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第8話

「……崇宏が先生やってくれてたんで、中学時代の俺は、英語の赤点を防ぐ事が出来たんです」  ふたりの英語塾での出逢いから親しくなるまでの流れを、熊谷は笑い話のように話す。それに梶さんは耳を傾けて、微笑みながら頷く。梶さんと熊谷は大分距離が縮んだ様子だ。お互い人見知りしない、人懐こい性格がどこか似ているせいもあるのだろう。 「昔から関根くんは、他人にさり気ないサポート出来る人だったのね。だから現在は私が職場で重宝してるんだけど」  「あぁ、やっぱりそうですよね。自分の時間割いて俺に教えてても、ちっとも偉そうじゃなかったし。俺にぴったり合ったやり方で教えてくれてたし。正直、どの教師より崇宏が一番教え方上手でしたよ」 (あんまり褒めるなよ、照れ臭いから)  にこにこ笑う熊谷にそう突っ込もうかと思ったら。 「熊谷さんって、関根さんの事大好きだったんですね」  会話に入り込んできたのは、いつのまにか梶さんの隣に腰掛けていた照沼さんで。 「だからいまでも仲良しなんですか?」 「別に……熊谷が英語得意になったのは、塾で教わってたからだし……」  俺が曖昧に返すと、照沼さんは首を傾げた。 「塾でずっと一緒だったんですか? 一緒の高校には進まなかったんですか?」  その質問に俺の身体が固まると。 「中学卒業したら疎遠になっちゃいましたよ。崇宏は英語力を活かして進路決めてたけど、俺は流石にそこまで賢くはなれなかったから」  代わりに熊谷が答えて、「何か甘いもの頼みますか?」なんて照沼さんに問い掛けて話題を逸らす。  俺はなんとなく気まずくて、思い出話を終わらせようと席を立った。手洗い場へ向かって、眼鏡を外して顔を洗う。 (ったく……来なきゃ良かったか? こんな呑み会……)  ぼんやりとした視力で鏡を見ても、自分がどんな表情をしているかは分からなかった。  部署同士の飲み会はとりあえず終わり。俺は梶さんと矢吹さんに礼を言うと、熊谷とふたりで人気の少ない細道を歩く。 「二次会には行かないのか?」  居酒屋から出たときから、ずっと俺の後ろを付いてくる熊谷に問い掛ける。 「誘われたけど断った」  誰に、とは訊かないでも分かった。手洗いから戻ると、照沼さんと熊谷は連絡先を交換していたし。だが俺は話を続ける。 「お前も何となく気付いてるだろうけど……俺の先輩の、照沼さん? あのひと、お前に気がある、って梶さんが言ってたぜ。また今度誘われたら、ちゃんとふたりでどっか行けよ」 「……無理だよ」 「何でだよ? 可愛いひとじゃん。あぁ、もしかして熊谷、実は恋人が居るのか? もうすぐ結婚予定とか?」  からかいの台詞を投げながら、熊谷の方を振り向いて肩に手を置く。すると俺の指先は熊谷の拳にきつく握りしめられた。 「恋人は居ないけど、好きなひとなら居るから」  俯いていた熊谷はゆっくりと顔を上げて、俺の瞳にやるせない表情を向けてくる。   「また崇宏と会って、崇宏と話して、はっきり気が付いた」   続く言葉を聞きたくなくて耳を塞ごうか、熊谷の表情を見たくなくて目を閉じようか、指を握る手を振り払ってこの場から逃げようかと思ったが。俺の身体は固まったままで。 「俺は……崇宏の事が好きだ」  ある程度予想していたその告白に、じっと見つめたままの熊谷から俺は目を逸らすが。熊谷は無言のまま、逃がすもんか、とでも言うように俺の手を力強く握り締める。 「中学の時から、ずっと忘れられなかった。他のひとと恋愛しても、やっぱり俺の心にあるのは、崇宏ひとりだけで」  一生懸命想いを告げられても、熊谷がこれから俺とどうしたいのかが全く理解できず。俺は大きく溜息をついた。 「もう、出来ないだろ……やり直す事なんて」 「やり直すんじゃなくて、これから始めるんだよ」   嫌々と応えても、熊谷は熱心に俺の精神を押してくる。その姿勢は中学のあの頃から全く変わっていないけれど。 「だって昔の俺達は、ちゃんとした恋愛をしてなかっただろ?」 「だから現在(いま)なら出来るって言うのかよ!?」  熊谷からの力強い訴えに思わず怒鳴りつけると、指先を握り締める力がふっと緩んだ。  俺達はもうガキじゃないんだ。俺も熊谷も、ちゃんとした仕事に就いている。恋愛すれば結婚も考えるようになる。  だからこそ、男同士の恋愛なんて、出来っこないんだ。 「そんなに恋愛したいなら、照沼さんと付き合えばいいだろ」  そんな台詞と共に熊谷の瞳をきつく睨みつけると、熊谷は握った指を離したが。俺と眼を合わせながら熊谷ははっきりと告げた。 「その言葉、色んな人に失礼だぞ。照沼さんにも、俺にも……崇宏自身にも」  だがその口調は、叱り付けるものとは違って、どこか俺を慰めるようだった。

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