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第9話

 俺は帰宅するなり、既に酔っているのに冷蔵庫から缶ビールを出して開けると、思い切り喉に流し込んだ。唇の端から溢れた泡と液体が頬から喉を伝う。  ふらついたままベッドルームに向かうと、ぼすっ、とベッドに鞄と上着をぶん投げた。 「ちっ……! 熊谷の奴、まーた善人ぶりやがって!」    その独り言は、変な説教をされて苛立っているのか、図星を指されて傷付いていたのか、とにかく混乱してのもので。  さらに自棄になって、外した眼鏡を床に放り投げると、髪の毛をグシャグシャと掻き乱して、そのままベッドに倒れ込む。  熊谷は昔からそうだった。真面目とはまた違うキャラだが、周囲のひとが落ち込んでいれば優しい笑顔で励まして、でも時には厳しい表情で叱りつけて。そんな風に、いつも誰にでも真っ直ぐな発言を恐れずにぶつけていた。  逆に俺は真面目は真面目だが、誰にも素直になれない嫌な奴だった。だからあのとき、喧嘩になったんだ。 *   *   *   *  確かあれは、中学三年の秋。  放課後の廊下で二の腕がいきなりがっしりと掴まれた。俺が顔を上げると、そこにあったのは熊谷の険しい困惑の表情だった。 「崇宏って、いまから進学先、俺と同じ高校に変えるのか?」  大声でそんな疑問を投げられて。俺は慌てて腕を掴まれたまま誰も居ない教室に入ると、後ろ手でドアを閉めた。 「……なんでそんな事知ってるんだよ」  上目遣いで睨み付けるが、熊谷は怯まず話を続ける。 「さっき崇宏が職員室で話してるとき、俺も端っこに居たんだよ」 「別に……俺がどこの高校に進もうと、お前がどうこう言う権利は無いだろ」 「そりゃそうだけど、いきなり変えた理由を教えてくれよ。だって先生も不思議がってたじゃん。なんで俺と同じ高校なんかに変えたんだよ? 崇宏ならもっとレベル高い所に入れるだろ?」  重なる問い掛けに、うっ、と言葉に詰まったが。 「お前と……熊谷と同じ高校なら……上手くやっていけるかな、って思ったんだよ」  遠回しだが素直に答えた。 「でも崇宏って前から、英語の力が生かせる仕事に就きたい、って言ってたじゃん。それならちゃんとレベルのあった高校行って勉強しろよ」  熊谷の説得に俺は俯く。  確かに俺の元々の志望校と、熊谷の志望校では偏差値の差が大分あり。その後の大学進学や留学を考えても、志望校を変える事は俺の将来にとって不利だった。 「別に……どこでも勉強は出来るだろ。先の事は高校入ってから考えたって良いし……またお前と一緒の方が、色々考えられそうだ、って思ったから……」 「なんでそんなに、俺と一緒の高校にこだわるんだよ?」  お前と一緒、にこだわっている訳じゃない、自惚れるな。そう怒鳴りつけようかとも思ったが。ここで意地を張るのも、あまりに馬鹿馬鹿しくて。 「お前に英語教えるようになってから、毎日が楽しくなって……だからこれからも、お前と一緒に居たいんだよ」  馬鹿正直に答えた。まるで愛の告白のように。  いいや、本当に愛の告白だったのだろう。俺の積もり積もった熊谷への想いを知ってほしくて。 「崇宏からのそんな言葉は嬉しいけど……」  だが、熊谷の口調は困惑を増して。 「たとえ高校が別だってさ、休みの日でも放課後でも、一緒に遊ぶことは出来るじゃん。それぞれ別の友達も増えるだろうし……」  「だから! それが俺は嫌なんだよ!」  怒鳴りつけた俺は一瞬口を閉ざしたが。この流れから、いままで言えなかった熊谷への想いの全てをぶつけたくなって。 「お前が、俺の知らない奴等と楽しそうに喋ってるのを見るのが、ずっと俺は嫌で……それがクラスメイトでも、部活の先輩や後輩でも……」  途切れ途切れにこれまでのみっともない嫉妬心を暴露した。さらにみっともない事に、俺は半分泣いていたかもしれない。 「だけどさ、俺は、崇宏とも、楽しく喋ってたじゃん」  駄々をこねる俺を落ち着かせるように、熊谷は俺の両肩を掴んだ。 「別々の学校に入ったら、その時間も減るだろ? それでお前は、また部活とか、アルバイトとか……女子と付き合ったりもするんだろうし」  説得する熊谷を俺は涙目で睨み付ける。  熊谷と仲良くなってからの俺は、いままでの俺とはまるで別人で。  ふたりの将来にわくわくしたり、悩みを相談し合ったり、色んな笑顔が自然と出せるようになって。ひとりになっても、また明日には熊谷と会って話せるなら、そのまま心地良く眠れるようにもなって。  だから、絶対に嫌だったんだ。熊谷と離れることが。俺の知らない熊谷が増えるのが、不安で仕方がなかったんだ。 「第一さ、同じ高校に進んだって、ずっとふたりで一緒に居る訳じゃないだろ? でもさ、崇宏と別々の高校に行ったって、俺は崇宏を忘れないし……ふたりきりで会う時間を大切にもしたいよ」  熊谷は一生懸命に言い聞かせるが。 「出来るわけね―じゃん……そんな、口だけの、ちっぽけな約束」  俺は吐き捨てるように言うと、身体を揺らして肩を掴む熊谷の手を振り払い、そのまま教室から逃げ去った。 *   *   *   * 「あーぁ……まーた嫌な記憶を思い出しちまった……」    その喧嘩をした日から、俺と熊谷はずっと喋らなかった。俺は結局、進路先を元の高校に戻して。その噂は熊谷にも伝わっていたはずだが。  熊谷の事を嫌いになった訳ではない。むしろ好きだったからこそ、無理矢理あいつに付いていこうとして、それを拒まれて、俺はショックを受けたのだから。 「ただのガキのストーカーじゃん……気持ち悪ぃ」  だからさっき言われた「崇宏の事が好きだ」なんて熊谷からの告白も、本心では嫌じゃなかった。もしも熊谷が「照沼さんと付き合う」なんて喜んでいたら、俺はもっと駄目になっていたかもしれない。  けれども素直に告白を受け止められなかったのは。 「友達同士、の方が楽なんだよな……」  これから恋愛を始めよう! なんて堂々と言われたって。俺は熊谷みたくなんでもかんでも頑張れる人間じゃないんだし。  明日も熊谷は職場に来るのか? それを考えると憂鬱になったが。このまま終わらすのも嫌だった。なんだか中学時代の繰り返しのようで。過去も現在も将来も考えたくなくて、俺はビールを呑みながらうつらうつらし始めた。

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