81 / 89

81.

「あの日、お前に……セフレ解消しようって、言われて。ヤケ酒…したんだよ」 ゆっくりこちらに戻ってきた視線はまだ頼りなさげに揺れている。 「落ちたのは、ほんと、単純に酔ってたから。…で、直前まで考えてたんだけど」 お前の事、と。付け足せば、僅かに光の灯る紫黒の瞳。続く言葉で、どうか信じてほしい。 「……いちばん大事に思ってる記憶がなくなることが多いって、医者が言ってた」 「そ、れって―――…」 さかんに瞬く細田へ頷いて、微笑んだ。 「この前の、返事。」 緊張で喉が痛い。早鐘を打つ心臓がうるさくて、他の音が何も聞こえなくなる。 「…弘人は家に入れてない。だから、……だから」 ―――…わかって、 思いがけず切ない響きになってしまった懇願。正しく汲み取ってくれただろうか、と少し不安に思って顔色を窺う。 これが今の俺に言える精一杯だった。 明確な好意を口にしたら、この幸せが逃げてしまいそうで。 それぐらい、[幸せ]は自分にとって不安定で形のないものだった。柔らかくつかんだそれを離すまいと必死にしがみつく。 互いに逸らさない視線が絡んで、そして、緩やかに縮まった。距離がゼロになってからしばらく。ふわりと舞うような酩酊感に酔いしれていた。 「大事に…します、から」 離れて尚も近いその瞳は、もう揺らいでいなかった。随分と力の籠った宣誓だな、と笑うにはあまりに真剣すぎて。 「…ん。期待してる」 いつか、躊躇いなく。『好きだ』と言える日が来るのだろうか。伝えても壊れない、そんな幸せがあるのだと実感できる時が―――。 至近距離の首筋に、そっと腕を回すことで応えた。

ともだちにシェアしよう!