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ⅩⅥ

 あれから何事もなく平穏に日々は過ぎていく。アルバは段々と仕事を覚え、コーヒーの淹れ方も随分上達した。  理仁は相変わらず口角が上がることはなくて、ため息と眉間の(しわ)、少しだけ冷たい口調が通常運転。だがアルバは日々、そんな理仁の一挙一動に心臓を高鳴らせていく。 「梅の花弁(はなびら)が白く変化してますね。もう散っていくでしょう。」  庭の掃除をしながら須田がゆるりとそう呟いた。アルバも上を見上げて梅の花を見る。 「不思議な梅の花ですね…咲き始めた頃は黄色だったのに。」 「これは水心鏡(すいしんきょう)という種類の梅の花です。私が朴澤家にお仕えする以前から此処で咲いてます。」 「へぇ……とても綺麗な白ですね。」  梅が散れば、桜の季節になる。アルバが理仁に従事して随分と月日が流れたことが認識される。此処に来たばかりの時はまだ庭の木々の殆どが青かった。 「さて、これを片したら給仕室でティータイムに致しましょう。妻の作った蜜柑(みかん)のマーマーレードもありますから、スコーンを温めましょう。」 「はい!須田さんの奥様のジャム美味しいから大好き!」 「ふふふ、妻も喜びますよ。」  2人は楽しげに話しながら庭掃除を切り上げて撤収作業をしていた。すると門の方から女性の困ったような大声と甲高い怒号が聞こえてくる。アルバと須田は何事かと道具をその場に置いて声のする方へ駆けていく。 「奥様!勝手に入られては困ります!」 「失礼ね!理仁は此処にいるんでしょ!?今日は会社も休みでしょ!」 「ですから今日はお仕事で不在で御座います!日を改めて下さいませ!」  通いの女性使用人・滝内(たきうち)がドアの向こうに困ったように声をかけていた。 「どうなさいましたか?」 「ああ、須田さん…本邸の方から奥様が、御主人様を出せと(おっしゃ)って…。」 「わかりました。此処は私が応対しますから貴方はアルバくんと庭掃除の撤収作業をお願いします。」 「すいません、有難うございます……アルバくん、行きましょう。」 「は、はい…。」  アルバは滝内と一緒にその場を離れた。  道具を置きっ放しにしていた場所に着くと、2人は手分けしてそれらを抱えた。すると滝内はキョロキョロとし、安心したように胸を撫で下ろした。 「滝内さん、大丈夫ですか?」 「うん、ごめんねアルバくん。私が上手く奥様をあしらえないから須田さんにもアルバくんにも迷惑をかけてしまって…。」 「いいんですよ…大変、でしたね。」  道具倉庫へ歩きながら声量を気にしながら話す。滝内は疲労の溜息を吐いて、同時に愚痴っぽい口調になる。 「きっとまた理仁様の縁談の話よ。」 「……縁談、ですか?」 「そ。まだ25歳なのに朴澤家の次期総帥ともなれば今のうちから嫁を作ってさっさと後継(あとつぎ)をって、よくある話よ。」 「そう、ですよね。」  アルバの胸はチクリと痛んだ。 「だけどねぇ、理仁様って22歳で一度結婚したんだけど、1年も経たずに離婚しちゃったのよ。」 「そうなんですか?」 「今どきバツイチなんて珍しくもないけど、こういう家柄だと体裁が悪いのよね。理仁様の再婚に本邸は躍起になってるのよ。それが煩わしくて、理仁様は50年も空家だったこの別邸をリフォームして本邸を出て行ったというのに…定期的にが来るから追い返すのが面倒なのよ。アルバくんも奥様の突撃訪問に遭ったら、すぐに須田さんを呼ぶこと。」 「はい……。」 (そうだよね……こんなに大きな家の跡取りだもん、縁談とか、子供とか…当たり前の話、だよね。) 「アルバくん?」 「は、い?」 「どうしたの?」 「な、にが……あれ?」  頬に妙な感触がしてアルバは冷たい自分指先でそれをなぞると、自分が泣いていたことに気がついた。 「目に、ゴミが…入った、だけで……あれ?あれぇ?」  涙が止まらない、そして声も、呼吸も熱くなって、アルバの視界はとうとう揺らいだ。 (どうして、悲しいんだろ?わからない、悲しいのかな、苦しいのかな、全部ぐちゃぐちゃになる……理仁さまが、知らない誰かと結ばれる未来…考えただけなのに……。) 「やだ……なんで……涙、止まんな……。」  アルバはその場に(うずくま)った。心配する滝内の声はアルバに届かなかった。

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