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それから数日。 ノックの音と共に入ってきたのは、もう何度か見舞いに足を運んでくれているルイだった。雑誌から目を上げその姿を確認する。 「桜が満開だね」 「あー…病院の庭、行こうかと思ったんだけど。俺…花粉症だから」 「そういえば毎年苦しんでたっけ」 笑う彼から音楽雑誌とタバコを受け取る。頼んでいた物はバッチリだ。忘れないうちに。今朝、主治医に告げられた内容をルイにも伝えよう。 「あ、来週には退院できるって」 「本当?良かった…」 「ただ前みたいな生活は難しいだろうから、ちょっと手伝ってもらいたい」 「それはもちろん。仕事は…?」 「オーナーには事情説明してあるから、しばらく休み貰えた」 「ん、了解」 それきり途切れる会話。 思い過ごしだろうか。少し元気の無いように見えるルイ。 「……何かあった?」 考えて解決しないことは聞くに限る。驚いた様子の(のち)、淡く笑った彼は口を開いた。 「避けられてる、んだ。多分だけど」 「芹生くん…?だっけ」 主語の無い文の意図も理解できてしまうのは、きっと長い付き合いだから。記憶がなくなってしまっても変わらぬ部分にふと安堵を覚える。 黙って頷くルイを眺めながら、言いたいことはもう決まっていた。握り拳で軽く肩を押して。 「…逃げずにちゃんと話し合え。そんな性格じゃねえだろ」 ややあって立ち上がった彼の瞳が、光を湛えた宝石に戻ったのを見届けて満足気に頷く。俺の好きな、ルイの――三井の、光。 お礼もそこそこに慌てて退出する後ろ姿にエールを送り、ひとつ伸びをした。 (…せりょう、くん) 関係性は簡潔に教えてもらった。けれど聞きかじっただけの知識は、血が通う人間像を描き出すにはまだ程遠くて。物語の中の登場人物を眺めるような、ふわふわとした感覚でしかない。 あのルイがご執心の少年だ。さぞ魅力が詰まった塊に違いないと、やはり会いたい気持ちが高まる。 そしてもう一人。その芹生くんの友達で、俺達とも仲が良いと聞いた。 「ほそだ…くん…」 呟いて、首を傾げる。ぞわりとした感覚があるからにはきっと呼び慣れていないのだろう。 「くん?…うーん……ほそ、だ?」 まだこちらの方がマシか。記憶は無くとも何となく感覚が残っているものだ。不思議な体験を経て感動に浸っていると、またノックの音が。

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