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ⅩⅤ
アルバはまた新たな仕事をどんどんと覚えていく。教える須田も度々に「アルバくんは覚えが早いね」などと褒めてくれた。
洗濯、掃除、料理の下拵 え、配膳、シルバーやグラスの手入れ、全てが理仁に尽くす為だと思うと覚えることが楽しく、習得していくことが喜びになっていく。
午後8時、須田も帰宅し広い屋敷の中にはアルバ独りだった。
何とも言えぬ屋敷の静寂の中では、窓の外の北風の音が嫌に響く。アルバは自室で須田に勧められた本を読んでいた。まだ寝巻きにも着替えず制服のまま、理仁の帰りを待つ。
午後10時、屋敷の玄関が開く音がした。アルバはデスクランプを消して、パタパタとエントランスへ駆けていく。階段を降りると、トレンチコートを脱ごうとしていた理仁がドアの前にいた。
「お帰りなさいませ、理仁さま。」
「……アルバ?制服のまま……今日は遅くなるから先に休めと言っただろうに。」
理仁はアルバの姿を見るなり面を食らったような顔をした。そして少々険しい声で呆れてアルバの方を顰 めた顔で見る。
アルバは理仁のそばまで駆け寄ると頭を下げた。
「申し訳ございません、言いつけを守らなくて…でも、僕……理仁さまに『お帰りなさい』って言いたかったんです。」
「…別にいい。私も簡単にシャワーを浴びて仕事をしたら寝る。君も早く寝なさい。」
「あの、お風呂の準備はしております。もし理仁さまが不快でなければ僕がお背中を流します。」
アルバがそう申し出ると、理仁は呆れたようにため息を吐いて、アルバに詰め寄ってアルバの白くか弱い手を強引に取った。
「私は君を男娼として買ったわけではないと言っただろう。破廉恥な真似事はやめろ、はしたない。」
そう凄まれてアルバは眉を下げて泣きそうになった。震える声で「申し訳、ございません」と謝罪した。理仁は「ふんっ」と傲慢にアルバの腕を解放して、スタスタと階段を上ろうとする。アルバは流れそうになる涙を堪えて理仁から3歩分ほどの距離をとってついていく。
「私は先に仕事をする。君から先に風呂に入って休みなさい。いいな。」
「はい……。」
理仁が部屋のドアを開けて入っていくので、アルバは頭を下げ「お休みなさいませ」と挨拶をした。
(出すぎてしまった……はしたない…か……。)
まるで近づくこと、触れることを否定されたようでアルバは胸を締め付けられた。ゴシゴシと目を手の甲で擦って、アルバは自室に戻った。
そして10分も経たないうちにシャワーを浴びて、バスタブに溜めていた湯を捨てて、寝巻きに着替えたら使用済みのバスタオルで軽くバスタブの水気を拭きあげた。
髪がまだ湿っているがトボトボとバスルームを出て自室に戻ろうとすると、廊下の窓を開けて理仁が外を眺めていた。ふわりと香るのは、今朝理仁から漂った薔薇の甘い香り。
「理仁さま……。」
廊下には北風が入ってきて、理仁の少しだけ崩れた髪の毛が靡 いている。理仁が咥えている煙草の煙が白く、吹かれていく行方の軌道が見える。
「…アルバ。」
「あ、あの…お休みなさいませっ。」
アルバは理仁がこちらを向いた途端に頭を下げて足早に自室に戻ろうとした。
「待ちなさい。」
その言葉にアルバは従い、ドアノブを手にかけたところで動きを止めた。理仁が自分の方に近づいてくることが音でわかると、アルバの鼓動が早くなる。これは気まずさなのか、今日恐怖なのか、それとも。
(甘い、薔薇の香りが……する……。)
アルバの右手は理仁の大きな右手に包まれた。体温が近い。
「さっきは厳しい言い方をした…すまない。」
「え…。」
「それだけだ…お休み。」
淡々とアルバの耳元でそう言い残すと、理仁は離れて窓を閉め、自分の部屋へ入ってしまった。
アルバはお辞儀をすることも忘れて、その理仁の動向をずっと見つめてしまった。
自分の部屋に戻ると、薔薇の香りがアルバの中に染み渡る。アルバはベッドに寝転がって掛け布団を頭までかぶって小さくなった。
(ああ……このドキドキは、何…。わからない、わからないよ……。)
そのままアルバはギュウッと両手を握りしめて目を瞑 った。
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