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第10話

   そして翌日。 「……っ、すいません。遅くなり……ました」  俺は息を切らして部署のドアを開けた。昨夜の呑み過ぎと、グダグダ考えて中々寝付けなかったせいで起きるのが遅くなったんだ。 「珍しいね、関根くんが遅刻なんて」  梶さんは苦笑するだけで、叱られはしなかった。 「そうですね。私、関根さんも体調崩したのかと思ってました」  照沼さんも笑ったが、その言葉に俺は首を傾げた。 「俺……も?」  不思議そうに返すと。 「貴方の友達の、熊谷くん。今日は体調不良で来られないんですって。だから営業部は別の人が来てるの」  梶さんがくれた答えに、俺は少しの間呆然として。 「そう……なんですか」  小声で応えると、ぐったりと椅子に座った。  正直、今日遅刻したのは、熊谷と会うのが怖かったからもある。  熊谷も俺と同じか? もう俺の顔を見たくないのか? だから仮病でも使ったのか?  それならそれで構わないけど。あんな奴、これから一生会わずとも良いけれど。  仕事が終わり。俺は資料の修正の為ひとり残業をしていた。すると何気無く隣に梶さんが腰掛ける。 「どうしたのかしらね、熊谷くん。昨日の呑み会は元気だったのに」 「さぁ……風邪でもひいたんじゃないですか。最近、気温差も激しいし」  梶さんは、こほん、と咳ばらいをすると。 「実は昨日の夜、熊谷くんから私に電話があってね」  頬杖をついてそう続けた。俺はPCのキーボードを打つ手を止める。 「照沼さんから、今度会いませんか? ってLINEが来たんですが、って。若いひとは皆行動が早いのね」  落ち着いた口調の梶さんだが、なんだか嫌な予感がした。 「それは無理です、俺には好きな人が居るので……って彼女に伝えておいて下さい、なんて頼まれちゃった」  しばらくの沈黙の後。 「……別に、付き合ってるわけじゃありませんから。まず、俺も熊谷も、同性愛者ではないし。あいつが俺に一方的にちょっかいを出してくるだけです」  感情を殺して応えると、梶さんはまた、こほん、と咳払いをして。 「あぁ……やっぱり貴方だったの。私、熊谷くんの好きな人、が何処(どこ)の誰かは聞いてなかったんだけど」  再びしばらくの沈黙の後。 「ごめんなさいね。セクハラ上司みたくなっちゃって。こういうの、口出しするべきじゃないとは知ってるんだけど」  困惑も見せず、からかい混じりでもなく、梶さんは謝ってきた。俺に気を遣っているのだろう。 「いや、それは、あいつが……熊谷が、梶さんに変な事を色々言ってきたからでしょう」  彼女の気遣いに感謝しつつも、戸惑って俯く。 「心配なら、お見舞い行ってあげたら」  梶さんはさらりと勧めるが。 「いいえ、俺知らないんですよ。熊谷が現在(いま)どこに住んでるか」 即座に断った。住所を知らないのは事実だったし、昨夜の口論を思い出せば、LINEで尋ねて見舞いに行くのもなんだか変だろう。 もう俺と熊谷は、仕事以外で顔を合わせる必要は無くなったんだ。逢えば逢うだけ互いにおかしくなる。 心の中でそんな結論を出した俺に、梶さんは真っ直ぐな視線をぶつけてくる。 「私、知ってるわよ、熊谷くんの現住所。矢吹くんに聞いたの」  俺を熊谷の元へ向かわせる為に訊いたのか? なんだかふたりの会話が、俺への人生相談のようになってきた。 「そんな……あいつも別に、俺に見舞い来て欲しい、なんて思っちゃいないだろうし……」 そんな意地を張る俺に呆れたのか、梶さんは苦笑する。 「だからこそ、熊谷くんは喜ぶんじゃない? 予想外に顔見せてあげればさ」  俺は口を閉ざしたが、梶さんは言葉を続ける。 「昔の貴方達に何があったのかは聞いてないし、教えてくれなくとも構わないけど。なんとなく疎遠になった訳ではないんでしょ? これは勘だけど、なにかトラブルがあって、離れ離れになったんじゃない?」 「でも……もう忘れれば済むことだし……」  どんどんぶつけられる問い掛けに、苛立ち交じりで呟くと。 「じゃあもう完全に割り切って、熊谷くんと仕事仲間として付き合える?」  深い所を抉られて、無意識のうちに眉間に皺が寄った。そんな俺の表情を見てか、「ごめんなさいね」と梶さんは優しい声で謝る。 「上司としてのわがままもあるの。今日の関根くん、遅刻もそうだけど、勤務中も普段の落ち着きが無かったし」  それには俺も反論できなかった。いま直している資料もそうだが、他にも細かいミスを連発して、梶さんを困らせた。どうしてしっかり注意してこないのだろう? と不思議だったが。 それは、俺の心の乱れの原因を知っていたからだったのか。 「それに広告の営業さんも、また熊谷くんに戻ってくれた方がやりやすい、って矢吹くんが言ってたし」  そう言うと梶さんは立ち上がり。一枚のメモ用紙を、俯く俺の眼前に置いた。 「これ、熊谷くんのマンションの住所。色々口出ししちゃったけど、行くか行かないかは貴方次第だから」  そして梶さんはその場から去って行った。

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