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お昼は不意打ちキス
固まって立ち止まったままの遠藤くんをもう一度、見た千秋さん。
「――今から柏木先生と仕事のことで話があるので、教室入ってもいいですか?」
さっきよりは、大分、声音が普段に戻った千秋さん。
それでも、少し低いけど…。
「…あ、はい。さようなら」
我に返ったように棒読みで言った遠藤くんは、廊下を走っていった。
俺は走っていった遠藤くんの後ろ姿をぼーっと見た。
逃げるの分かるかも……。
あんな千秋さん初めて見る。
あんな風に、低い声出せるんだ。
顔も眉間にシワが寄って怖かったし……。
「さ、柏木先生、入って」
数学教室の扉をガラガラと開けた千秋さんを、俺を先に教室の中へ入らせた。
その後ろから、千秋さんも教室へと入り、先ほど渡されたプリントの束を傍にあった机の上に乗せた。
「ご飯食べようか」
すっかり普段の声色になっている千秋さんが笑顔で、パイプ椅子に俺を座らせた。
さっきの千秋さんは俺の見間違いだろうか…?
あんなにも低い――凄みの効いた声で遠藤くんを睨んでいた千秋さんと今の微笑みを浮かべている千秋さんがあまりにも違いすぎる…。
俺は隣に座った千秋さんの横顔を凝視した。
「ん?どうしたの?」
そんな俺の視線に気づいた千秋さんは、二段の弁当箱を分解しながら聞いた。
声も、普段のあの綺麗な透き通る声だ。
「いいえ、何でもないです」
俺はブンブンと首を横に振り、視線を弁当箱に移した。
「うわあー、すごい…!」
弁当箱の蓋を開けた千秋さん。
二段の大きな、重箱よりは小さめの弁当箱の中身は、卵焼きやきんぴらごぼう、インゲンやにんじんを豚肉で巻いて焼いたものなど、本格的なおかずが並んでいる。
もうひとつの方には、海苔が巻かれた綺麗な三角形のおにぎりが並んでいる。
「弁当って初めて作るから、味は保証しないけど」
そう言って、箸を渡してくれた。
いやいや。
千秋さんの料理の腕なら、全部美味しいに決まってるよ。
そうだ。俺、今朝、朝ごはん食べてなかったんだ…。
そう思ったと同時に、グウウウ。と盛大な大きさで鳴ったお腹。
うわわ。恥ずかしい…。
俺と千秋さんしかいない数学教室に響いた俺のお腹の虫。
千秋さんはクスクスと肩を震え笑っている。
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