に話しかけ、何やら本当にクレームめいたことを言っているらしく後輩は困惑気味に岩城へ視線を送った。 「どうかなさいましたか」  仕方がなく、後輩を解放させ岩城が相手を代わった。宇賀神は猫背になりながらテーブルにのめっていたが、岩城の顔を見るなり目を丸くして、背凭れに背中を打った。 「夕凪のことで話あんだけど。何時頃なら空いてんの」 「…18時頃には」  教える必要はなかった。他の客ならば答えなかった。だが浅香夕凪の話となれば答えざるを得ない。 「分かった。んじゃその頃にまた来るわ。店先で待ってる。で、タマネギ抜きのホットドッグとコーラと厚切りベーコンサンド。飲み物同時で」 「かしこまりました」  メニューを(そら)んじていた。他の従業員に訊けば、岩城の休日にも何度か来店していたらしかった。そして岩城のことを訊くらしかった。岩城のファンの息子や兄弟、もしくはカレシなのではないかと噂になっていたらしい。不本意ながらも迷惑をかけていたことを謝り、提示した時間までは気を奪われることなく勤務に励み、急いで制服を着替えて店前へ出た。南向きのガラス張りの壁の前に並べられた花壇の前に宇賀神は立っていた。 「ここで話す?」  宇賀神は肩を竦めて両手を見せた。 「人に聞かれたらまずい内容なんですか」 「それは聞いた人に()ンな」  挑発的な態度で、軽蔑も透かしていた。敵意はどこかこの男の持つ浅香とまた違った幼さによって愛らしく隠れている。 「場所を移しましょう」 「この辺り、詳しいワケ?」 「いいえ」  4年ほど前に何となく流れ着いたようなものだった。だが4年間暮らしていても商店街には決まった店以外、あまり足を運ばなかった。すぐ近くの都心部で大体の物は揃う。日用品や食材くらいでしか商店街の中に用はなかった。とするとアパート付近の寂れた小さなスーパーで事が足りた。宇賀神は商店街の大通りの角にある狭そうな喫茶店へ案内した。 「ボクが持つから」  ぶっきらぼうに宇賀神は吐き捨てた。 「歳下に奢ってもらうほど困っていませんよ。俺が払います。好きなものを頼んだらいい」  断ると、じゃあ別払いな、と宇賀神はぼやくように言った。店内は薄暗く、ダウンライトで足元はほぼ見えなかった。木材の凹凸や樹皮を防腐剤を塗りたくったくらいで大した加工をすることなく柱にし、照明器具は天井から吊り下げられたランタンだった。内装はこの商店街の雰囲気には合わないほど洒落ていたが狭かった。目の前に宇賀神が座り、行儀悪く座面に足を乗せ、膝を立てると2つあるメニュー表の片方を放るように渡す。思い出しように浅香との付き合いは家の中ばかりだった。浅香は商店街の中を出歩くだけでも一苦労なのだから。尾けられていた間も彼は不安と不快と恐怖に打ちのめされていたのだろう。 「大丈夫かよ?」  宇賀神はぎょっとしながらメニュー表を下げ、薄明かりの中で岩城を見つめていた。 「ああ、すまない…」  涙に気付く。慌てて拭った。開けていないおしぼりを渡されるが、返した。気に入らない男だが気遣いは出来るのだろう。 「何、花粉症?」  宇賀神はもともと気難しそうな顔をしていたが、さらに小難しげな表情をしていた。岩城と目が合うなり、ばつが悪そうに顔ごと逸らし、隣の席と仕切りになっている自然な形の木板に背を預ける。テーブルや腰掛け、個室を造る壁には艶やかなニスが塗られ、オレンジのライトの中で白く煌めいていた。 「いや…別に…何も…」 「ボクはガラナにするけど、岩城サンは」 「決まりました」  岩城の傍にあったため、呼び出しボタンを押す。暗黙のうちに、話が始まるのは注文が届いてからだと決まっているらしかった。互いに沈黙し、宇賀神は座面に胡座をかいて外方(そっぽ)を向いたままちらちらと岩城を盗み見、岩城はじっと暗いテーブルの下を凝視していた。浅香のこと以外に話すことはない。そういう仲だ。店員がガラナコーラとホットコーヒーを運んでくるまでの間はとても長く感じられた。店員が決まりきった、岩城も毎日のように心にもなく吐いた文句を残して去っていく。宇賀神は真っ赤なストローに口を付けた。俯く岩城は窺うような目に舐め回されている。どちらから切り出すのかについては暗黙的にも決まっていないことは静寂の中で悟った。 「それで、話というのは」  目的を忘れかけているのではないかと疑ってしまうほど宇賀神はただストローを齧って岩城を観察しているだけだった。 「夕凪のこと」 「それは聞きました。一体何だと言うんです、今更」  宇賀神は浅香の持っている幼さで岩城をきょとんと他人事のように見ていた。