61 / 89
61.
あの日、俺を抱いた彼は本当に――本当に、細田だったのだろうか。
どこぞのファンタジーじゃあるまいし。顔だけ似せた中身は別人、だなんて夢はないだろうけど。
「あー…」
何を馬鹿なことを。自分の考えに頭 を振って、ため息を飲み込んだ。
けれど。それほどまでに、様子が違った。あちこちを辿る唇はいつもよりも数段熱くて。這わせた指は悪戯に快感をくすぐる。愛おしそうに細められた双眸と、甘く深い声。
まるで幻影のような。優しい、優しい、嘘。
この冷たい現実を生きる糧とするには充分だ。
「おはよ、芹生くん」
手を振れば、年下の彼はなぜか不思議そうに瞬く。さして問う程でもないかと流した。
「俺が店決めちゃったけど、平気?」
「大丈夫です。むしろすみません…」
「いーのいーの、頼ってくれて嬉しいから」
久しぶりに連絡があった。相談してくれるまでの仲になったことを嬉しく思いつつ、店内へ進む。
「…なるほどなぁ」
ジョッキを片手に、件 の彼女を思い出す。
「佐々木さんには俺も何回か会ったことある。なんていうか、まあ…幸せな結婚が出来る女性かな」
感じたままを率直に告げれば、目の前の彼がひゅっと息を飲んだ。慌てて付け加える、これもまた本心。
「でも、多分……これは俺の勘だけど、ルイはきっと戻ってくるよ」
再会した2人を見ていないから、なんとも言えないと補足してビールを煽る。緩慢ながら頷く彼の意志が知りたいと思った。
「…芹生くんは、どうしたい?」
「俺、は……」
言い淀む姿を、掲げたジョッキ越しに辛抱強く見つめる。ややあって顔を上げた彼は。
「…待ってても、良いんでしょうか」
絞り出すような、声だった。ひどく胸を打たれて、思わずジョッキを置く。
「知り合ったことで、色々な経験をさせてもらいましたし…楽しいこともあったから、完全にそうとは言えませんけど。でも…時々、考えるんです」
嗚呼、きっとそれは。
違う未来の可能性。出会わなかったら、知り合わなかったら。
自分も、幾度となく辿り着いた疑問。
「ルイさんと、―――っ!?」
紡ごうとする口をそっと押さえて。
何度も考えたこと。後悔もした。けれど、結局のところ、過去は変えられないから。
「……それは、言うなよ」
実体験と重ねた結果、重い響きになってしまった諫め。揺れる瞳に作った笑顔はきっと満面ではない。
「すごく悲しむと思う。……勝手な奴だよな」
アイツと――ルイと。勝手な奴だと思いながらも、もう何年も交友を続けている。そんな俺からのアドバイス。
どうやら伝わるところがあったようで。じわりと濡れる双眸を見ないように、つまみへ手を伸ばした。
ともだちにシェアしよう!