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69.
「え………今、何て…」
呆然としているルイを前に、俺はただ同じことを繰り返すしかできなかった。
「んー、だから。打ちどころが悪かったらしくてさ」
「じゃなくて…その、あと」
「…短大以降の記憶が全くねえんだわ」
瞠目する彼の背後に広がる白。
それきり静まり返る室内。
「体は元気なのに個室とか大袈裟だっての」
笑ったつもりで呟いたその言葉は、ひやりとした空気に溶ける。
アパートの階段から落ちたと聞いた。念のため大家さんに頼んで防犯カメラの映像を見せてもらったところ、本当に1人で足を滑らせていることが確認できたのだからそれは疑いようもない事実で。
「俺そんな酔ってたのかな…」
覚えがないのも不思議なことだが、それよりも落ちる直前の行動が引っかかった。やたらと熱心にスマホを眺めていた気がする。何か大事な用件があったのだろうか。首を捻る俺へ、返事をため息に代えて視線を寄越したルイ。
「じゃあ、楓くんとか細田くんも覚えてないんだ」
「…どちら様?」
馴染みのない名前。訝しげに眉をひそめた、その時。響くノックの音。
「…あ、弘人」
「調子どう?」
尋ねてきた彼に頷けば、ルイに気付いたのか動きを止める。
「……あれ、貴方は…」
「三井です。…その節はどうも」
棘のある言い方に驚いて、思わずルイの顔を窺う。声音に滲み出る嫌悪感を隠しきれないでいるものの、深呼吸した後は大人の顔だった。
「…高田、弘人」
確かめるようにその名を紡ぐルイに対し、弘人の声音は穏やかなもので。
「少し、話せませんか」
ちらりと時計を見やったルイ。また来るよと言い残し、弘人を伴って病室を後にした。
高田弘人。付き合っていた記憶はある。そしてその間 、何があったのかも。人として許されないことをしたと、まるで懺悔するように告げた彼は、赦さないでほしいと続けた。
離れてから気付いた、と。ともすれば使い古された陳腐に聞こえかねない言葉は存外、胸を打って。
"ここまで来るのに、すごく遠回りした。けれど、これからきちんと償いたい。例え、倍以上の時間が掛かっても……例え―――死ぬまで、でも。"
真摯に送られる視線は確かに求めていたもの。しかし、渇望していた状況にも関わらず手放しで喜べない自分に驚く。
短大を卒業してから、何か気持ちの変化があったのだろうか。その先の記憶がぷつりと途切れている今の状態では探りようもない。
分からないことが―――忘れていることが、こんなにも心を乱すなんて。
嗚呼、難しく考えることは嫌いだ。
ぐしゃぐしゃと頭をかき乱し、体を横たえた。
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