混ぜる必要のないガラナコーラをストローでかき混ぜ、氷の音が気分を撫ぜる。 「この前あいつが言ったこと」  氷がカランコロンと鳴っている。 「全部聞いたよ」  大きな氷でカサ増しされたガラナコーラを浴びせられたのではないかと思った。だがまだ目の前で赤いストローを浮かばせている。 「正直驚いた。色々とな。ああ、ボクからは番号消したけど、ボクの実家の番号なんて中学ン時の部活の連絡網に書いてあるし、ケー番なんてめちゃくちゃ語呂いいんだわ」  宇賀神は平然としていた。一本取ったという得意げな様子もなかった。淡々とありのままを話すつもりらしい。 「それを踏まえて、ボクは夕凪の傍にいるし、離れないし、まぁ好きとか愛するとかはまた別として、あいつをいい親友(ダチ)って思うのはまだ変わらねぇよ」 「だから?だから何だと言いたいんです?」 「あいつのそういう弱みに付け込んでじわじわ甚振る気なら別れてやってくれねぇかな?遊波(ゆあ)ちゃんは夕凪が殺したんじゃない。夕凪だって傷付いて、よく理解しないまま混乱して、トラウマなぞって必死に理解しようとして、泥沼嵌ってるだけなんだ。時間は長くかかるかも知れない。でもあいつを何度も何度も泥沼地獄に突き落とす真似、やめてやってくれねぇ?」 「そんなことしてる間に、夕凪は自分で決着する気ですよ」  この自称「親友(ダチ)」は何も知らない。何も見ていない。浅香の仮面を被った姿しか「親友(ダチ)」と思っていないのだ。 「あんたが夕凪を本当に好きならこんなこと言わねぇ。よくよく考えてみてくれよ。あんたは本当に夕凪を好きなのかも知れない。ボクは全然気付かなかった。踏み入ろうともしなかった。でもあんたがしたいのは夕凪を自分だけのお人形にすることだ。洗脳だ。好意の返報性っていうんだっけな。あいつもあんたを愛そうと必死だよ。でも愛せなくてつらいんだ。あんたのせいじゃない。あいつは自分自身が憎くて仕方ねぇから、自分を好いてくれるあんたを愛せないんだ」 「随分と分かったふうな口を利くんだな」  宇賀神の言葉は何も響かなかった。何かしらのフィクションに影響されているに違いない。所詮は子供の戯言で、外野の言い分だ。 「親友が男と付き合っているのが気に入らないんですか。男と付き合っている親友を持つことが、受け入れがたい?」 「女が怖いって話は昔散々聞かされたよ。遊波(ゆあ)ちゃん亡くなった後によ。孕ませちまうかもってな。冗談めかして。やっと意味が分かった。その重みも。本気ってことも。今なら、受け入れるとか受け入れられないとか、ボクが思う資格なんかねぇよ」 「思うだけなら勝手ですよ」  宇賀神は岩城を強く睨んだ。 「事実、あの子は何度も自分で死のうとしました。誰かが傍にいなければならないんですよ。誰が何と言おうと別れません」 「弱味を握ってるからか。飽きるまで束縛して…責めて、弄ぶつもりかよ?」 「…それでは貴方は夕凪の傍に居られるんですか。あの子を守れると?そのうちこの土地を出て行く貴方が?」  宇賀神の目が泳いだ。 「俺は夕凪を愛しています。これ以上ないくらいに。あんなに可愛い子はいませんよ。夕凪も俺を愛してると言いました。何度も。それを信じていますし、誰よりもセックスを怖がっていますが、同時に誰よりもセックスのことを考えている淫らな子ですよ。相手が務まるのは俺だけです」 「楽しいかよ!身も心も弱ってる人間を囲って無理強いすんのは!」  マグカップとグラスが軋み、年輪の浮かんだ分厚いテーブルが低く唸った。店内の会話がぴたりと止んだ。 「話は終わりだ。それと、ボクは、別に夕凪のためならずっとここにいたって構いやしねぇ。あいつはボクに迷惑(めーわく)かけたかねぇみてぇだケド、ガキん頃からの腐れ縁なんだからな」 「心意気だけは、夕凪の救済者(スーパーヒーロー)ですね」  投げるように少し多めの金を置いて宇賀神は出て行った。コーヒーを飲み終えるとこの喫茶店で土産にチョコレートケーキを買って帰った。 「夕凪。今日は君のお友達に会ってきた」  浅香は怖がって、岩城の機嫌を損ねないようにとゆっくり顔を覗き込んだ。岩城の声音は繊細なガラス細工に触れるほど優しかった。 「いつの間に電話なんてしていたんだ?この可愛いお口で、あの男に何を言った?」  恋人の部屋に来る前に、電話線は断ち切ってきた。チョコレートケーキをフォークで小さく刻むと怯えて震える唇へと運んだ。口を開かず、生チョコレートが幼気(いたいけ)な花弁を汚す。 「怒らないよ、夕凪。可愛い君のしたことだ。でも絶縁しろと言って、本当にそうした男にまた連絡を取っていたのか。恋人の目を盗んで…」  後退れないほど一気に顔面の距離を詰めた。