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after of ALBA
ある夜、理仁のベッドで夕莉は微睡 んでいた。
「夕莉、明日は私が1日休みなのだが…何処か2人で出かけるか?」
「ふへ?」
ふわふわしていた意識がその申し出で一気に目覚めた。
「ま、理仁さまがおやすみでも、僕は使用人のお仕事があります!いけません!」
「もう須田に言って夕莉も休みにしてる。」
「え…!そんなのいけません!」
「私が雇用主なのだから構わない。」
理仁の口角が妖しく上がると、その美しい手は夕莉の小さな体を軽々と抱き上げる。
「や…あぁ…理仁さま……さっき、した…のにぃ…。」
「明日は少し寝坊しても構わない……それで、何処か行きたいところはあるか?食べたいものでも構わないぞ。」
他愛ない話をしながらも理仁の愛撫は止まない。夕莉は艷っぽい吐息を漏らす。
「ん…で、したら……はうぅ……食べ、たい…もの、ありますぅ…。」
「何だ?言ってみろ。」
理仁が夕莉の可愛らしい乳首をカリッと甘噛みする悪戯の最中でも、夕莉は律儀に答えた。
「ら、らーめん……食べたいですぅ…。」
* * *
翌日、お昼前に目が覚めた2人は目覚めのコーヒーだけを摂り、出かける準備をした。
「ゆ、夕莉…本当に電車を使うのか?」
「はい。これは都内のラーメンを食べに行くときの鉄則だと真智雄さんに言われました。」
キラキラした瞳で生き生きとはしゃぐ夕莉とは対照的に理仁は困惑していた。
理仁が飛行機以外の公共の乗り物に乗るのは実に3年ぶりである。しかも最後に乗ったのは留学先のロンドンの地下鉄で、東京の路線はどうなっているのか全くわからないのだ。
「で、どこに行くんだ?」
「えっと……中野です!」
夕莉は理仁の元に来る前は「アンジェラス」の管理下、東中野の共同マンションで暮らしていた。そしてそこで一緒に暮らしていた外商セールスマンの俵真智雄に、中野で美味しいラーメン店の話をよく聞いていていつかは食べたいと思っていたのだ。
「………で、電車で、か?」
「はい!中野駅北口を出たらすぐ着くって教えてもらいました。」
いつの間にか夕莉は店の名前やメニューをメモしていた。
「行きましょう!理仁さま!」
2人を見送った須田や使用人たちは理仁に気づかれないように気をつけながら笑ってしまった。あの理仁が完全に夕莉に振り回されている姿はとても貴重であったからだ。
「すっご…朴澤様が……引っ張られて行っちゃいましたよ、須田さん。」
「私も生まれた頃から理仁様を見てましたが、あんな理仁様は初めてですねぇ。さすが夕莉くんです。」
「まぁ、たまにはいいんじゃないですか?本人まんざらでもなさそうですし。」
「さ、我々は仕事に戻りますよ。」
* * *
歩いて15分、成城学園前駅に着くと交通ICカードを持っていない2人は新宿駅までの切符を買うことにした。
「ゆ、夕莉…これは……カードは使えないのか?」
「え…あ………理仁様、もしかして現金を持ち合わせてないんですか?」
「普段からクレジット決済だから…な……くっ。」
「220円ですよね、今日は僕が出しますよ。あ、あとでコンビニに寄ってATMでキャッシングしましょう、ね?」
「すまない…。」
夕莉も箱入り坊ちゃんだったが、誠子たちに庶民の日常生活と常識を叩き込まれていたので今は理仁よりも頼もしくなっていた。
「各駅停車より、次の急行の方が早く着きますね。」
「そ、そうなのか。」
新宿駅までのたった16分の道のりでも理仁には大冒険だった。なのに、新宿駅は更なる試練を理仁に与えた。
「えっとJR線に乗り換えで……あ、でも切符だから一回改札に出なきゃ。こっちです、理仁さま!」
「え、あ、本当に、こっちか?」
「はい、看板にそう書いてあります。」
夕莉が案内板がある上を指して理仁は案内板の存在に気が付いた。
「ここはよく迷いやすいからって真智雄さんたちに教えてもらったんです。切符だと鉄道会社が違うから気をつけようねって。また今度お出かけする機会があればICカード買わないとですね。」
