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「うわぁぁあ………。」  真智雄は慣れたはずの麻生十番駅を降りて地図アプリを頼りに商談先である「ろく楼」に到着した。とても洗練されたビルに「ろく楼」と書かれた暖簾があり、その入り口から大理石が敷かれている。テレビや雑誌で見たことあるだけのミシュラン3つ星の高級料亭。 (入るだけでやべーやつじゃん!しかも桜の間ってVIP御用達の個室とかネットに書いてたし!え、俺ここに入るの⁉︎)  さすがに足が震え始めて帰りたくなった。  しかし「仕事だ!頑張ろう!俺!」と心の中で自分を鼓舞し、ネクタイを締め直し、最初から戦闘モードで手袋を装着していつもの黒いアンティークトランクを提げ、平静を装い料亭に足を踏み入れた。 「いらっしゃいませ。」 「済みません、私、桜の間で会食を約束している者なのですが…。」 「はい、伺っております。こちらへ。」  高そうな和服を着た、女将さんのような品の良い女性に案内されて真智雄は奥へ奥へと進む。突き当たりにエレベーターがあり、それでなんと地下1階に降りていく。 (えええええええええ!どんだけVIPなのおおおおおお⁉︎)  この店の地下の個室に通される(ほとん)どは超VIPで、ありとあらゆる者の目を遮断するような会合が行われていると上流階級やマスコミの間では常識であるらしい。  ちなみに真智雄がこの情報を知ったのはヤクザからである。 「此方(こちら)で靴をお脱ぎになって下さい。」 「はい…。」  あたふたしないように心がけて真智雄は革靴を脱ぐと、すごく重厚そうな板の間に上がり、「桜の間」と札が掛けられた部屋の戸に向かって呼吸をして、言葉を発する。 「失礼します。」  そう言って引き戸を開けて中に入る。その中には顧客であろう、細い銀フレームの眼鏡を掛けた黒髪ショートヘアの青年が背を伸ばして座っていた。  すぐに戸は外にいた女将(のような女性)に閉められて2人きりの密室になった。  真智雄は眼鏡青年の向かい側の座椅子の横に腰を落として、まず懐から名刺を出した。 「今回、恵南(えなみ)様の担当をさせていただきます、俵と申します。」 「…僕は、恵南ではありません。」 「………へ?で、ですが、ご予約で頂戴しましたお名前は恵南國春(クニハル)様だと…。」 「はぁ……それは糸川(いとかわ)副大臣の第一秘書の方の名前です……全く(はめ)められたのか、俺は。」  真智雄は状況が飲み込めずに思考回路が停止寸前に追い込まれた。とりあえず口角を釣り上げてなんとか営業スマイルを保つ。 「えっと、あの…で、では……お客様のお名前は…?」  段取りを頭の中で組み直して軌道修正を図るように真智雄は目の前の青年に訊ねた。彼は「はぁ」と嫌々な溜息を吐きながら(ふところ)から名刺を出した。真智雄はマナー通りに「頂戴します」と言い両手で受け取った。 ――外務省 大臣官房 総務課主任 四方木(Yomogi) 主久(Kazuhisa) 「四方木様、ですね。失礼致しました。」 「良いです、其方(そちら)に予約を入れたのは恵南さんですから。私のような国家公務員が貴社を利用する程の財力はありません。」 「……え。」  このやりとりで真智雄は商談不成立な予感がしてじんわりと汗をかいてきた。社長の諸角も先輩の亮太郎も100%商談を成立させている。破談という不名誉な称号なぞもらった日には最低でも3ヶ月は笑いのネタにされる、真智雄はそう確信した。 (絶対売る!絶対成立させてやる!) 「貴方、このような商売をしていて察しが悪いのですね。」 「……え、っと、どういう…。」 (まずい、心が読まれたのか⁉︎)  態度はしどろもどろしていないだった真智雄は途端に焦り言葉が詰まる。 「お金はちゃんとありますよ。今日も前金の1億円をキャッシュで持たされて……本当に足が付くと困る商売のようですね。」  主久の言葉と眼差しには真智雄、いや、アンジェラスに対する侮蔑が現れていた。 「どうせ副大臣の真っ黒な金です。大方、その処分に困っていたのでしょう。」 「あ……あの…私共の商品はご存知、で、すか?」 「先日、非常に下種(げす)な見世物を見せられましてね…。」  そう言うと主久はスマートフォンを出し、動画を再生して真智雄に見せた。それは先日、主久が某国の大使館のとある一室で見せられた美麗な少年たちの卑猥なまぐわい。その少年たちに真智雄は見覚えがあり、青ざめた。 「………フーちゃん…ローちゃん………。」  真智雄は商談ということを忘れて泣きそうな顔になっていた。主久はそんな真智雄の表情を見ると、ずっと険しく軽蔑していた表情(かお)が少し和らいだ。 (覚悟はしてたけど…本当に、こんなこと……フルウス、フロウス…本当に仲良しで、歌と踊りが大好きで……オムライスが大好きで……一緒に人生ゲームで遊ぶと本気になって()ねたりして……普通の男の子なのに……どうして!)  真智雄は顔を俯いたまま、アンティークトランクを開けてカタログをテーブルに出した。そして赤くなる目で主久を見据えて、震える声でいつもの言葉を。 「四方木様、じっくり商品をお選び下さいませ。」

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