怯えきり、濡れた目に岩城自身が揺れ動いていた。 「お、ねが…リョ、ちゃ…には何も、しな…ぃで……」  宇賀神に対して何かする―危害を加えるなど、考えもしないことだった。 「かわいい…最近相手をしてあげられなかった。すまないな、夕凪。愛してる、愛してるんだ」  チョコレートケーキが刺さったままのフォークを皿に置き、彼を食べることにした。甘苦いチョコレート味のキスで恋人は蕩け、岩城に救いを求めるようにしなだれかかる。ベッドに押し倒して恋人同士の営みが始まった。触れて、撫で、時には抓り、扱いては吸った。壁と胸板に挟んで、短いストロークで貪る。衣類から薫る柔らかな洗剤と彼自身の嗅ぎ慣れて岩城の肌に染み込んだ匂いが腰を後押しする。 「夕凪…夕凪、大好き…愛してる」  赤くなっている耳朶を舐め、胸を撫で回した。むしろ張りのある肌に掌を撫でられている感じすらあった。 「あ…っ、んっんっんぅ」  浅香の弱いところを突く。下唇を噛んで、快感に耐える表情に激しいピストンが止まらなかった。ベッドが揺れ、持主同様に喘いでいた。 「あっあっんく、」  潤んだ目を覗き込んでキスした。恋人の噛まれた下唇を岩城は舌先で幾度か転がす。すでに消えた生チョコレートの味を探っているみたいだった。 「ふ…ぅぅん、」 「夕凪…」  口腔に舌を忍ばせれば、繋がった箇所がきゅっと締まって奥へとさらに迎える。同じうねりを望んで強く一突きする。 「あっんンッ」 「好き、好きだよ」  緩やかに律動し、囁く。宇賀神は勘違いしている。分かっていない。背伸びをした子供だ。浅香夕凪の傷を理解していない。彼の背負う苦悩を。 「君は、セックスを肯定する人間が我慢ならないんだよね」  少し痩せた脇腹を掴んで苛烈に穿った。身体ごと腸壁が収縮し、精を絞られるがまだ耐えた。 「…ッぁ、夕凪……」 「あ…ぁう、っぅく、」  首元を抱いて胸板で肉感に触れる。 「本当はこんな気持ちいいのに?セックスが怖いのか?」 「あっぁあっ…」  前へ手を伸ばす。勃起を避け、さらにその奥の会陰を押す。浮き出た痼りを張り出た先端部で掻く。 「ここはどうだ?」 「あっ、いっぃあ、ぅ!」  浅香はガタガタ震え、脚を閉じようとした。ぎゅんぎゅんと中が岩城を締め上げ、引き絞っては包みながら放す。 「夕凪…!」  耐え難い射精感に呑まれる。官能の波に抗えなかった。首を振り嫌がる恋人を逃がさず捕らえ、淫欲を吐き出す。陰茎から彼になってしまえたら。関係ないことを考え、忘我の電流が治まるのを待つ。ベッドに転がり、潰し殺してしまいそうなほど浅香を腕に入れてのしかかった。 「可愛い…夕凪…」  腕や脚を引き攣らせ、浅香は全てを投げ出していた。傷んだ毛先が揺れ、ベッドカバーに落ちていく。ミントの香りがするシャンプーの名残を吸う。恐怖とよく似た多幸感に襲われた。浅香は何の反応も示さなかった。 「夕凪?」  情事の後は岩城の声が上擦り、言葉ひとつひとつの輪郭が丸くなってしまい、何を言っても甘えて響いた。 「岩巻さ…ん」  ゆっくりと起き上がって、今にも泣きそうな顔を向けた。土気色の顔は病的で、彼を知った時と比べると痩せてしまった。下半身は一糸纏わない彼のそこはまだ芯を持っている。 「前でいきたい?」  浅香は首を振った。 「身体に毒だ。前でいくぞ」  ベッドに座り直し、自身の脚で恋人を挟んだ。 「あっ、やっぁ、い、い!やめ…っ」  ゆっくり手の中で育てる。潤滑剤のない状態では彼の薄膜が這う陰茎を刺激しても痛むだけらしかった。フーデッドスウェットシャツの裾へ手を入れ、胸の粒を揉む。強張っていく身体にさらに追い打ちをかけ、首筋を唇で辿った。 「ぅ…ん、」  くすぐったさに彼は身を捩った。誘うような、だが劣情とは無縁なほど穏やかな香りに燻される。 「かわいい…」  愛撫に応え、質量を増した浅香の雄へ少し強く快楽を送った。片手で乳暈をくるくると形に沿って描く。肉粒を指の腹で捏ね、押した。 「う、んぁ…」 「気持ちいいか」 「き、もち…ぃ…」  健気に答える浅香と対すると、口が寂しくなって仕方がなかった。届く限り、彼のどこかを口に入れたくなってしまう。 「夕凪…」  リップ音を立てて耳朶を吸った。肩が小さく跳ねる。掌の中のものがむくむくと大きくなる。誰の為の時間なのかも分からなかった。目眩がするほどの愛情が燃え上がり、浅香をどうしたいのか分からず、ただただ気が狂いそうな苦しみが腹の奥に迸った。

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