「そ、そう…か……。」
夕莉も決して慣れてるわけでないはずなのに、なぜこんなにも楽しそうなのだろう、と理仁は不思議に思った。
そして中央線に乗ってから5分で中野駅に着いた。理仁は、ずんずんとルンルンと歩む夕莉が楽しそうにしていてそれが微笑ましくもあり、着いて行くのがやっとで疲労も感じていた。
そして改札を出ると、そこは理仁が踏み込んだことのない普通の世界だった。
「わぁ…久しぶりだなぁ。あ、理仁さま!あそこがサンロードって商店街で、誠子さんたちとよくお買い物に行ったんですよ。」
「そうなのか。」
「値段がとても安くて…理仁さまもビックリしちゃうかもしれませんよ。」
夕莉が目的の場所に進み始めた。
「あ、あれ?アルバくん⁉︎」
2人の前方から夕莉のかつての名前で呼ぶ声がした。思わず夕莉は反応しそちらを見ると、Tシャツに着古したジーパンととてもラフな格好をした青年が手を振りながら夕莉に近づいた。
「なーにしてんの⁉︎ 人違いじゃないよね?」
「真智雄さん、お久しぶりです。」
「え、今だって成城学園じゃ……は!」
真智雄は夕莉の一歩後ろにいる理仁に気がつくと、なぜか直立不動になり挙動不審に会釈をした。
「ちょちょっ!アルバくん!」
慌てて夕莉に近づいた真智雄は夕莉にヒソヒソと話す。
「なんで朴澤の社長がこんなとこにいるの⁉︎ どっか車停めてんの⁉︎ てか何しにきたの⁉︎」
「今日は理仁さまはお休みで、お邸から歩いて電車を利用してここまで来ました。真智雄さんが美味しいと言ってたラーメンを食べに来たんです。」
「ラーメン⁉︎ な、なんのラーメン⁉︎」
「えっと…ここです。」
夕莉が出したメモを確認した真智雄は「え⁉︎」と青ざめた。
「いやいやいや…これ社長に食べさせちゃダメでしょ!君が大丈夫なのは知ってるけど…。」
「そうですか?でも僕、どうしても食べてみたかったんです。」
「うぅ…じゃあ俺も今日のラーメンはここにするから……。」
いつまでも置いてけぼりになっていた理仁は腕を組んで端正な顔が般若のように恐ろしいものになっていた。真智雄はそれにビクつくが夕莉はすぐに理仁の腕をとった。
「理仁さま、お待たせしてごめんなさい。真智雄さんが道など詳しいので案内してくれるみたいです。」
「そうか……。」
「えっと…朴澤社長のお口に合えば…いいんですが……。」
なぜか真智雄は青ざめた顔のまま目的地へと案内をした。
* * *
「お待たせしましたー!濃厚味噌らぁめん地獄級のお客様ー!」
「あ、僕です。」
「上級のお客様ー!」
「はい、俺です。」
「お後、ノーマルですねー。ごゆっくりどうぞー。」
テーブル席に座った3人だが、なぜか理仁の隣は真智雄だった。不服を申し立てたのだが真智雄に本気で止められたので渋々従ったが、その理由を今理解した。
「わあぁ…これずっと食べてみたかったんです…。」
「…………ゆ、夕莉……それがラーメンなのか?」
「朴澤社長…あなたの頼んだものが普通のラーメンです。これはとても美味しいので是非ご賞味ください。そしてアルバくんの頼んだアレは劇物です。」
夕莉が目を輝かせて食べようとしている丼の中身は真っ赤で、チャーシューもメンマもコーンももやしあるのだが唐辛子とラー油で赤に隠れてしまっている。夕莉は割り箸とレンゲを手にして「いっただきまーす♪」とスープから味わい始めた。
「んんんー♡すっごく美味しいです!理仁さま!」
夕莉が理仁にそう笑うと、理仁はニコッと笑い返した。それを見て安心した夕莉はそれから真っ赤なラーメンに夢中になる。夕莉に聞こえないようにと理仁は隣でそこそこ辛そうなラーメンを食べている真智雄に耳打ちする。
「おい…夕莉がこんな嗜好だと初めて知ったぞ…。」
「え…お食事とかは一緒じゃないんですか?」
「共に摂ってるがあんな…あんな辛いの食べてるところ見たことないぞ。」
「え…アルバくん、普通にご飯食べてるんですか?あの子、ご飯のふりかけが一味唐辛子で、スパゲッティもタバスコでシャバシャバになりますし、アルバくんのためにカレー屋のとび辛スパイス常備してたんですよ。」
真智雄は懐かしむような目で夕莉を見る。理仁は圧倒されてしまい開いた口が塞がらないでいた。
「アルバくん…君、朴澤邸では辛いの食べてないの?」
「ふへ?」
顔を上げた夕莉の口は真っ赤に染まっていた。
「えっと…そうですね………誠子さんにもご主人様の前では唐辛子ばかり食べるのははしたないって教えられてたので、唐辛子の類 は全く口にしてませんでした。」
「うん…あのね、ほどほどならいいんだよ。君のは量が量だったから誠子さんも注意したんだと思うよ。朴澤社長もびっくりしちゃってるから。」
「え…。」
夕莉はやっと理仁の顔を見た。すると眉毛を下げてしゅんとしてしまう。
「ご、ごめんなさい…あの…みっともないですよね……。」
「あ…いや、みっともないとか…そういうことじゃないんだ………た、ただ…。」
すると理仁から一筋の涙がこぼれた。夕莉はそれをみて更に慌てる。
「理仁さま⁉︎」
「ちょ、え⁉︎」
「…悪い……なんか、目が……。」
夕莉の地獄級ラーメンの匂いや湯気が理仁にダメージを与えていたらしい。
* * *
それから涙を流しながら理仁は自分のラーメンを完食し、店を出た。真智雄は事務所から呼び出しを食らってしまい2人とは別れた。
2人は外で少し休めそうな公園を見つけるとベンチに腰をかけた。
「理仁さま…本当に大丈夫ですか?」
「ああ…もう治 った。」
「本当に申し訳ありません…僕のわがままでこんなところまで連れてきて…挙げ句の果てに理仁さまに痛い思いをさせてしまい……。」
あまりの罪悪感に夕莉はうつむきポロポロと涙をこぼした。
すると理仁は夕莉の肩を抱き寄せて、もう片方の手で夕莉の涙を拭った。
「また夕莉の新しい一面を知ることができて私は嬉しかった。少しだけ驚いてしまったがな…。」
「理仁さま…。」
理仁の優しさに夕莉はまた涙が溢れた。
「ほら、もう泣かない。せっかく楽しく出かけているんだ。もっと楽しい場所もあるのだろう?」
そう言って理仁は夕莉の顔を自分の方に向かせると夕莉の目尻にキスをする。すると夕莉がすぐさま「理仁さま!」と抱きついてきたので、そっと触れるだけ、唇にキスをした。「ちゅっ」と音を立てて話すと、やっと夕莉も笑った。
「夕莉はそうやって笑っている顔が一番美しい。」
「ううん、理仁さまの方が美しいです。今日は髪も下ろしてカジュアルな格好なのに、王子様みたいです。」
「ふふ…ありがとう。」
「あ、あの!理仁さま!中野ブロードウェイにおっきいソフトクリームがあるんです!一緒に食べましょう!」
「そうだな、行くか。」
「はい!」
すっかり元気を取り戻した夕莉は理仁と恋人手繋ぎをして歩き出した。
* * *
ソフトクリームを食べて、プリクラを撮って、理仁に引き取られる前に中野で見かけていた普通のデートを夕莉は満喫し、すっかり暗くなった時間に朴澤邸に帰宅した。
須田も20時に帰宅し、夕莉と理仁は邸で2人きりになった。散々歩いた足の疲れを取るために2人で一緒に風呂に入って湯船に浸かった。夕莉は理仁の足の間に入って、理仁の逞 しい胸板に凭 れてくつろいだ。
「うふふ…今日は楽しかったです……。」
「そうか、よかったな。」
「理仁さま、ソフトクリーム好きなんですね。ほとんど理仁さまがお食べになってましたよ。」
「う……すまない…。」
「また一緒に食べに行きましょうね。」
理仁は夕莉の手を取って指を絡ませた。そして夕莉の耳の裏をリップ音を立ててキスをする。
「今度は…理仁さまが行きたいところ、やりたいこと、食べたいもの…僕も理仁さまをもっと知りたいです。」
夕莉はふわりと笑って理仁の方を見ながらそう告げた。理仁はそんな夕莉の唇にキスを落として、微笑んだ。
「ゆっくり、な。」
「はい。」
そして2人は向かい合って、深い、キスをする。次の理仁の休日が今から待ち遠しくなった2人だった。
after of ALBA......HAPPY END
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